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読書ノート「MMT 現代貨幣理論とはなにか」(著:井上智洋 講談社選書メチエ)

MMTがちょっと前に話題になっていたので「MMT 現代貨幣理論とはなにか(著:井上智洋 講談社選書メチエ)」を読んでみました。書店で見かける他の一般向けMMT本は正直言ってパッと見でプロパガンダ臭を感じるので敬遠していたのですが本書は比較的落ち着いた印象を受けたので読んでみようと思いました。実際に読んでみると教条的な面のあるMMTの主張に対して反対の見解も紹介されており良い本した。

MMTが注目された点は政府の財政的制約を否定する見解です。本書によれば「自国通貨を持つ国は過度のインフレにならない限りいくらでも借金できる」のだそうです。これには①借金を増やし続けることは実行可能、②増やし続けても問題が起きないの2つの意味を含みます。

借金を増やし続けることが可能なのは現在の銀行制度の仕組みによります。現在は日本を含めほとんどの国で管理通貨制度を採用しています。管理通貨制度においては、①中央銀行が独占的に銀行券を発行する、②その銀行券は不換紙幣であることが法律で決められている、③中央銀行は銀行の銀行であり全ての国内銀行は中央銀行に当座預金を持っているという特徴があります。

中央銀行が不換紙幣を発行できるので発行に物理的上限はありません。中央銀行は何の準備金も必要とせず銀行券=紙幣を発行できます。これはひどい話でも何でもありません。銀行券というのは本来は銀行が負う負債の証書ですがそれ自身が紙幣だとすると1万円の銀行券(1万円札)を持って1万円を返せと言ったところで1万円札と引き換えに1万円札が返ってくるだけで形式的な貸し手である1万円札の所有者からみても兌換を求めるのは無意味な行為であることが分かります。

次に政府が借金をするには国債を発行します。国債を銀行に買ってもらう場合、国民が預金した額以上は国債は発行できないのではないかと心配する人がいるようですがそのような心配は無用だというのです。なぜなら銀行に余っているお金がなくても銀行の銀行たる中央銀行が国債を買い取れば銀行にお金が戻るからです。現在、銀行はお金を余らせている(超過準備といい、日銀の当座預金に預けている。)のですが仮にこれがなくても国債を元手に政府が財政支出をすると銀行システム全体では比較的短期の間に預金が増えるはずなのでファイナンスは可能なはずですし、銀行の銀行たる中央銀行は銀行にお金を貸すこともできます。どちらにせよ国から国債を買って中央銀行に国債を売れば銀行の収支はチャラになるので余っているお金がなくても問題ないというわけです。

中央銀行は銀行の銀行ですから銀行と中央銀行の間の取引は帳簿上の取引だけで済むのでどちらもあらかじめ何も用意しておく必要がありません。現代は帳簿といっても電子システムなのでキーボードを叩くという意味で「キーストロークマネー」と呼んでいるそうです。中央銀行に通貨発行の上限はないので国債はいくらでも買い取れます。必要なのはキーボードを叩くことだけです。

MMTは既存の経済学を主流派と呼んで批判しているようですが私の知る限りその主流派で上述の事実を理論的に否定している人は見たことがないです。本書にそう書いてある訳ではないですがむしろ経済学的にはこれが可能であることを理解した上でインフレを懸念して中央銀行がやたらと国債を買うものではないという考えがあったと思います。

しかしリーマンショックの後にアメリカのFRBが大規模な量的緩和を実施し日本でも日銀の黒田総裁がバズーカを撃ってもどちらの国もインフレになっていませんからMMTのここまでの主張を頭から否定するのは難しくなったと言えそうです。これは管理通貨制度の裏技のようなもので長い間表に出ていなかったので一般の人に知られていなかっただけのようです。

それでも累積債務が増えると借金が返せなくなると考える人がいるかもしれません。しかし現在でも膨大な額といわれる累積債務は借換債というもので返済しています。借換債とは償還期限が到来した発行済み国債の償還のために発行する国債ですが国債発行の原理は借換債であっても上述のものと変わらないので借換額がいくらになっても借り換えられないということはありません。よく将来世代に借金を残すなどいう人もいますが国家は自然人と違い存続期間に制限がありません。累積債務はずっと借り換え続けても構わないので必ずしも将来世代に負債を減らす必要が生じるというわけでもないのです。

では借金を増やしても問題はないのかについてMMTは「過度のインフレにならない限り」という断りを入れています。MMTにとっても過度のインフレは避けるべきなので短期的には総需要を刺激しすぎないようにしましょうという程度の話であれば普通のマクロ経済学でも理解可能な話なのでそのようにしたらいいでしょう。

ここまではおおむね賛成できる話を書きましたがこれからは疑問点を書いていきます。まずMMTの基礎である貨幣論についてMMTでは貨幣の分類として実物貨幣と名目貨幣に分類し、貨幣の価値について実物貨幣は金属主義、名目貨幣は貨幣国定説に基づいて租税主義をとっているようです。実物貨幣、例えば金を使う場合は貨幣の価値とは金の価値であり金の価値を基準にして別の商品を買える。他方、名目貨幣は紙幣などそれ自体に価値がないけれども国がそう決めたから通用するという考えです。

では国が決めたらなぜ通用するのでしょうか。それは名目貨幣が納税に使えるからだというのです。ここでモズラーの名刺の喩えが出てきます。子供にお手伝いをさせるためモズラー氏は子供に毎月30枚の名刺を納めないと家から追い出すと脅し、お手伝いをすると名刺を渡すことにしたら子供がお手伝いをするようになったという逸話です。この名刺が貨幣で30枚納付というのが納税に当たるということです。この場合、納税より先に名詞=貨幣が渡されることからスペンディングファーストと言うそうです。このため租税は財源ではないという結論にもなります。

そもそも論としてこうした考えは自由で民主的な社会の基本理念に反しています。代表無ければ課税なしといわれるように近代民主主義社会において税は民主主義そのものであり政治的自由の源泉ですし貨幣の流通を担保するためにあるわけではないと思われますが、それをおいてもそもそも民間にお金が払われる政府支出とは国家が国民に奉仕を求めるものではなく国民のために実施する公共事業でしょうから現代社会の基礎理論としては価値観が転倒していると感じます。

また歴史的に貨幣が最初に造られた経緯は良く分からないけど王様が国民に税を払わせるために造ったわけはないと思うのでやはり余り説得力を感じません。税は古くは物納であり金納が普及したのは貨幣の成立よりかなり後ですし著者が触れているように中世日本では宋銭を輸入して使っていたくらいなので民の側が商取引を円滑化したいから貨幣を欲しているという実態の方が先行しているはずです。

また納税に使えるというだけでは貨幣の価値の安定までは担保されないので国家権力の力で額面通りに流通するというだけでは政府が貨幣の価値の保全を怠ったら悪性インフレが起こる懸念は拭えないと思われます。さらにいえば日本の財政法では歳入と歳出が均衡するように単年度で予算を組まなければならないため税は財源ではないという説は観念論的見方としては興味深いけれども実務的意味は全くないといえるでしょう。

貨幣論自体は観念的議論なのでそんなに実害のない議論かもしれませんがもっと気になるのは累積債務が返せなくなることはないとして長期間赤字を続けることや累積債務を長期的に増やし続けること自体に何か問題はないのかというところです。イギリスでは第二次世界大戦後にケインズ政策が主流になりゆりかごから墓場までといわれる福祉国家を作りましたがオイルショックを契機に恒常的なスタグフレーションに悩まされイギリス病などと言われていました。そこでサッチャー首相がこれはケインズ政策が生み出した「大きな政府」による財政赤字が元凶だと断じて新自由主義的な改革を実行したという歴史的経緯もあります。

MMTの長期的影響としてはまず国債金利が上昇しないのかという点でしょう。これにより長期金利が長期的に上昇すれば長期的にインフレ率が高まりますので。マネーストックが実体経済の必要性を超えて増大すればインフレが起こらないとしても資産バブルが発生するのではないかとか、貿易赤字になったりはたまた過度の通貨安になったりするのではないかといった点も懸念されます。

MMTの金融理論も紹介されていますが内生的貨幣供給理論というものによって金融政策の効果を否定し、金利がどうなってもマネーストックに影響がないどころかマネーストックが増大すると金利が下がると主張しているようです。また金利が上がった場合は景気が良くなるなんてことも書いています。内生理論ではマネーストックが自動的に調整されて過剰になること自体があり得ないといっているようでもあり正直読んでも理屈が良く分からないところが多いです。MMTでは税は財源ではないが貨幣の流通の担保のほかインフレの抑制にも税を用いると書いてあるので要すれば金融政策は無駄だから仮に長期的インフレが起こったら増税すればいいという考えなのかもしれませんが、じゃあどんな税をどれくらい導入すればいいのかについては定見がないようなのでそんなことで大丈夫かという気がします。

MMTの金融理論は複雑なようですがポイントは貨幣の供給曲線の形状にあるようです。主流派はヴァーティカリズムといって貨幣供給曲線は垂直に近い形状であるとしMMT(正確にはポスト・ケインジアン)の金融理論はホリゾンタリズムといって水平に寝転がっていると考えます。このため金融政策について主流派と正反対の主張をしているようです。著者は主流派の理論とMMTの理論ともに程度問題であり実態をよく見るべきという立場ですがそれは貨幣供給曲線が時と場合により垂直に立ち上がったり水平に横たわったりしているように見えるということでしょう。しかしMMTが長期的にも問題ないという主張は独特の金融理論によっていると思われるため、むしろ程度問題では済まされずMMTが長期的副作用を起こす懸念は拭えないと思われます。

本書でも触れられていますが19世紀には民間銀行が銀行券を発行できた時期があったのですがイギリスにおいてインフレの原因を民間銀行の銀行券発行に求める通貨学派と銀行の自律調節機能を重視し銀行の自由に委ねるべきとする銀行学派が対立し政治的に通貨学派が勝利して中央銀行だけが銀行券を独占発行できる仕組みが成立した経緯があります。通貨学派は外性的貨幣供給理論の先祖に当たり銀行学派は内生的貨幣供給理論の先祖に当たるのでしょうが政策提言に関して学問的に対立がある場合、政治決断なり社会的決定は安全策に傾きやすいのが世の常です。MMTも長期的副作用の懸念に対する積極的な対応策を提示できないとなかなか世の中の理解を得られないのではないかと思います。

しかし著者としてはそもそもMMTに同調的であるためあまりここを批判的に書きたくなかったのかもしれません。その代わりに最終章で政府が無限に存続すると考えると国債をゼロにしなくてもいいが金利より経済成長率が低くなるとPB黒字化しなければならないというボーン条件や技術進捗率以上の貨幣成長率を維持することを求める貨幣的成長理論など主流派に属する財政赤字を一定程度認める理論の紹介をしており黒字化する必要まではないが長期的にみれば財政赤字幅を狭くしていくべきだろうという空気を滲み出しているのは感じられましたし、現時点では私もそうだろうと思います。

それより大事なのはMMTで何をするかという話でアメリカのMMTでは最低賃金で全ての非自発的失業者を政府が雇い入れる雇用保障プログラムをやるということになっています。日本の右派ではこういう話はウケが悪いので従来型公共事業や防衛費増額に使うと言っている向きが多いような気がします。本書の筆者も雇用保障プログラムに否定的でベーシックインカムがいいのではないかと書いています。

MMTについては魔法の杖ではなく長期持続性が不安視され長期的赤字の許容幅が狭いのであれば実施した場合やめにくく経費が削りにくいものはやらない方がいいと感じました。すなわちベーシックインカムやその他社会保障関係の事業はMMTになじまないと思われます。またMMTにおいても残る税の役割の1つに再分配が挙げられているように格差是正のためには社会保障関係の事業は税によって実施することが望ましいと思われます。

雇用保障プログラムは景気の悪い時は増額し景気が良くなると減額できるという点で財政的にはビルトインスタビライザーになっていると思いますが著者が指摘するように社会全体に非効率な仕事を増やしかねないので人が余っていて困っている国ならともかく日本のような労働力不足の国でやることではないと感じます。そうなると結局景気対策はケチらずにやった方がいいよ程度の話に落ち着いてしまいそうですね。現状では借金返済のために消費税増税を求める勢力を牽制できるくらいが唯一の利点でしょうか。

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