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当時を振り返ってみた【不登校でも学べる 学校に行きたくないと言えたとき】

最近友達と「不登校」について話すことが多くなった。
お互い中学生のときは不登校で、当時はそこまでお互いの事情について触れなかったが、大人になって当時を振り返って「あのときしんどかったよねぇ」と話すことが多くなった。

私自身は幼稚園の頃から行き渋りが酷くて、母親も大変だったと思う。
小学校も1年生から3年生ぐらいのときは学校が大嫌いで無理やり親に連れられ渋々ながら通い、4年から6年は楽しく通っていて、中学1年はまぁまぁ楽しく通い、中学2年と3年は完全に不登校。
中学2年のときは市が運営しているフリースクールみたいなところへ行き、3年生の時は別室登校をしていた。
別に誰かからいじめられてたわけではない。
「なぜ不登校だったの?」と聞かれると明確な答えを言えない。
中学は部活が嫌だったということがひとつ原因としてあるが「学校の窮屈で閉鎖的な感じがとてもしんどかった」ことが私が不登校だった一番の答えかもしれない。

今、自分のメンタルが安定していないのは子どもの頃から不登校で嫌なことから逃げていたからかもしれない…とそんな余計な妄想をすることが最近増えた。
結局あのとき、どうすれば良かったのか。
当時は自分なりの正解を選んだつもりだが「もしもあのとき無理にでも学校に行っていたら…」と考えてしまうときもある。
今後のためにも不登校について書かれた本を読んでみて、当時を振り返ってみようと思った。

不登校でも学べる 学校に行きたくないと言えたとき

今の時代は無理矢理、親が学校に連れていくパターンは少なくなっているらしい。
不登校に関するニュースを見ても「無理に行かずに休んでいい」という言葉を見かける。
私は小学生の頃は親に怒られ、叩かれ、無理矢理学校に連れていかれた記憶がある。
当時は親のことを恨んだが、時代的に世間体というものがあったのだろう。
中学生のときは流石に無理矢理学校に連れていくのは親も諦めたが。

どんな学校なら当時通うことができたのか?

自分の興味・関心に従って、自分のペースとやり方でできるのがいい。何度も同じことをやらされたくない。カリキュラムに縛られず、先生以外の大人もいるオープンな環境だと、なおいいかな。

不登校でも学べる 学校に行きたくないと言えたとき

まさにコレ。
高校がこんな感じの雰囲気だった。
単位制の学校なので、高校卒業のために絶対に取られなばならない教科の単位はあったが、残りの単位は興味関心で選べる。
私は美術が好きだったので美術と、興味があったパソコンの授業を主に受けていた。
ひとそれぞれ時間割が違うので、授業の時間になったら指定の教室に行く。
クラス単位の行動もなかったのが良かった。
あと行事も参加・不参加を選べた。
体育祭、文化祭、遠足、欠席。
興味のある行事しか行かなくて良かった。
守るルールはあるが、おおむね「自分でやりたいことを決める」ことができる環境に魅力を感じた。
小学校や中学校は窮屈で、それと比べると高校は縛られてない自由な感じがとても居心地が良かった。

集団生活がとにかく苦手だったと言ってしまえば、それだけなんだけど。
それは大人になても、笑ってしまうぐらい変わらない。
中学のときは不登校なりに勉強はしていて、テストも受けて、いつでも途中でクラスに復帰する準備は常にしていたが、やっぱり無理だと最後は諦めた。
勉強が遅れる心配よりも、あの空間に入りたくなかった。
当時は「学校に復帰しなきゃ!!」と必死だったが、本に「必ずしも学校の復帰をゴールとはせず、自分らしさを取り戻す、すべての子どもが楽しく学び続けられることができればいいのではないのか」と書かれていて、少し救われた気分になった。

不登校からの復帰を支援する方々の声も興味深かった。

メディアで取り上げられる不登校経験者のローモデルにも違和感を覚えます。不登校だったけど一流大学に行けましたとか、留学しましたとか、プログラミングが大人顔負けです、とか。その子が自分らしく安定して暮らせるようになりました、で十分でしょう。どうしてもわかりやすい”成功”を求める風潮がありますよね。

スポットライトを当てられて世間からの拍手喝采を浴びるようなひとをロールモデルとする教育観がいまだに世にはびこっています。それをメディアが持ち上げます。しみじみとした地味な幸せに対する社会的感度がどんどん鈍くなっていきます。そんななかで、子どもがただ自分らしくあることを認められづらくなっている。

不登校でも学べる 学校に行きたくないと言えたとき

これは別に不登校の子どもに限った話ではないと思う。
大人でも分かりやすい「私成功しましたー!」やマウントを取る行為がメディアで目立つ。
その方たちも必死に努力をして勝ち取った結果だと思うが、やっぱり「あんな風に成功しなければならない」という思いこみが自分の中に刷り込まれてしまう。
その刷り込みと今の自分を比べて、惨めな気持ちになる。

学校や社会がシステム化されて、子どもも先生もそこに過剰適応させられてしまったら、自分で考えて試行錯誤する隙間がなくなるわけだから、人間関係や学びの土台が揺らぐのは当たり前です。

不登校でも学べる 学校に行きたくないと言えたとき

この文章を読んで、私も不登校になってしまったのは仕方ないことだったのかなぁと思うことができた。
確かに日本の教育システムに適応できたら、この国で生きやすいとは思う。
学校の義務教育はそういう人間の育成機関でもあると思うから。
そこに適応できない人間がどう生きていけばいいのか、それを考えなければ将来が詰んでしまうが、その答えは私にも分からない。
現在進行形で悩んでる。

生きていくために勝ち組になる必要なんてありません。ひとと競争なんてしなくていい。自分の信じる道を自分のペースで堂々と生きていければ、人生は大成功です。

不登校でも学べる 学校に行きたくないと言えたとき

どうしても焦る。
子どもの頃もそうだけど、今も常に焦っている。
自分のペースで働くために今の道を選んだのに、そのことに自信を持てない自分がいる。
ひとと比べてもなにも産まれないし、周りがどれだけキラキラした人生を歩んでいても、その横で自分が納得しながら地味でマイペースにコツコツと歩けたらそれで良いはずなのに。
やっぱりどうしてもネットで見かけるキラキラを羨ましく思う自分がいる。

「子どもの頃、不登校だったから逃げ癖がついたのかもしれない」そんなことを考えていたが、この本を読んで少しだけ気持ちが楽になった。
あの頃の気持ちを少しだけ消化できたようにも感じる。
やっぱり周りに何を言われようが、ネットで心無い不登校に対しての言葉を見ようが、今自分が楽しく生きていればもういいんだと思う。
しんどい時間だったけど、不登校だったあの時間も大切な時間だったと思いたい。

現在不登校で悩んでる子どもや、親御さんにはおすすめの本。
現在のフリースクールや学校の現状、色々な生き方があることを教えてくれる。
特にフリースクールについての情報は興味深かった。
地域差はあるが、今はこんなにも支援をしてくれるんだと驚いた。
不登校の将来は全員が全員明るいわけではない。
良い学校や良い人との出会いの運もあるし、巷に転がっている成功体験ばかりではない。
私みたいにメンタルの調子を崩してしまっているパターンもある。
どう転ぶか分からないが、たくさんの選択肢から子どもに合った答えを探す材料にはなるので、息抜き程度にこの本を読んで、ひとつ参考にしてほしい。

学校には行けなかったが、勉強は好きだった。
知らないことを知るって楽しいし、今も本を読んだり、動画を観たり、学ぶのはとても楽しい。
それは今も変わらないので、そのあたりは高校や大学のおかげだと思う。
もう少し通信制や単位制の高校や大学みたいな、柔軟な学校が小学校・中学校で増えれば不登校は少しは減るかもしれない。
そこが難しいからこんなに社会問題になっているわけで。
どんな形であれ、それぞれ事情を抱えた子どもたちが納得できる形で社会復帰できれば良いなぁと思う。

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