見出し画像

間違うことは悪いことではない

仕事内容の詳細は書けないが、一緒に仕事をしているチーム全員が認識を合わせてタスクを消化していかないと成り立たない仕事をしている。
ざっくりな説明だが、ある事柄に対して評価基準を揃えなけれなならない。

その認識のすり合わせを行うために、AとBという選択肢が2つあったとして、もしAを選ぶなら、Aを選んだ理由を教えてくださいと言われる。
「自分の意見を言ってください」と言われたとき、そこにいる全員が、私を含めて声が小さくなる。
これは自分の答えに自信がないからだと思う。
私も自分の番が回ってきて、なぜこの選択をしたのか、理由を述べるが、やっぱり自信がなくて声が小さい。
まだ仕事内容が会社としても手探り状態なので、仮に間違っていても何も責められはしない。
むしろ「疑問点を挙げてくれてありがとうございます」と言われる環境だ。
だから間違ったとしても別に何も自分の評価に関わらないし、怒られるわけでもない。
でも、やっぱり自分の意見を言うのが怖いと感じてしまう。

そんな話を相談したら「間違ったとしてもハキハキと自分の意見を言うと周りからの評価が変わります」と言われた。
その答えが間違ったとしても、自分の意見や考えをはっきり言うと、言ったあとの自分自身の気持ちも変わるし、周りからも「ちゃんと意見を言える人」だと評価されるという話だ。
貴方がそう考えて答えを出したなら、同じような答えを持っている人もいるはず。
その人たちの今後の参考にもなるし、良いことしかないと指摘された
確かに、別の人が理由を述べたとき、同じ意見ならものすごく安心する。
違う意見なら「違う」と言ってくれるし、全員で正しい答えは何かと考えるきっかけにもなる。
自分の意見をスパっと言える人って、信頼しようと思うし、頼もしい。
自信なさげで小さな声で正しいことを話しても、間違っているようにも聞こえてしまう。
自分の意見ぐらい、はっきり言いたい。

なんで自分の意見を人前で言うときってあんなに抵抗感があるのだろうか。
自分の意見を否定される怖さがあるのかもしれない。
否定されたとしても、それは意見の「内容」についてなので、私の人格を否定されている訳ではない。
でもやっぱりそこを一緒に考えていて、怖さを感じている自分がいる。

いきなりパッとハキハキと自分の意見を言えるとは思えないが、少しずつ自分の意識を変えていければいいなと思う。
隣の席の方が仕事中に自分の中で浮かんだ疑問点は随時質問をしている。
分からないことは分からないとはっきり素直に言う。
「困っている」「助けてほしい」がちゃんと言える人。
私も今のままではいけないと思い「分からない」は言葉にしようと思って、責任者の方に思い切って質問するようになった。
向こうもちゃんと誠心誠意答えてくれるし、分からないところは一緒に考えてくれる。
別に間違っても大丈夫!…と自分に言い聞かせてながら毎日質問をしている。

最近読んだ本に「人生では弱音を吐けたほうが絶対に良い。弱音を吐くと人が集まる。弱音を吐くことは人に頼る力でもあるのだ。」と書いてあった。
「分からないこと」と「弱音」は違うとは思うが、なんでも自分で抱え込まないという意味では一緒だと思う。
ひとりで抱え込んで自滅してきたタイプなので、この辺は気をつけなければならない。
ひとりで仕事をしている訳ではないので、周りを頼りながら、ひとつずつタスクを消化していく。
「人に頼る」「遠慮しない」が今後の私の人生のキーワードかもしれない。

この記事が参加している募集

最近の学び

サポートして頂けたら、とても嬉しいです!励みになります!よろしくお願いします!