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近頃の夢の解釈について
近頃は夢の解釈に、夢のモチーフから読み解く「いわゆる」夢判断を楽しんでいる。
夢日記などをはじめた2020年~2022年の時は、ユングやフロイトや河合隼雄などの考え方を参考にしつつ、誰かにその夢を聞いてもらい、そして聞いたい時の印象や、その人が思った事などを参考に会話形式で読み解いていたのだが、今は一人で読み解く事が多い。
とはいえ、一人での夢の解釈は自分の理解できる範囲でしか進まないので、そ
ある日の夢「早朝の散歩 鴨の池」
絵の制作枚数が増えてくると、夢も増えるような気がする。何故そんな事を思たのかといえば、このNOTEに投稿する時に付ける絵に困ったことが無いからなのだけど。。。。
そんなこの3年間ほどで起こっている体験からの逆算。それをある程度相関関係があるものとすれば、一日の制作枚数が少ない時は、夢も考察も詩もあまり投稿していない事になる。そして確かに、手のかかる絵を毎日描いている時は、投稿数も少ないようだ。
何をしようと あなたと大差ない
写真であろうと 実物であろうと
実際に体験したものしか描く気がしないからこそ 思う
絵は いや絵に限らず「表現」は
技術力とかも もちろんあるが しかし
自分が見えている世界がどうなっているかなんだな と
それが空想であっても 象徴であっても 現実であっても
何かを生み出すことは
自分をさらけ出すことと 大差ない
一歩でも歩けば 世界に自分をさらすのと 大差ない
「占い」という別角度からの見え方
この前見た 他の人の占いで
私の使命は「他人のしりぬぐい」と書かれていた
なかなかショッキングだ
普通の会話で
「あなたって しりぬぐい のために生まれて来たのね」
なんて言われるだろうか? いや ないだろう。
でもその言葉から考えてみると
思い当たる行動が見つかった
それは 私からすると
私自身の心地よさのためにしている行動だったが
見ようによっては確かに しりぬぐい だ
そう思ったとき
根っこの方にある科学感
内蔵と宇宙の声は似ていると思う。
西洋でも東洋でもいいのだけれど、とりあえず医学が進歩して、私達は内臓を知っている気がするような気持ちになれるようになった。医学書なんかなくても、ネットで体の内部にあるらしい内臓の一つ一つを検索すれば色々書かれている。まったく便利だ。だけれどそれは「私の」内蔵の話なのかというと、どうなのか全くわからない。きっと言えるのは「大体そんな方向です」ってことだろうと思う。
ある日の夢「胆のう」
自分の内臓の状態を夢で確認しようと思ったので、とりあえず前身ごろの肋骨の下あたりに焦点を当てて夢をみてみた。内臓の配置を知っているわけでは無いので、場所は適当に決めている。夢をみた後で調べればいいか、という感じだ。
夢はこうだった。
「暗い空間で、一人の私が指揮をとって複数の作業者と共に絵を描こうとしている。描きたいもののイメージはちゃんとあるのだが、しかしイメージそのものが理想的過ぎて描く技術