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根っこの方にある科学感

内蔵と宇宙の声は似ていると思う。
西洋でも東洋でもいいのだけれど、とりあえず医学が進歩して、私達は内臓を知っている気がするような気持ちになれるようになった。医学書なんかなくても、ネットで体の内部にあるらしい内臓の一つ一つを検索すれば色々書かれている。まったく便利だ。だけれどそれは「私の」内蔵の話なのかというと、どうなのか全くわからない。きっと言えるのは「大体そんな方向です」ってことだろうと思う。

こちらも西洋でも東洋でもいいのだけれど、工学とか光学とかそういった科学が進歩して、私達は宇宙を知っているような気がするような気持ちになれるようになった。とはいえ、ちょっと調べれば相変わらず宇宙の99%はダークマターなんていうファンタジーで常連な、今の科学では焦点が合わないものでいっぱいらしいが、それさえ「まだ分からないもの」という分類という手のひらに中にある気がすることによって、分かっている感じがするのだ。

膵臓がどんな機能を持っているのか?と聞かれて医学書を読む人もいるし私のように占星術を読む人もいる。多分その延長線上に宇宙を読む人もいるのだと思う。だってどれも一枚のヴェールの向こうを覗くような行為なのだからそこに何か大きな違いがあるのだろうか?違いがあるとすれば、今の時代ならどの要素で膵臓を考えた方より多くの人に「納得感」を与えられるか?ではないだろうか。きっと紀元前なら宇宙の声の方が「納得感」があったのではないだろうか?

医者が何かしら手術したとする。その医者は確かに彼の行動として真実として手術をした、らしい。私はそれを疑ってもいいが、医者やカルテや、他の人達の反応や自分の体に刻まれた跡や検査の数値や、そういったものが全力で「あなたは手術されたんですよ」と覆ってくるなかで、一人「そうかなぁ」と思うのはかなり骨が折れる。それに治りたいし。治りたいなら「治った」のだと信じてしまった方がいい。折角全力でこちらを信じさせようとしているのだから、それに抵抗する理由なんてない。

この一連の行動は、インディアンの中に出てくるシャーマンの行動にとてもよく似ている。そこに「科学的ではない」という言葉を差し込まなければ、そのなかでの「納得感」は健在だろう。

とはいえ一応断っておくと私は存分に今の時代に今の日本で浸かっている人間なので、じゃあシャーマンに治療してもらいますか?と言われたら断固拒否するし、占星術で病気を治そうともあまり思わない。それはつまり、それだけ科学を精神の根っこの方から信じている。ということだ。

今の時代に居てそれを外せる気は、あまりしていない。

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