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【不登校】あなたの心はあなたのもの〜親である私|エッセイ

 子どもが不登校になると、ほとんどすべての親が悩み苦しみます。例えば、こんなふうに悩んだことはないですか?

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 「〈不登校を受け入れましょう〉というけど、そんな悟りを開けないから駄目なの?」


 「周りからの視線が余計プレッシャーになってしまう…うちは正常じゃないの?」

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 もっともな話です。それらの自問はじわじわと親を苦しめ、身動きがとれないほど締め付けてゆきます。

 でも、本当に「もっともな話」でしょうか?

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 わが家のケースを記しながら、それぞれの悩みで気付いた結論を述べてみます。

ケース①不登校を受け入れられない

 私はもともと真面目な人間なうえ、根性論が幅をきかせていた昭和世代です。「学校を休む」のは「サボっている」のと同義語でした。もちろんわが子の不登校には拒絶反応。一刻も早く、学校に行かせたいと切望していました。登校できない日が続くと、悶えるほど苦しみました。

ケース①結論:
「不登校」の事実を受け入れたくないなら、それでいい。
「わが子」そのものを見つめてみよう。

 (わが子を受け入れた私の経緯は、拙記事〈【不登校】こじれからの脱出〉にあります。)

 不登校の事実だけに目を向けるから、苦しみが募るのです。わが子の様子をよく見ていると、子どもなりに何とかしようとしているのに気付きます。横槍を入れてはいけません。黙って見守るうちに、親も子も落ち着きが生まれるはず。すぐに折り合いがつかなくても、それは当然。
自分の心も、子どもの心も否定しない方が楽になれます。とにかく楽になりましょう。

ケース②:周囲からのプレッシャー

 ママ友と子どもの話をする時、「大変ね…」などと返されて辛くなる。
 担任の先生との懇談会で、成績表の欄が空欄になっていて焦る。
 自分の親や義理の親などから、「どうなっているの?」と聞かれて困る。
 
 様々な場面で親にもプレッシャーがかかります。私も経験してきました。

 地方の長男の家に嫁いだ私は、息子を出産して義理の父に連絡した時、こう言われました。

「でかした!!」

 その一言に息子への並々ならぬ思いを感じた私は、それからずっと家を継ぐ子を育てる「責任感」のようなものを抱いていました。前時代的ですが…

 でも、他人様から受けるプレッシャーは、無視して良いと思います。

 人はそれぞれ、自分の山を持っています。自分の山をどうするかは自分で決める。木を植えても良い。見晴らしの良い家を建てても良い。場合によっては山焼きをして再生しても良い。そして、相手の山をどうするかは、相手が決めるのです。同じ山ではないことを胸に刻みましょう。言い添えると、親と子も、やはり同じ山ではありません。

ケース②結論:
他人に振り回されない。わが家はわが家、よそはよそ。あなたの心はあなたのもの。

みんな違って、みんないい。


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