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おじさん観察日記(主に大学教員)②

大学やアルバイト先など、所属する組織で居心地良く過ごしたことはこれまで一切なく(家庭環境もよろしくないので心の安全地帯が欠落したまま大人になった)、鬱が寛解してきて元気になった頃、生まれて初めて人間関係に一切の問題がなく楽しく働ける、という今の職場に出会った。
男性も女性も適切な距離感で、人間関係の希薄な現代の殺伐さはなく、むしろ良い意味で前時代的な朗らかな人間性の交流が持たれる場所で、私の精神衛生はどんどんと回復していった。(飲み会で嫌なこと一切言われずただひたすら楽しく会話が進む、廊下ですれ違えばお菓子や果物や野菜などが物々交換される。たまに昼休みにみんなで料理して楽しく食べる、昼休みや仕事終わりの30分間自由参加で卓球をしてる人たちがいる、など)

私の出身大学の周りの人間は大半が卑屈な陰キャで、私もそうだった。「元気で明るい研究者」には縁がなかったのだが、この職場はむしろ8割がた「元気で明るい研究者」だった。これが文献研究者とフィールドワーカーの違いなのか、、?などと思ったものだ。陰キャの私はいわゆる体育会系や陽キャと呼ばれる人種が苦手だと感じていたが、この職場の朗らかな人々は嫌味の一切ない健全な陽キャだったため、目から鱗というかカルチャーショックで、そして健全なコミュニティに受け入れられるのがこれほど幸福度を高めるものだとは、以前の私には想像もできないことの連続だった。

しかし新年度になり、配置換えが行われると、当然だがこの楽園も完璧ではないのだという事実に行き合った。たまたま前年度関わった人々が、本当にほがらかで思いやり溢れる人々だっただけで、職場の人間全員が節度ある振る舞いのできる健全な陽キャばかりでは、当然ないのだ。

私にとっての楽園に急遽さした不穏な影、それが今の上司である。

コロナ禍の終わりかけ、在宅から対面への移行期で彼とのやりとりは主にメールで行われた。軽い自己紹介のあと、今度出勤の際ランチしましょうと誘われた。「どんな野望をお持ちの方なのか、興味津々なので…」と文末に添えられていた。
仕事のメールしてていきなり「野望」というワードが出てくるとは、変な人だと思ったが、前年度関わった人は皆いい意味で健全に変態で面白い人たちだったせいもあり、警戒心はゼロであった。

会ってみると小柄で薄毛の冴えない、腰の低いおじさんであった。
お喋りではあるが会話がうまいというわけではなく、ときおりちらちらとこちらの顔を盗みみるような、反応を伺うような目線が少し不快に感じた。
ことあるごとに「まだ若いのにそんな、よく知ってるねえ」という言葉を連発するのも、不愉快であった。この発言の前提には若い女はものしらずである、意見をはっきり述べることはない、という思い込みがあるのが容易に感じられたからだ。この職場に来てから久しくこうした扱いを受けていなかったため、逆に新鮮な気持ちにさえなった。

そして彼は小出しに、反ワクチンの話題をだし、控えめに、しかし執拗に「大きな力に騙されず弱者同士力を合わせて助け合いましょう」などとメールを送ってくるようになった。「真実を知りましょう」という内容に、ソースとしてニコニコ動画のリンクが貼ってあって、声を出して笑ってしまった。めっちゃ久しぶりに見たなニコ動。内容はどこぞの私立の病院の院長がよくわからない非科学的な話を口角泡を飛ばしコメント欄には頭の悪そうな保守派言説が並んでいてもはやワクチンの話題どこいった、というような状況だった。異文化だすげえとまた面白くなってしまった。

面白がりつつも繰り返される反ワク思想への勧誘にうんざりしたため、もうワクチンは接種済みであるしそのようには考えない、賛同できず申し訳ないとと述べると、ワクチンの妊婦への影響などを語り出し、独身か、彼氏はいるのか、妊娠は希望しているのかと捲し立ててきた。躊躇なく一気に地雷ぶち抜いてくるやん、と感心さえしてしまいつつ、結婚しているが今のところ子供を作る予定はない、そしてその話題は不適切である、ということをやんわり伝えたが、今度は既婚者であることにショックを受けた様子で、今は仲がいいかもしれないが結婚というのはいずれ苦難に直面する、自分ももはや別居状態である、などと自分の夫婦間問題を吐露してきた。いやマジで何の話?つかあなたこそ既婚者で子供までいるの、そうか合点がいった、プライベートがうまくいかずその原因を陰謀論に見出しその界隈が理想とする女性が三つ指ついてくれる強い男像にやんわりと憧れがあるからこそのこういった言動なのね。なるほどね。

実際に私がコロナに罹患してしまい欠勤する旨をメールで伝えると、「イベルメクチンを分け与えてやるから住所を教えろ、車で渡しにいく」という返信が秒速で来た。イベルメクチン信者…現実に居たんだ…とまた感心してしまった。うちの職場にそんなバカはいないだろうと思っていたが、この人本当にアホなのかもしれない。無視していると電話がかかってきて、それにも出ずにいると留守電で同じ内容が繰り返され、妊娠がどうたらとまた滔々と述べ出したのでついに私も我慢の限界、メールでいい加減にしろ(意訳)という強めの拒否、否定の返信を行った。

ようやく反ワク勧誘は止み、一時的な平穏が訪れた。
反ワク勧誘に関しては。

その後は部下が作業中のところに午後に一回ほど事務連絡で覗きにきたついでに、その場にいるメンバーを確認した上で、下ネタもしくは反ワク以外の陰謀論を小出しにしてくるのが日課になった。彼と同じ役職か上の人物が同席中の場合は事務連絡だけで世間話はせず早々と去っていく背中は実に小物然としていた。巨悪に騙されず助け合いたいなら偉い人も勧誘すればいいのに。幸い陰謀論に関しては、シャンプーがいかに製薬会社を儲けさせるだけのインチキなものなのか力説、湯シャンのみの生活に変えたが抜け毛は増えた、という何をどう突っ込んでほしいのかわからない戯言を囁いてはどっかいく、というようなレベルにとどまった。10年くらい前にアメリカで流行った金融関連の陰謀論とかも嬉々として語っていったりしていた。科学や数字に疎い人たちに限ってこういう話大好きだよね。

下ネタの内容といえば朝のジョギングですれ違うノーブラのおばさんの話とか、AV女優が出した下世話な本の話とか、石田衣良のセックスしてるだけの小説の話とか、村上春樹の以下同文とか、を非常勤の女性部下しかいない時を見計らって控えめに恥ずかしそうにうふうふと話してくるのである。こういう話を女性部下にするおじさんたちは大抵こちらが恥ずかしそうな反応をするのを見て喜んでいる、と何かで読んだ記憶があったので、あははと苦笑しながら話を流していく女性同僚の横で私は男性用ブラとかもありますけど世間のランニングおじさんみんなノーブラですよねとかそれは気にならないんすか、石田衣良の文章ぺらくて中身なくて嫌いっすね村上春樹はスノッブ青年の俺モテ話ばっかりって先入観のせいであんま読めてないし読む気ないしサリンジャーの翻訳だけしててほしいっす、というようなことを丁寧な口調で返し、全くうまくいってないことは自分でも理解しているがなけなしの抵抗を示したかった。きもいおっさんという意識を前面に出して仕事のやりとりに支障をきたしたくなかったため、冷たい態度は取らず反感を持ったことには淡々と空気を読まない感じで丁寧にいこう、というのが私の当時のスタンスだったのだ。

多くの女性は「アホと戦うな」というセオリーを実践しているのに対し、未熟な私はセクハラの無視は根本解決に至らない上にセクハラエスカレートへの受動的な援助になる場合も多い、という認識であるため、戦える場合は戦いたいと思っている。上の返答は戦ったことにはならないだろうが、ヘラヘラとセクハラ話を気持ちよく言い逃げしていくのを防ぎたかった。また彼のセクハラ話ではたびたびホモフォビアも滲み出ていたので、会話の方向をジェンダーイコールやフェミニズムの話、家父長制批判になるべくすげ替えるよう努力を重ねた。努力の結果かわからないが、単なる性的な話は次第に性的な社会問題の話、として向こうも振ってくるようになった。この方向の話題なら性的なものでも構ってもらえる、と思われただけかもしれないが。

彼は一般的に鼻持ちならない偉そうな俺様おっさんではなく、一見気遣いがあり腰が低いがそれは卑屈さからくるもので心の奥底では俺様ぶりたいが社会的成功を納めていないのでそれができない、直接的なハラスメントが自分の地位を脅かすものだとも認識しているので大きな真似はできない、しかし根本では男尊女卑思考で自分が尊ばれたい欲求が常にあり周りの女性を見下している、あまり大ごとにしないでいてくれそうな弱い立場の女性部下にだけほんの少し自分の欲望を出す、というミソジニー仕草がじわっ…と滲み出てくるタイプの弱気なおっさんで、これはこれで前者のおっさんとは違うタイプの気持ち悪さを感じさせるし腹が立つものだ。

単なる「おじさん」だから舐められる、と被害者ぶる人たちがいるが、私たち若い女がおじさんを見下すときは上記のような背景があるために見下しているのだ。見下される覚悟のあるものだけが他者を見下せクソが。

東浩紀が中年のおっさんであることにまつわる傷つきを呈しているのをXでしばらく前に見たが、人生の大半を人間扱いされてこなかった若年女としては、自分こそが傷つき被害を受けている可哀想な存在なのだとぷるぷる震えているおじさんたちを見ると、「そうそう、その気持ちー、人って軽んじられたり、しかも個人として向き合うのではなくカテゴリで雑にくくられて尊重されないことに一番傷つくんだよねー」と思う。そしてあなたたちは今まで、そういう態度でどれだけ他者を軽視してきたか、自分が年老いて初めてそういう立場に落ちた時、自らを顧みることが決してないというのも面白い現象だと思う。

社会から背負わされているプレッシャー、ストレスを、目下の人間にぶつけてしまう男性は数多くいる。内に秘めたコンプレックスを解消するため、「強い男」「権力・権威」を心の支えにしようと努力したタイプのおじさんたちは、少しでもプライドが脅かされる状況になると激昂することが多い。①で触れた最初の指導教官がそうだった。彼の口癖は「これで少しは尊敬してくれたかな?」であった。常に満たされない承認欲求を抱えて40年、自分を敬い優しく認めてくれる存在以外は全て敵と思う精神状態に至るほかなかった彼の境遇には同情が禁じ得ない。(というと勘違いする人が多いのだが、可哀想だと思うことと罪を許すことは別である。自分が優しくされずに過ごしてきてやさぐれたからといって、他人を不当に扱うことは正当化されない。しかし男性全員を糾弾し断絶を深めるだけの態度にも賛同できない、ので私はまず、男女問わず全ての不当な扱いに傷ついてきた人に、状況に、悲しさと怒りを覚えるばかりである。)
一方、社会的な成功を手にできず、「弱い男」になってしまったおじさんたちの生態を深く観察する機会には、あまり恵まれていなかった。
院生のころ、居酒屋でアルバイトをしていた際は、客のおじさんからよく「女のくせに大学、まつさえ院にまで行くなんて、親が金持ちでよかったな」「贅沢な遊びだ、アルバイトも遊ぶ金欲しさにだろう」「最悪女は結婚するか体を売るかして生きられるからいい身分だよな」などと時代錯誤も甚だしい、かつオリジナリティのかけらもない陳腐な言葉を何度も投げかけられた。実際に学歴コンプや男尊女卑の価値観を持ちそれを隠しもしない大人と会話をするのはこのバイトが初めての経験であったため、衝撃と怒りのあとに、より大きく純粋な興味が湧いたものだ。私が育った環境と、彼らの環境には、どれほどの差があるのだろうか。そしてそれはなぜ起こってしまうのだろうか。皿を洗いながら酒と料理を提供しながら彼らの生い立ちを探るには時間が少なすぎた。

ので、この弱者男性的振る舞いをする弱気のおじさん上司は、貴重な観察サンプルであった。

さて、私の書き殴り文章は推敲せず怒りに任せて書いているので、読みづらいこともさることながら、ダブルスタンダードに満ちているのを自覚している。
私は「女」と一括りにされるのを厭いながら、侮蔑の意味を持って「おじさん」「おっさん」という語句を使用してしまっている。侮蔑の意味を表す修飾語が省略されて使用されているのがさまざまな議論をややこしくしている原因だと思う。(鼻持ちならない)女(傲慢で気持ち悪い)おっさん、逆に自分にとって((都合の)良い)女、((危害を加えない)分別のある)おじさん、といった具合に単なる一語に意味が含められすぎて使い分けの説明もない文章が世に溢れている昨今、言葉をもっとフラットに使えたらどんなに良いだろう。「身の程弁えた」女・男、という表現も最近は妙にむかつくなあと感じている。

そこで次回はこの困ったおじさん上司の、何が彼を「きもいおっさん」たらしめてしまったのか、彼の家庭不和の詳細が明らかになった経緯から彼個人の問題にフォーカスしていきたい。(つづく)


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