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タワマン文学#12赤坂見附

「私、やっぱりワーカーホリックなんだなって思った」

桜子は自分が無意識に言ったのだと思って、口を押さえた。目の前には右手でピルスナーグラスの縁を弄っている椿子が頰杖をついている。椿子から返答はない。

「え、聞こえなかった?」椿子はグラスを傾けた。
桜子があ、ごめんねと伝えると、小さく咳払いをして、

「私さ、やっぱりワーカーホリックなんだなって思ったんだよね、最近」
椿子が言った。桜子は同意をする前に、やはり姉妹だと、スープを飲んでいるようにじんわりと暖かさが広がった。
 椿子から連絡が来たのは1週間前だった。13時からのオンラインMTGが後ろ倒しになって比較的余裕ができた時にプライベートのスマホが動く。chikoの名前と娘の桃ちゃんと写っているアイコンが3ヶ月ぶりにトップに表示される。

“久しぶり。来週の金曜日だけど、空いてる?“
“残念だけど空いてます。場所は赤坂でいい?“
“姉妹の感動の再会なんだから残念はないでしょwまた連絡する!“

 3ヶ月ぶりの姉妹の会話は猫のようなパンダのようなスタンプで終了した。桜子はoutlook画面で来週の金曜日の1800から2200までスクロールし、予定あり、と打ち込む。
 形だけの休憩時間はメール、スラックの通知が止むことはない。気合いを入れ、優先順位をつけながら対応していく。桜子が全てボールを投げ終わった時には、商談まであと5分。塩田くんが予約したチームメンバー用の会議室に向かう。自分のパートを思い出しながら、会議室に入ると既に赤木課長、中田先輩は用意していた。接続セットも塩田くんが対応してくれている。

「それじゃあ、繋ぎますか。頑張りましょう」
 赤木課長の穏やかな鼓舞で商談が始まる。

 桜子は仕事の楽しさを早く味わっていれば、今はどうなっていたのだろうかと考えることが多くなった。入社したときは同期の聡美、怜、希美と“顔面偏差値がそこそこ高い大手企業新卒OL“の名刺を使って財布を出さずに回らない鮨、西麻布のバー、自分の給与では買えないバックやイヤリングを手にしてきた。雑誌で見るような、華やかな東京を愉しんだが、一方で相手は私じゃなくてもいいこと、私は1人じゃ何もできないことを徐々に感じ、どこかで抜ける必要があると判っていた。

 怜と希美はこの“ゲーム“で結婚というゴールを選んだ。聡美は2年前に会ったときに会社の後輩といい感じと言っていた。元気にしているだろうか。みんなこのゲームから出、新しいステージに進んでいる。
 桜子は、仕事を選んだ。私が動かしている、私を頼ってくれているような、ただアサインされたものであっても年次が上がるにつれ任せられる内容が大きくなってくるのは自分の進捗感と承認欲求を満たしてくれた。
 
 桜子は自分こそ、20代前半で結婚するのだろうと想定していたが、彼氏もおらず仕事をしている。お食事会も誘われるが、ここ1年は仕事を優先していた。今までの港区女子ごっこをしていた自分が今の自分を見たらなんというだろうか。結婚できない言い訳をしているのか、かっこいいというのか。
 仕事の手を緩めると答えのない脳内会話が始まる。桜子は深呼吸をし、backlogの課題管理を進める。
 
 椿子とは桜子の職場に近い赤坂見附で合流した。桜子は先週美容室でトリートメントしたミディアムヘアをゆるく結び、オフィスカジュアルなパンツスタイル、Tをあしらった金のストラップがついた黒のトートバック。3分後に現れた椿子はボブカットにボーダーのカットソーにグレーパンツ、スニーカー。リモートワークメインとはいえ、ラフな服装に桜子は、桃ちゃんが出来てから変わったと察する。側から観れば、2人は友達とも思われないだろう。生き方が違えば、それは服装にも現れる。
 
 2人ともそこまでお腹は空いていなかったら、桜子が行きつけにしている、405号線を見下ろせるクラフトビールの店に入った。店内は週末を楽しんでいる男女で騒がしく、ひっそりと3席ほどのテラス席にした。ピルスナーグラスを乾杯の発声とともに控えめに合わせる。外のタクシーがうるさい。
 「はー。うまい」椿子は半分ほど一気に飲み、うちの部長のようなおじさん態度だ。誰から見ても綺麗な飲み方を意識している桜子とは対照的で、見た目が変わっても姉妹の関係性に心地良くなる。

「今日はどうして?」
「先月旦那の飲み会が多くてさ。私は全然いいんだけど、何を思ったか桃は見ておくから気晴らし行っておいでって。毎晩晩酌しているし、時々友達にもあってるから逆に困ってね。それで桜子の出番」「御指名いただきありがとうございます」
「まぁ年末年始だけだからね、予定調整せずに会えるのなんて」

 近況報告もそこそこに、会話は枝葉のように広がる。リモートで知らない人との距離の詰め方、運動不足の対処法、保育園のママ友、マッチングアプリ、結婚生活。
 それぞれ3杯目のビールに口をつけるときに、椿子は言った。

「私さ、やっぱりワーカーホリックなんだなって思ったんだよね、最近。保育園さ、出社業務があるときは7時45分には預けられるんだよね。でもリモートが増えてきて、8時30分ごろから預けられる日も出てきたんだけど、この45分の使い方がわからない。この時間あったらメールの返信でもしようかな、とか。企画書考えようかな、とか。でも桃が遊んでって言ってくれば相手したい、いや、相手しなくちゃいけないのがさ、なんだかなーって。」

桜子は沈黙で続きを促す。

「仕事での達成感というかやりがいを全然感じられないんだよね。みんな私が子どもいるからって、サポート系の仕事ばっかりが多くてさ、もっとちゃんと仕事したいなーって思ったりすると、こんな母親で大丈夫かって不安になる。どうしたもんかね。」
疑問系を口にしながら、椿子は答えを求めていないことはわかっていた。
「そりゃ、私たちあの父親の娘だから、そうなるよ」
「…そうだね。確かにそうかもしれない。」2人は同じタイミングでグラスを傾け、目を細めた。
 
 椿子と桜子の父親はそこそこ有名なコンサル企業に勤務している。3年前の正月には取締役になったと言っていた。幼い頃から不在がちで、正確に言えば私たちが起きる前に出社し、就寝後に帰ってくる父親の面影は、ぼんやりしていたし、授業参観等のイベントにも来たことがない。運動会には来てくれたことは数回あったが、夕食が終わるとすぐに自室でPCに向き合った。2人が思春期に入る頃には単身で全国を飛び回っていたとは母から聞いた。
 
 そのおかげもあってか、2人は表参道と渋谷の間にある私立の附属幼稚園から大学まで過ごすことができた。お嬢様なんて言われることもあるが、そんなことはない。実家だって急行が止まらない駅から徒歩15分だ。

「あの人、仕事が生きがいだもんね。家族の思い出なんていつもお母さんしかいない」
「本当に、家族欲しかったのかなって不安になるよね。」
 今日1番の笑いを2人で共有する。
「でもさ、時々タイミングあって酔っ払って帰ってくる父と遭遇するとさ、今日も楽しかった、って毎回言うの、今になって、ああなりたい、って思うよ。高校生のときなんてリビングでよくお母さんが話聞いてたなって思ってたし、シカトしたけど、仕事楽しいぞって発言だけは印象に残ってた」
「なんの仕事してるかなんて、やっとわかってきたけどね。」

 もし、母の姿を見て生活を学び、父の姿を見て仕事を学ぶなら、2人から生まれた私はどちらにもなれないんだろう。母のように、子どもを大切に育て、自身は家を守り、ささやかな趣味に満足し、働いてくる父を癒す生活。想像して合わないな、と桜子は思った。一方で仕事で金を稼ぎ、家庭を支え仕事に楽しみを見出した父。そんな父と椿子も桜子も関係性は薄い。時々敬語で話してしまうほどだ。自分は子を産むからそうはならないと思いながら、確信が持てないでいる。

「もしかしたら自分の居場所がまだないのかもね。」椿子はクラフトビールを傾ける。
「なんだかんだ私は母として、妻として家庭の役に立っていると思う。でもそれだけじゃなくて自分が体験していた、仕事ってものでも自分の存在を作りたいって思ってるのかも。欲張りだなって思うけど。」

「私も、前はよく合コン行ってていい思いしてたけど、自分じゃなくていいって解り始めたら熱が冷めて、その頃仕事で必要とされるようになってきて、今も必要にされているけど、居場所がなくならないように必死なだけかも」

405号線をタクシーがタクシーを追い越している様子が、ないものねだりのラットレースに見えた。

 大人は恋愛しても、結婚しても、仕事をしても、何をしても自由だ。でもいつか居場所がなくなるかもしれない。そんな恐怖の中で母は家庭を、父は仕事で居場所を守り続けてきたのだろう。
その地道な、ゴールのないゲームを考えると、長年生きているというのはとてつもないことだ。

「まぁ。なんとかなるでしょ。ねぇもう一杯飲もうよ」椿子がメニューを渡してくる。

 なんとかなるか、は別にしても、桜子は、私には昔から居場所があるではないかとストン、と理解した。目の前にいる椿子は私の姉だ。それは私が生まれたときから決まっている。父と母という同条件で生まれて、違う服装、違う髪型、違う仕事、違う家庭、違う人生を歩む人だ。この人とは大喧嘩しても関係は途切れることはない。おそらく3ヶ月後には今日みたいにいきなり連絡がきて、何もなかったように人生の枝葉の話をする。そういう相手がいてくれることには感謝したほうがいいのでは、と思った。

「いいよ。なんか、ありがとね、お姉ちゃん」
「久しぶりに言われたけど、ここは割り勘だからね」

 あの頃と変わらない笑顔で笑いあう。深く考えすぎないでいよう、私と同条件で生まれた姉が私と違う人生を生きて、私と同じように悩んでいる。どんな人生だって、どんなに幸せそうに見えても、生きる限り悩むのだろう。
2人にパイントグラスが提供される。

飲みきれるかな?
大丈夫でしょ!

 高校生の夏休み、姉妹でチープなケーキバイキングに行った時と同じ会話だ。あの頃は制限時間オーバーで残した気がする。
今日は、終電までもう少し時間はある。きっと飲みきれる。

2回目の乾杯の声は、クラクションにかき消されなかった。


https://note.com/bright_moose709/n/ne206f7529edf

 



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