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タワマン文学#8 新橋

「優秀な経営者には名参謀がいることが多いんだって。隆太は経営者になってくれよ。俺が名参謀としてお前を支えるからさ」

哲弥は4杯目のハイボールを飲み干した。いや、この店でハイボールが4杯目だっただけで、さっきの店で飲んだ杯数は覚えてないが、俺たちはほろ酔いから酩酊の橋を渡ろうとしていた。
 俺は経営者になりたいとは思っていなかった。ただ、上司の無能さや、建前と本音の使い分け、社内政治にうんざりしていた。
 早稲田を出、大手IT企業に入った。それ以降はヨーイ、ドンで年次を重ねていき、当然のように仕事でできることが増え、社内で生きる人脈が広がり、さまざまな案件にアサインされるようになり、成果が徐々に出始めるようになった。そしてたまたま運よく、俺は、年功序列の制度の撤廃と競争優位性を生み出す組織作りを目的としたフィジビリティで30歳課長を創出するワークショップに参加させられた。組織を変えたい人事の熱弁と俺が1週間程度の研修に参加すること、その背景を知っているダボっとしたのスーツを着た人らの駄弁は大企業のまとまりの無さを表していた。

 その研修で同じグループにいたのが哲弥だった。哲弥は高校時代はアメフト部のキャプテンでその経歴を推薦されて大学に入ったといっていた。ガチガチの体育会です、と目を線にして笑う彼は愛されキャラだと分かった。研修中、確かにロジック的な部分は弱いかもしれないが、わからないことはわかるまで聞く、ありがとうと言う、ディスカッションのファシリテート、プレゼンなどできる部分は高いバリューを発揮し、貢献していた。俺と哲弥は研修終了後もよく会うようになった。

 今日は1ヶ月ぶりに会った。さっきまで新橋の正泰苑で厚切りタン、上ロース、炙りレバーを食べながら近況報告をして盛り上がった俺たちはハイボールバーにいった。仕事の話、女の話、そして将来の話をしているとき、哲弥は真面目な顔で経営者になってくれと言ったのだった。

「なる予定はない。俺は感情をゆっくり殺しながら、部長にでもなってのんびりしたいさ。むしろ経営者は哲弥が向いていると思うんだが」

 多くの部署と調整しながらプロジェクトを進める時に必要なのはスキルやロジックではなく、肩書きだ。ただ、肩書きがなくても大きな組織を動かせるものがあるとすれば、個人的の情熱、一対一のコミュニケーションを繋げていけば1人でも、組織でも動かすことができるのだと、俺は学んでいた。哲弥はそんな眩しい情熱を持っていると思う。

「俺が経営者ってなんかしっくりこなくてさ。アメフトだってやれって言われたからやっただけだし。口が上手くても情熱を言葉に乗せるフリができてもさ、問題意識とかないんだよね。だったら問題意識を持っている人を支えて、一緒に成功したいんだ。それに上杉景勝と直江兼続なら直江兼続の方がかっこよくないか」
 唯一勉強で興味があったという日本史、そして「愛」の兜の武将。愛の兜の緒を占める哲弥を想像して笑った。
「わかった。まずは副業からやってみよう。とはいえ俺も問題意識なんてなんてないけどさ」
「成功しようぜ!」
 成功の定義も決めることなく、若い2人は盛り上がり、強く手を握り合った。

 俺は、この夜のことを8年経った今でも忘れてはいない。
社名を決めた日でもなく、法人登記をした日でもなく、8年前の今日の飲み会を創業記念日にしている。そんな日があることは誰にも言っていない。
 俺たちは何も考えず法人登録をした。資本金は2人で100万円ずつ出した。最初はプロダクトもリソースもないから身体と脳を使ったが全く売れなかった。副業だからパワーが裂けないなど言い訳をし合いながらも毎晩飲んだ。類は友を呼ぶとは言ったものでお互いの知り合いで税理士、プログラマ、マーケティング部門チーフ、アマチュア投資家など、さまざまな人から知見やサービスのアイディアをもらった。知り合いづてにベンチャーの社長から仕事を貰ったりとしてなんとかやっていけるようになった。あのときは本当に楽しかった。

 4年目、懇意にしていたプログラマ発案のアプリプロジェクトがやや当たりし、我々は軌道に乗った。俺と哲弥は会社をやめた。必死に働いた。どんなことをしたかは覚えていないほど、なんでもやった。人は本気になればなるほど、保証がないほど、自分の考えが少しでも合わなければ反発するようになると学んだ。俺と哲弥はこの頃から意見が対立するようになったが、その後は、酒を飲みながら「違う考えがあって本気でぶつかり合えばそこから新しいアイデアが出る可能性があるんだから、いいことじゃん」と哲弥は目を線にして笑った。俺もそれでよかった。
 多くの奇跡と少ない実力が重なって会社は成長を遂げ、今期で5億、アルバイトも含めた20人のメンバーと働けるようになった。
 俺のことを社長や隆太さんと呼ぶ人間はいるが、1人だけ、隆太、と呼び捨てする哲弥はこの会社からいなくなった。1年前の創業記念日、銀座の保志で哲弥は言った。
「もう、俺がいなくても問題ないよな。俺がいなくても隆太を支えてくれる人はたくさんいるようになった。挫折も失敗も少しの成功もした。楽しかったな」「俺とやるのが嫌になったのか」
「そうじゃない、いや、わからない。俺と隆太は違う。違うからこそ、2人でいろんなアイデアが出て、困難を乗り越えた。でも今はもっとたくさんの違いがある。俺が関わらなくてもこの会社は大きくなると思ったらさ、もう潮時だなって」 
 そんなことはない、新規プロジェクトや売上拡大には哲弥の力が必要だ、なんて言葉は通じないと思った。長く、密度の濃い時間を過ごした俺たちには表面上の言葉は却ってノイズだった。俺はアードベックを飲み込む。
 いつからだろう。こんな日が来るのだと漠然と考えていた。でもそれがこんなに早く来るとは想像していなかった。
 哲弥はグラスに残ったラフロイグを一気に飲み干し、じゃあ、と席を立つ。最後まで姿を見れなかった。一言も伝える言葉はなかった。俺にとっての創業記念日は2人の廃業記念日にもなった。

 優秀な経営者には名参謀、いや相棒がいるのは事実だろう。
ただ、取り挙げられるのはいつだって経営者だ。それは相棒がいずれいなくなるからではないのか。本気で向き合う相棒とは、一生分の会話をする。それでも分かり合えない、譲り合えないことがあるのが人間だ。そうなれば、夫婦のように妥協して生きるか、袂を分かつしかないかもしれない。
 保志のカウンターの入り口側に座る。ラフロイグを頼んだ。今日、哲弥が来るかこないか、そんなのはどっちだっていい。お互いを知り尽くした人間同士、いまさら会ったって何か変わるわけではない。人は変わらない。もし戻ってきてくれたとしても、必ず対立するだろう。そうであれば会わない方がいい。でも会いたいとも思った。会ったとしても何を話すのかはわからない。ただ、元気でやってくれていたらいい。一生分語りあった友に伝えることばはないんだ。

社長は孤独だよ。駆け出しの頃、ベンチャー企業の社長から言われた。
それなら、俺は孤独に弱いなと自嘲し、グラスを傾ける。
隣の席はまだ埋まらない。


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