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【掌編小説】ジューンブライドは雨音と共に

 窓の外はぽつぽつと雨。
 休日出勤の俺は、仕事の手を休め外に目を向けた。
 今日は俺にとって大切な2人の結婚式。そんな日に早い内から休日出勤の予定を入れて式を欠席することについて、2人は了解している。
 全天候型の式場だから問題ないだろうと思いながら、本来なら式場にいるはずだった自身を想像して、俺は複雑な気持ちにもなっていた。

 俺が入社した会社に、彼女、水無月みなづきあおいはいた。2年前に短大卒で入社した彼女は、先輩だが同い年でもあった。
 静かにそっと見守るような控えめな落ち着きの中に、他者を気遣える思いやりがあり、必要な場面で必要な指摘が出来る知性を感じさせる人だった。
 同じ部署には同期入社の橋本誠二もいた。朗らかで何にでも一生懸命な彼は、自然と周囲を温かくする存在だった。
 水無月さんは先輩ならではの細やかなサポートやリーダーシップで俺達をフォローし、俺達も貢献し良い結果を残せるよう頑張った。俺達は一緒に仕事をする中で次第に親交を深めた。
 中でも俺と水無月さんは、雨の日の会社帰りに俺が彼女を送り、2人だけで話したことで特に親密になった。水無月さんの人柄や佇まいに惹かれた俺が告白し、彼女が受け入れる形で交際することになった。
 今まで特に異性と交際したことがなかった俺には、とても幸運で幸せな出来事だった。俺がそう言うと、水無月さんは不思議そうな顔をして微笑み、「モテそうに見えるのに意外ね」と言っていた。
 俺達は会社では今まで通り、「水無月さん」「前原さん」と苗字で呼び合いながらも、プライベートでは、「葵さん」「宗助さん」と名前で呼び合うことにした。
 後日橋本から、彼女に恋愛感情を持っていると相談された俺は、実は既に俺達が恋人であることを伝えた。
 橋本は肩を落としながらも、彼女の幸せを望んでいるからこそ身を引くと言って、その後は俺達を応援してくれる存在となった。
 そんな橋本の器の大きさに好感を感じた俺と彼は、これまで以上に親しい間柄となり、互いを親友と呼ぶようになった。
 やがて時が廻り、順調に交際を重ねた俺達は、実家暮らしだったそれぞれの家にお互いを招待し、家族に紹介した。もちろんお互いに、その先にある結婚を意識してのことだ。
 しかしその辺りから、俺達の間には暗雲が垂れ込めるようになった。

 俺の隣家には、家族ぐるみで付き合いのある一家が住み、俺の幼い頃から交流があった。
 そこには俺より2歳年下の里奈という女の子がいた。双方の家に、俺と俺の両親、そして里奈と里奈の両親が集まって、ホームパーティーが開かれることもあった。
 俺と里奈は互いに一人っ子だったこともあって、俺は里奈を妹のように可愛がり、里奈も俺を慕っていた。
 ある時のホームパティ―で、「里奈、大きくなったら宗ちゃんのお嫁さんになってあげる」と言われたことがあった。
 俺は、「なってあげる」という言葉に少し引っかかりを感じながらも、年上の余裕を見せつつ「ありがとう」と言ったものだ。
 双方の親も笑いながらそれを見守っていた。子供の戯言であり、誰も本気にしてはいなかった。もちろん俺も。
 小学校、中学校、高校と、里奈とは同じ学校に通った。2年の差があるためいつもとは限らなかったが、里奈は俺に一緒の登下校を求め、俺も断る理由がなかったため、一緒に登下校していた。
 一緒に登下校する里奈は、やたら俺との距離を詰めたがり、時には腕を組むことを求めた。
 俺は周囲に誤解されるのは嫌だから、と断ったが、里奈は「誤解じゃない」と言って怒り、しきりと「宗ちゃんに悪い虫がつかないようにしないと」と意気込んでいた。
 同じ大学を受験したものの合格しなかった里奈が別の大学に行ったこともあり、大学時代くらいから一緒にいる時間は減った。
 それでも里奈は時々俺の家に来ては、俺の近況について尋ねた。
 特に女性の影を気にしていたため、「悪い虫が……」と言って邪魔されることを心配し、俺は葵さんとの交際を両親にも長いこと話さずにいた。
 それでも、葵さんとお互い結婚を意識するようになった頃には、将来的なことを見据えて両親にも紹介したいと思うようになった。
 紹介されたそれぞれの両親は、俺達のことを好意的に受け止めてくれた。
 里奈も、話せばわかってくれる、と思っていた。
 しかし俺は、それが甘い考えだったと思い知らされることになる。

 ある日、俺の家に来ていた里奈は、結婚を前提に交際している女性がいる、という話を俺から聞くと、信じられないという顔をした。
 そして、ショックで涙を流しながら、「酷い……! 私という者がありながら、そんな裏切り許さないんだから……!」と叫び、走って帰って行った。
 俺は里奈の家に電話をし、里奈の母親に事情を話した。
 里奈の母親は、里奈が一方的に婚約関係にあると思い込んでいただけだから気にしないで、と言ってくれたが、事態はこれで収まりはしなかった。
 俺の母親に、葵さんの姓名と彼女が俺と同じ会社勤務であることを聞き出した里奈は、会社に電話をして葵さんを呼び出し、俺のことで話があると言って、会う約束をさせたそうだ。
 葵さんからそれを聞かされた俺は、里奈とのことを話した。そして、葵さんが里奈と会う日に俺も同席することを約束した。
 しかしその日は生憎の雨で、途中の道中で大きな事故があった影響で酷い渋滞に巻き込まれ、早目に家を出たらしい里奈に対して、普通に家を出た俺はおくれを取ってしまった。
 途中、葵さんに連絡を入れるものの、里奈と話していると思われる彼女が返事をすることはなく、俺が到着したのは予定時刻から45分も経った後だった。
 既に里奈の姿はなく、憔悴して俯いている葵さんだけが残されていた。
 俺は葵さんに遅れたことを謝り、大丈夫か、どういう話だったのかを尋ねた。
 葵さんは具体的なことは何も語らず、ただ俺に、「別れて下さい」と言った。
 俺は葵さんを守りたいこと、そのために里奈に対して出来ることはなんでもするつもりだ、と言った。
 それでも、一方的に酷いことを言われただろうと想像される葵さんを、里奈の言葉の暴力から守れなかったという現実だけが目の前に横たわり、俺の言葉には何の説得力もなかった。
 結局俺は、重ねて詫びた上で、悲しい別離を受け入れるしかなかった。
 俺は里奈の件も含めて、葵さんと別れたということを橋本に伝えた。酷く傷ついていると思われる葵さんを、俺に代わって親友である彼に気遣ってほしかったのだ。
 橋本は、葵さんとの別離に打ちひしがれている俺をも気遣ってくれながら、葵さんを気遣う役目を引き受けてくれた。
 一度は身を引いた橋本ではあったが、再び可能性が廻って来て、想いが再燃しないはずもなかった。俺は橋本から葵さんへの想いを再び打ち明けられ、彼の背中を押した。
 傷ついていた葵さんは、橋本の気遣いによって次第に癒されている様子だった。
 やがて葵さんに以前のような微笑みが戻って来た頃、俺は橋本から、葵さんに告白し受け入れられた、という報告を受けた。
 俺は嬉しいような寂しいような思いが交錯したが、橋本を祝福し、「葵さんを頼むよ」と言った。事情を知り信頼できる彼だからこそ託せるとも思った。
 しばらくして橋本と葵さんは婚約を発表し、俺は葵さんにも祝福の言葉をかけた。
 「おめでとう」という俺の言葉に、葵さんは「ありがとう」と言って微笑んだ。
 何だか俺は、ようやく許されたような気がしていた。

 俺と葵さんが別れたことを俺の母親から聞いたらしい里奈からは、元気づけるように、「宗ちゃんには私がいるじゃないの」と言われた。
 俺は冷静に、「里奈とは恋人になるつもりも結婚するつもりもないよ。そもそも俺は里奈に『結婚してくれ』って言ってないんだし」と告げた。
 その後の里奈は、突きつけられた現実を受け入れられない様子で、閉じこもった部屋で泣いていることが多いらしい。それでも、里奈を慰めるのは俺の役割ではないと思っている。
 そして俺は、実家を離れ一人暮らしを始めた。会社に通える距離で、できるだけ実家から遠い場所に。
 それが、俺にとっても、今後の里奈にとっても必要なことだと思っている。
 もっと早くそうすべきだったかもしれない。
 それでも、遅すぎるということはないだろう。
 例え失った恋が戻らなくても。

 6月の花嫁は幸せになれる、という伝承がある。
 本当かどうかはわからない。それでも、葵さんには幸せになってほしい。
 それに、水無月とは和風月名で6月を表している。6月に式を挙げるのは彼女にぴったりだ。
 俺は、参列することで万が一にも里奈を刺激するようなことは避けたい、と言って、2人の結婚式へは欠席を申し出た。橋本は、友人代表の祝辞を頼みたかった、と残念がりながらも了解してくれた。
 俺と葵さんが別れた以上、里奈が葵さんに何かすることはないだろうとは思う。それでも、もう葵さんを傷つけないために、可能な限り出来ることは何でもする必要がある、と思っている。
 そして、葵さんが結婚する以上、それも、これが最後だろう。
 本当は、俺が参列しないのは、俺自身の気持ちにもよると思う。
 2人には幸せになってほしいと思いながらも、参列してウエディングドレス姿の葵さんを見てしまったら、彼女との結婚を夢見ていた頃を思い出してつらくなってしまうかもしれないからだ。
 何という弱さ、情けなさだろう。
 しかしだからこそ、傍にいないことが必要なのだ。

 窓の外には静かに降る雨。
 その静かな雨音は、胸に染み入り、俺を優しく包むようだった。





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