【教えるときのポイント】私が誰かに何かを教えるときに憑依させる3人の先生をご紹介します
こんにちは、つぶ子と申します。
自己紹介の最後に予告した【私が誰かに何かを教えるときに憑依させる3人の先生】をお送りいたします。
私は中高生の時、なぜ?なぜ?ばかりで努力も勉強も大嫌いだった私が、それでも勉強が楽しい!おもしろい!と思える時間もあったということは、前に書かせもらいました。
▼これですね▼
★勉強がおもしろかった時間はこの3つ★
①高校2年生のときの日本史の授業
②浪人生のときに予備校で受けた英語の授業
③幼い頃から父親に聞かされた歴史の話
ここから【私の先生としての3ヶ条】が引き出されています。
①高校2年生のときの日本史の授業
➡ 教えている本人が、教えていることをおもしろいと思っていること
②浪人生のときに予備校で受けた英語の授業
➡ なぜ?を放置せず、論理的に説明すること
③幼い頃から父親に聞かされた歴史の話①
➡ 無責任に入り口まで連れて行くこと
この3つにはそれぞれ対応する人物がいます。
今日は、私の頭の中に今でも住んでいる3人の先生のご紹介です。
誰かに何かを教えるとき、私はこの3人の先生を自分に憑依させます。
つまり、私が大事にしている「教えるときのポイント」ですね。
なので、教員ではなくても、勤め先などで「誰かに教える」「誰かに分かりやすく話す」ということに苦労している方にも、参考になる話かもしれません。
それではまず、1人目は…
1人目:高校の時の社会の先生
はじめて学校の勉強がおもしろいと思えたのは、高2の時の日本史の授業でした。
そう言われると、人気の先生だったのかな、と思うでしょ?
実は、この先生の授業は私含めいつも3人くらいしか起きなかったんです!今思えばひどい…笑
とはいえ、この先生が嫌われてたわけではないんですよ。
おそらく、うちのクラスはやる気がなくて、日本史に興味のある子がいなかっただけなんでしょうね。
とはいえ、その授業スタイルは独特で、今流行りのアクティブラーニングなんかとは真逆。
なんと、資料集の家系図のページだけを広げさせて50分間話してくれるんです。なんというストロングスタイル!
でも、これがもうおもしろくておもしろくて!
というのも、話がはちゃめちゃにおもしろいんですよ。
話し方とかじゃないですよ。内容です。
エンタメ感などゼロ、笑いもゼロな授業運びでしたが、教科書には載っていない小話や諸説なんかを惜しげもなく披露してくれるんですね。
そのおかげで、今でも、天智天皇から聖武天皇あたりまでの家系図は暗記してますし、先生の板書も思い出せます。
みんな起きればいいのにと思ってましたが、みんな起きちゃうと先生も通常授業をしちゃうのかな、と不安になったりしてた気がします。
でも、興味がない子にとっては眠たいだけだったのかな。
こんな授業スタイルだからみんな寝ちゃったのか、みんな寝ちゃうから先生もこんな振り切った授業スタイルにしてたのか、今となってはもう分かりませんが、私にとっては最高に贅沢な時間でした。
テストになんて絶対出ないような話もいっぱいでしたが、教科書に載っている以上の話が聞けるということが「授業を受ける」ということだと私は思っています。
暗記とかテストに出るとか、人気講師とか、そんなの表面的なことは全部ぶっちぎって「ここでしか聞けないことを聞いている」という知的高揚感は、対人授業の醍醐味ですよね!
さらに、たった3人しか起きていなくても、とつとつと、噛みしめるように本当に楽しそうに歴史の話をする先生の姿勢が、当時に私にはとても印象的でした。
もちろん、学生を起こせとか学生が起きていたくなるような授業をしろ、という意見もあるでしょう。
私も自分が講義をするときは「みんなが寝る責任の半分は私にある」と公言していました。
でもね、寝る責任の半分は学生本人にもあるんです。
だから、当時の私には、イライラしながら寝てる子を起こして回る先生よりも、たった3人のためだけでも手を抜かずに授業する先生の方が感動的だったんです。
ちなみに、何人の学生が寝ようと、聴いてくれている学生が1人でもいれば全力で講義する!という私のポリシーも、当時の先生への尊敬から生まれたものです。
そんな先生からは、いつも「歴史って、おもしろいだろう?」という「好き」があふれていました。
話している本人がまず、それをおもしろいと思えていないと、きっと授業は、スキルフルなものか表面的なおもしろさ(先生の話し方や動きがおもしろい等)しか備えられない。
それももちろん重要ですが、その根底には「教えている本人が、教えていることを本心からおもしろいと思っていること」がなければ、本当に魅力的な授業にはならないんだな、ということを私は歴史の先生から学びました。
2人目:宮崎尊先生の英語の授業
浪人時代に受けた東進ハイスクールの宮崎先生の英語読解の授業は、私にとって衝撃でした。
それまで私は英語は暗記科目だと思っていたんです。
「英語は単語力だ!」と。
でもこれは、半分正解で半分不正解。
私は宮崎先生の授業で初めて「英語を読む」という体験をしました。
だって、英語を「説明」してくれたんですよ。暗記ではなく。
視界がパアァァッと開けた気がしましたね。
探偵のように代名詞の中身を探したり、長文を関係代名詞などでブロック分けしたり、主語と述語動詞を特定したり、前から前から訳していったり、どれも基本の読み方なんですが、当時の私は知らなかったんですよ。
学校の先生は教えてくれてたのかもしれないですが、残念ながら私の頭には残っていなかった。
単語力は確かに重要なので、その点では英語も暗記科目ではあるんですが、それだけでは外国語は読めない。
そんな当たり前のことをちゃんと教わった経験でした。
ちなみに、この外国語の読み方は、日本語を読むときにも大いに役立っています。
中学でも高校でも、英語の先生は「とにかく覚えて」を繰り返す方が多かったし、数学で「分からない箇所をなぜXとするんですか?」と質問してこっぴどく怒られた経験もあって、すっかり「なぜ?」を封印してしまっていた当時の私。
そんな私に宮崎先生の論理的な説明は染み入りました。
「なぜ?を放置せず、論理的に説明すること」の大切さを改めて知りましたね。
だから、まぁ私の勉強はおおよそ浪人時代からはじまったと言えます。
その後は、大学に入って「学問」に出会うわけですが、その話はまた今度。
それでは、最後…
3人目:父親の歴史講釈
最後の先生は、私の父のです。
とはいえ、父は教員ではありません。
父は理系の技術者だったので、歴史は完全に趣味。
でも、歴史小説をよくおもしろく読みたい!というただその欲望のためだけに、戦国武将や剣豪のベータベースを自分でつくったり(40年以上前のパソコンMS-DOSで!)するほどの情熱的なオタクでした。
その他にも、自分がはまったことにはとことん詳しくなりたい人だったので、ハードボイルド小説にはまっていた時は銃にも詳しかったし、家に何丁もレプリカの銃がありました。動物にも詳しかったので、よく父と動物しりとりをして遊んでいました。私は父に勝ちたくて、暇さえあれば動物図鑑をみていましたね!笑
ちなみにここ15年ほど、父は日本の古代史にはまっており、有志の歴史研究会で研究発表をしたりして今でも元気に活動しています。
ただ、そんな父の話に興味のある家族は少なく…
でも、教師でも専門家でもない父の無責任なオタク話が私はめっちゃ好きでした。
父の話の元ネタは、小説に書いてあったフィクションだったり、とんでも説だったり、はたまた父の個人的な解釈が盛大に盛り込まれた話だったりしたんですが、それでも私にとってはとても魅力的でした。
そう、それが重要なんです。
この情報化社会、極端な話、テストの正解なんて後からググればいいんです!
とにかくまず大事なのは、興味をもってもらうこと!
なんかよく分からないけど、おもしろそうだな、と思ってもらうことが大事なんです!
こうした「魅力的な入り口」の設定においては、厳密な知識よりも、多少粗削りで盛った話や些細なエピソードとかの方が場合によっては使える。
厳密で細かい話は、興味関心を惹きつけた後で、じっくり話せばいいんです。
無責任に入り口まで連れて行くことの大事さは、父から学びましたね。
最後に…
余談ですが、大学で哲学の非常勤講師をしていたとき、私はまさにストリートミュージシャンような気持ちで挑んでいました。
私の非常勤先に限った話ではありますが、一般教養で哲学を選択する学生のほとんどは単位合わせで、はじめから哲学に興味があって、哲学を学びたくて来る学生は少数でした。(もちろん私の個人的な印象ですよ)
なので、私の講義はいつもアウェーから始まるんです。
さて、この興味のない観客(学生)の心をつかんで、立ち止まってもらう(内職せずに講義を聴いてもらう)には、どうすればいいか?
私はいつも、これを考えていました。
そんな時、私はまずは父を憑依させて、それから歴史の先生のような姿勢で、宮崎先生のように論理的に説明する、という感じで講義に臨んでいました。
派手な服装で一番後ろの席に座り、興味ないですって態度でいた学生が、講義を重ねるごとにだんだんと前の席に移りはじめ、最終的には一番前の席でめちゃくちゃ頷きながら講義を受けてくれたことは、私の印象的な思い出のひとつです。
今は、自分の子ども2人だけを相手に講義をしているわけですが、【私の先生としての3ヶ条】は、自分の子どもに対しても発揮されています。
とはいえ、やっぱり自分の子どもを相手にするのは難しいですね。
全然違います。
「もう嫌だ!」「やめる!」と先生(私)に簡単に言えてしまう関係性のなかで、勉強を教えるのは並大抵のことではありません。
だからこそ、重要になってくるのは、相手の興味・関心ポイントを押さえること!
つまり、相手の思考のクセを把握できるかどうかがカギなんです。
これは、60人の学生相手では絶対にできないことなので、私にとっても新しい挑戦でした。
ただ、うちの子どもたち、2人とも全然クセが違うんです…
次回からは、私がどういう人を想定して学習コンテンツを作っているのかということを、うちの小さい人たちのクセを紹介することでお伝えしていきたいと思います。
みなさんも、ご家族や職場の方々の思考のクセ、つかんでますか?
次回以降も、楽しく読んでくだされば幸いです!
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