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精神科通院歴、10年になりました 〜双極性障害の頭の中 52

みなさん、こんにちは。
双極性障害2型(双極症)のフツーの会社員、パピヨンです。

私が初めて“メンタルクリニック”なるものに足を踏み入れたのは2014年5月。
来月で通院歴丸10年になります。

本当に色々あった10年間を、改めて振り返ってみようと思います。




◾️精神科ってナニさ?

そもそも私がメンタルクリニックに通うきっかけは、あまりにも治らない“胃痛”です。
その時点ですでに内科に何年も通い続けていました。
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あまりにも胃が痛い日々が当たり前になってしまい、日常的にポイポイとキャンディのように胃薬を口に放り込む私の姿を会社の先輩が見かねて、

「最近は“心療内科”ってところがあるみたいだよ?気軽に行ってもいいらしいよ?」

と教えてくれたのでした。
当時の私は精神科なぞ、『アマデウス』のサリエリか、『羊たちの沈黙』のレクター博士くらいしかイメージが無く、はるか遠い存在に感じていました。
しかし“こんなに何年も胃が痛いのはおかしいな”とはうっすら思っていました。

「確かに精神科よりも心療内科のほうがマイルドな気がする」

という理屈で、会社から一番近い心療内科を探しました。
当時は精神科と心療内科の違いも分からず、“心療内科を標榜していてもだいたい現れるのは精神科医だ”ということを知るのは、ずっと後のことです。


◾️自分の状態を舐め切っていた

主治医の最初の診断は『心身症』でした。

「なんだぁ〜、心の病気じゃないじゃん。大したことないじゃん」

自分の状態を舐め切っていた私は、『心身症』というお墨付きをもらったと、宜しくない方向に認識し、まったく生活も仕事量も改める事なく不摂生を極めた状態で爆走します。
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『心身症は心の病気では無い』という舐め切った考えが、本当に良く無かったなと今でも思います。

「この程度の症状のうちに、ちゃんと病気と向き合って治療していたら」

後々後悔することになります。
まさか10年後もこのクリニックに通院するハメになるとは夢にも思いませんでした。


◾️激ヤセ期

全く仕事を減らさない、睡眠時間は3時間、お酒は毎晩飲む。
常にギリギリの精神状態でがむしゃらに働き続け、気がつけばBMI16台の低体重状態になっていました。
会う人、会う人、みんなに「なんか、痩せた?」と言われる。
それでも自分がおかしいとは1ミリも思っていませんでした。
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この頃、診断は『適応障害』に進化していました。
もはや立派に精神病患者の仲間入りです。
とにかく頭が回らない。
完全な抑うつ状態でした。


◾️主治医の言葉が届かない

今でこそ私と主治医の関係は良好ですが、最初の数年は決して良い関係では無かったと思います。

原因はもちろん私です。
主治医の態度は10年間まったく変わっていません。
しかし、何しろ当時は“病識”が無い
どんなに主治医が語りかけても、脳みそまで言葉が届いていませんでした。

何を言われても「大丈夫です!」と答え、主治医に「いや、大丈夫じゃないですよ」と切り返されても「いや、大丈夫です!」の繰り返し。とにかく主治医の言うことを聞かない“不良患者”でした。

病状は益々悪化し、ついに『休職』を宣告されるのですが、“仕事が命”の私は「絶対に仕事は休まない、休みたくない」と主治医に食ってかかる始末。
今では考えられませんが、珍しく強い口調で主治医に嗜められたりしました。懐かしい思い出です。
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◾️2ヶ月弱の休職

散々主治医に逆らってはみたものの、当時の私はボロボロでした。
ついに自ら白旗を上げ、2ヶ月弱の休職をしました。

それでもやはり「早く仕事に戻りたい」という思いが強く、一時的に規則正しい生活をし、半ば強引に仕事復帰しました。
そして最初からアクセルを踏みまくります。
肝心の『認知の歪み』は、まだまだグニャグニャに歪みきったままでした。

復職してから半年経った頃には、症状は休職前よりもさらに悪化していました。
深い谷、浅い谷、と抑うつ状態を何度も繰り返し、なかなか回復しません。

その頃の診断はさらに一段進み、『気分変調症(持続性抑うつ障害)』になっていました。↓↓


それでも私は相変わらず、生活習慣も仕事量も改める事なく…ただダラダラと通院し、薬を飲み続けていました。

「なんだかなぁ〜、ずっとモヤモヤしたままだなぁ〜、もう一生このままなのかな〜」

そんな日々が数年続きました。


◾️通院8年目、やっと病識が芽生える


通院7年目、ついに最終形態『双極性II型障害』の診断がつきました。

きっかけは偏頭痛の予防薬として別の病院で処方されていたバルプロ酸(デパケン)を薬剤師に「精神科の方の主治医に伝えたか?」と注意されたことでした。
これが双極性障害の気分安定薬としても処方される薬だということを知らなかった私は、主治医にしっかり伝えず、偏頭痛の先生に言われるがまま飲んでいました。
そして自己判断で勝手にバルプロ酸の服薬を辞めたところ、軽躁状態が現れていることに主治医が気づきました。
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『双極性障害』の診断がついたことで、ようやく私の中に、

「自分は病気なんだ。ちゃんと治療しなくちゃいけないんだ」

という病識が少しずつ芽生えてきました。
そして通院8年目の冬、病気の観察記録をつける目的でnoteを始めたのです。

圧倒的に治療に積極的になり、主治医の話がスルスルと頭に入ってくるようになったのはつい1、2年前からです。

「だから“睡眠をとりなさい”って言っていたのか」
「仕事の量に気をつける。そりゃそうだよね」

10年前からずっと言われている内容は同じなのに、耳に届くようになったのは本当に最近になってからです。
治療がグッと進んだ気がします。
自分でも呆れるほど時間がかかりました。




私はまだ寛解しているわけではないので、これからも通院は続きます。
10年かかって、やっとここまで辿り着きました。
まるで暗闇の中を手探りで進んでいるような10年でした。

けれど、無駄な時間では無かったと信じたい。

まだまだこの病気とは付き合っていかなければなりませんが、ゆっくり、ゆっくり、治療を続けていきたいと思っています。

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