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双極性障害の診断に7年かかったワケ 〜双極性障害だって働きたい 17

みなさん、こんにちは。
双極性障害2型+強迫性パーソナリティ障害のフツーの会社員、パピヨンです。

前回の記事の続き、ツライ転職活動から“部署異動願”に切り替えた後の変化と、ついに最終形態『双極性障害』の診断に至るまでを回顧します。

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部署異動願

結果から書けば、“部署異動願”を出したことは、大成功でした。

最初はもちろん大変でした。
同じ会社内とはいえ、10年以上やってきた仕事とはまるで違う。
得意先の社名が聞き取れないので、毎回電話も心臓バクバクで取っていました。

当初は新しい環境になかなか慣れることが出来ず、「何が分からないのかも、分からなくて…」と、思わず診察室で涙を流してしまうこともありました。
こんなザマで、よく“転職”なんて出来ると思ったんだろ?と自分でもあきれました。

しかし、またまたここでも良き上司、理解ある仲間に囲まれ…とことん“人”に恵まれる私。
失敗して凹む私を
「全然大丈夫よ〜」
「オレの失敗のがマジでヤバいから(笑)」
と、明るく振る舞ってくれる最高の仲間たちです。現在進行形でこの部署にいます。

結果、めきめきと体調が良くなっていきました。


世界の色が変わる

ひとつの歯車が上手く回り出すと、あらゆることが好転し出します。

まるで恋でもしてるように、世界が色鮮やかに見える。
主治医の言葉の意味がやっと脳みそに届く。
一枚ずつ薄いトレーシングペーパーがはらり、はらり、と落ちていくかのように、頭の中がクリアになっていく。

治療にも圧倒的に積極的になり、主治医に対しても素直になりました。
3週間間隔だった通院が、4週間に延びました。


減薬、スタート

だいぶ体調が良くなったので、減薬をスタートすることになりました。

まずはマイスリーから。

抗不安薬より先に睡眠導入剤を止めないと、結果的に睡眠導入剤が止めにくくなるそうです。

そして、減薬はゆっくりと。

1ヶ月ずつ様子を見ながら、
2錠→1.5錠→1錠→半錠→1/4錠
といった具合に約半年以上かけて少しずつ減らし、ついに“おまじない用”のみ、カケラほどの抗不安薬をもらう程度になりました。

「もうすぐ卒業だ〜」
そう思っていました。


魔の7月

5年前に休職したのと同じ、7月に差し掛かった時、突然ドーンと落ちました。
まさかの抑うつ期突入です。

「ウソでしょ…」

フェリーに乗ってるように足元が揺れる。
吸っても吸っても息が苦しい。
喉にあの“粘土”がまた詰まっている。

「少し、薬戻しましょう」
また抗不安薬とマイスリーが戻ってきました。


最終形態『双極性障害2型』

2ヶ月くらい抑うつ期が続きましたが、9月頃には回復してきました。
しかし、主治医は今回は薬も通院も減らしてくれませんでした。

「なんでだろ…」
主治医に聞いてみることにしました。

「結構元気になってきたと思うんですけど、まだ通院した方がいいって感じですかね?!みんなにも“病気に見えないねー”って言われるんですよねっ!」

いつもはわりとすぐ返事を返す主治医が珍しく「……うーん…」と黙りました。
すると突然、思いがけない事を質問されました。


『片頭痛予防薬』が躁状態を隠していた

主治医 :「バルプロ酸って、まだ飲んでます?」

私 :「え?バルプロ酸?片頭痛で飲んでる予防薬ですか?あ…あの薬、あんまり効果無かったんで、1年くらい前に止めました。今は飲んで無いです。え?片頭痛の薬ですよね?」

主治医 : 「実はちょっと前から『双極性障害』を疑ってまして…あ、2型の方ですけど。最近テンション高い時がありますよ。」

私 :「そ、そうきょく⁇ 2型⁇ 双極性って…いわゆる“躁うつ”とかゆうやつですか?!」

主治医 :「片頭痛の予防薬で出されてたバルプロ酸っていう薬、双極性障害の、特に“躁状態”を抑える働きがあるんです。1年前に止めた事で、隠れてた“躁状態”が出てくるようになったんでしょう。最近時々、テンション高いのが気になってまして。やはりバルプロ酸、止めてましたか…」

今は多少薬の知識があるのでわかります。
別の病院の頭痛外来で処方されていた『バルプロ酸ナトリウム(デパケン)』という薬は、抗てんかん薬でもあり、片頭痛予防薬にも使われますが、“気分安定薬”として双極性障害にも処方される薬です。抑うつ状態への効果は弱いようですが、特に“躁状態”を抑える効果が期待されます。
双極性障害に処方される場合は、血中濃度を測りながら慎重に投与される薬です。

これを私は『頭痛予防薬』との認識しか無かったため、片頭痛に合わせて飲んだり飲まなかったり、まとめて飲んだりと…ものすごく雑な頓服をしていたのです。

主治医がなぜバルプロ酸を飲んでいたことを知っていたのかは、長くなるのでまた次回書きます。

いずれにしても、7年間ずっと同じ主治医に観察してもらっていたからこそ正しい診断にたどり着くことが出来たのだと感謝しています。


続く

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