梅雨の憂鬱さを少しだけ和らげるクスリ|Essay
いよいよ全国的に梅雨ですね。洗濯物が乾きませんよ。セロトニンやドーパミンが減少しますよ。イヤですね。
あいにく沖縄は梅雨明けしたての日射し強烈な夏至南風👇の季節です。えへへ。
「ドラマチックレイン」「激しい雨が」「レイニーブルー」「銀の雨」「雨のち晴レルヤ」etc… これまでたくさんのミュージシャンが雨を題材にした歌を歌ってきました。きっと彼ら・彼女らも、雨の日に窓の外から聞こえる雨音に耳をすませたことでしょう。
あらゆる表現には、その土地の文化や言語習慣が反映されています。世界中で雨を表現するための様々な言葉やオノマトペがあり、日本は特にその表現が豊富な国のひとつです。これはアラスカに住む先住民族の間で雪を表す言葉が100とおりだってあるさ、っていうのと同じく、雨の日が多い日本ならではの現象ですね。(註1)
今回は、世界と日本における雨と雨音の表現の多様性についてみていきましょう。
まず、世界の雨・雨音表現から。
英語では、小雨や霧雨を「drizzle」、どしゃ降りを「downpour」、降り続く雨を「steady rain」や「pitter-patter」と言います。子どもの頃よく"Pitter patter, pitter patter, drip, drip, drop"なんて口ずさんでたなあ(誰かにすりかえられた記憶です)。
フランス語では、小雨を「bruine」といい、日本語の「ぱらぱら」にあたるオノマトペ表現が「goutte à goutte」です。同様に降り続く雨が「pluie continue」で「しとしと」が「plic ploc」、どしゃ降りが「averse」で、にわか雨が「pluie d’orage」らしいです。
中国語(簡体語)では、オノマトペのことを「拟声词」と言うそうです。
小雨のぱらぱらと降る様を「淅淅沥沥(xīxī lìlì)」、しとしと=潇潇(xiāo xiāo)、ざーざー=哗啦哗啦(huālā huālā)です。
どの言語も独自の表現ですが、雨の種類(状態)とその降ってる様子を伝えようとする思考回路は共通しているような気がします。
さて、日本はどうでしょうか。
日本語には雨を表現するための言葉がたくさんあります。「梅雨」「麦雨」「小ぬか雨」「通り雨」「夕立」「雷雨」「白雨」「驟雨」「豪雨」「時雨」「村時雨」「日照り雨」「氷雨」「菜種梅雨」「微雨」「緑雨」「秋雨」「秋霖」「慈雨」「冷雨」「夜雨」……こわいくらいあります。
雨が降る様子を表すオノマトペも、既出を除いても「ぽつぽつ」「ぽつりぽつり」「ぴちょぴちょ」から「ざんざん」「どしゃどしゃ」まで多様です。播磨地方には雨が「ぴりぴり」降ると言うそうです。雨の降り始めに使うのだとか。奥が深いですね。
また、季節や状況に応じた表現もたくさんあります。春に降るやさしい雨は「春雨」、旧暦五月に降る長雨は「五月雨」、秋の紅葉の時期に降る雨は「紅葉雨」と表現します。
さらに、日本の各地域には独自の気候や風土に応じた特徴的な雨表現があります。北海道では、初夏の梅雨のような長雨を「蝦夷梅雨」と呼びます。晴れているのに降る「狐の嫁入り」という表現は関東から中部を中心にわりと広く聞かれるようです。
わが沖縄では、局地的に降るスコールのような雨を「カタブイ」、日差しがあるときに降る雨を「ティーダブイ」と言います。雨のことは「アミ」と発音していました。
ちょっと脱線しますが、「アミシヌウグァン」という行事があります(ありました)。このアミは「雨」か「浴み」か「網」か決着していません。原型があったと思われますが、その後、地域地域で儀礼の意味が変容していき、それぞれの意味に応じた言葉の解釈がされたのだと思います。
いちおう『沖縄大百科事典』には「浴みしの御願」としてこう書かれています。
このように日本の雨表現の豊かさは、四季折々の変化や地域ごとの気候の違いが大きく影響しています。これらの表現は、日本人の自然に対する繊細な感受性を示し、雨が生活の一部としてどれほど深く根づいているかを物語っていると言えます。
雨音の表現を通じて、私たちは自然とのつながりを再確認し、その美しさと多様性を感じることができる民なのです。雨の日にはショパンを超える雨音のメロディに耳を傾け、その表現の多様さを楽しんでみてください。きっと、いつもの雨が少し特別なものに感じられるはずですよ。
註1
これは「サピア=ウォーフの仮説」と言って、言語はその話者の世界観の形成に関与するという考え方からきたものだが、実際にはアラスカ先住民族の雪表現は、語幹だけなら6種類、派生語を入れて20種類ほどとのこと。つまり誇張された通説ということになる。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?