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最強のラテン音楽を求めて|グルーポ・ニーチェ編|Liner-note

Grupo Niche グルーポ・ニーチェは1979年(78年説がある)にコロンビアで結成されたサルサバンドである。2023年6月現在、通算31枚のアルバムを出している(数え方によって違う)。名作が目白押しだ。

2015年、ビルボード誌の「過去50年間のラテン音楽ベストアルバム」に、ニーチェの1990年アルバム『Cielo de Tambores シエロ・デ・タンボーレス』が21位に選ばれた。ラテン音楽といってもメキシコからブラジル、アルゼンチンまで中南米諸国すべて―—メキシコはいちおう北米に分類されるけど―—が地元なんで、ざっと6億人以上の巨大市場である。そのなかの21位はかなりすごいことだ。グラミー賞なんかも獲りまくっているバンドなのだ。

リーダーはJairo Varela ハイロ・バレーラ。ディレクターであり、コンポーザー、作曲家、作詞家、ボーカリストでもあった。2012年に亡くなったが、まさに「巨星墜つ」という出来事で、喪失感は今も続いている。彼についてはまたいつか語る機会もあるだろう。

ラテンバンドはホーンセクションも入った大所帯が普通で、メンバーの入れ替わりも頻繁にある。ボーカルも同じく入れ替わりやサブ(ときおりコーラス)の存在があって混沌としている。

以下ではニーチェの主なボカリスタに注目して作品を追いかけよう。雰囲気が伝わるようになるべくライブ映像を選んでみたよ(くちパクが多いのは玉に瑕だけど)。


Álvaro del Castillo: "Buenaventura y Caney"

アルバロ・デル・カスティーヨ「ブエナベントゥーラ・イ・カネイ」

81年から83年まで在籍。

"Buenaventura y Caney"はニーチェの最初のヒット曲だ。この曲は創設メンバーの出身地Chocó チョコ県の隣の県にある港町Buenaventuraを歌っている。どちらも太平洋岸の平原地帯で高温多湿。ムッとする空気感が似ている(らしい)。

Son niches como nosotros, de alegría siempre en el rostro.
A ti mi Buenaventura con amor te lo dedicamos.

いつもにこやかな表情を浮かべた、俺たちみたいなやつらの街。
そんな愛するブエナベントゥーラにこの歌をささげよう。(意訳)

初期なんでコーラスなんかも粗削りだけど、地元がスキだぜな世界観がアルバロの声質と合う。この曲は後続のボカリスタたちによってカバーされまくるが、やっぱりオリジナルがしっくりくるね。


Tuto Jiménez: "Lamento Guajiro"

トゥート・ヒメネス「ラメント・グァヒーロ」

本名はOmer Luis Jiménezという。同じく81年から83年まで在籍。

これは農民賛歌で(タイトルは逆説)、彼のもっさりとした声と韻を踏んでる歌詞がここちよい。Tuto (Jiménez)ではなくTito (Gómez)バージョンがあって字面がややこしい。ファンの間ではどのバージョンがいいか論争になったりする。アコギのように聞こえるのはたぶんトレスという弦楽器だと思うけど、間奏で長々とフィーチャーされているのがけっこうレアで、自分的にはこっち派。トランペット隊もがんばってるね。


Moncho Santana: "La Negra No Quiere"

モンチョ・サンタナ「ラ・ネグラ・ノ・キエレ」

本名はLuis Alfonso Peña Sánchezという。83年から84年まで在籍。

84年の『No Hay Quinto Malo ノー・アイ・キント・マロ』はすべてモンチョ歌唱というニーチェには珍しいアルバム。シングルカット曲の"Cali Pachanguero″でニーチェは国内外のスターダムにのし上がる。

カリ出身のモンチョはこぶしのきいた声を持ち、おそらく大概の日本民謡も楽に歌いこなすだろう。"Apue"というフレーズをときどき挟んでくるのがスキ。短い在籍期間だったが、強烈な印象を残した。ドラッグさえなければ、と思う。


Tito Gómez: "Nuestro Sueño"

ティト・ゴメス「ヌエストロ・スェーニョ」

👇ブロック問題が起こったため貼り替えました(2024.07.08)

本名はHumberto Luis Gómez Riveraという。86年から90年まで在籍。

Sonora Ponceña ソノーラ・ポンセーニャやRay Barreto レイ・バレットのバンドで活躍したプエルトリコ出身の歌手。鳴り物入りでのグループへの加盟だったし、その期待に違わぬ活躍をみせた。彼の在籍時をニーチェの黄金期だと断ずるオールドファンは多い。

声域が広く、とくに高音の伸びに定評がある。彼が在籍した頃はサルサ・ロマンティカが勢力を伸ばしつつある時代で、ハイロ・バレーラもこの波をつかまえようともがいていた。この曲ではピアノやトロンボーンなどが落ち着いた音を出している。

ただ、いかんせんティトの見た目がロマンチックじゃなかったことが誤算。

2007年6月、59歳で死去。合掌。


Charlie Cardona: "Busca por Dentro"

チャーリー・カルドーナ「ブスカ・ポル・デントロ」

👇ブロック問題が起こったため貼り替えました(2024.07.08)

90年から95年まで在籍。

ティトが抜け、代わりに入ったチャーリーは、甘いマスク・甘い声のサルサ・ロマンティカの寵児と言えた。ニーチェ・サルサの大衆迎合路線は加速し、楽器編成もキーボードが加わるなどさらにマイルド化していく。

でも自分的にはこの頃のニーチェがベストで、ミック・テイラー在籍時のストーンズのような絶対の存在だ。"Una Aventura", "Hagamos Lo Que Diga El Corazón", "Duele Más"と好きな曲のオンパレードなのだ。ただ、ニーチェは国外のツアーが忙しく、祖国のファンはそんな彼らを冷ややかに眺めはじめるのだった。


Javier Vásquez: "La Canoa Ranchá"

ハビエル・バスケス「ラ・カノア・ランチャ」

89年から01?年まで在籍。

チャーリーよりも1年ほど早くグループに加入。Cauca カウカ県の田舎で生まれ、農業のかたわらいろんな音楽活動で歌唱力を磨いてきた苦労人。

ハビエルの魅力は表現する世界観の広さかな。上の曲はコロンビアの伝統音楽クンビア特有の2/4拍子のリズムに乗せて、アフロ系の呪術的な生活風景が描かれる。”Sin Sentimiento”は男女の情念を切々と(しかも笑顔で)歌い上げた演歌調の一曲。たぶんメキシコツアー用の”México, México”では、メキシコいいね!をなんのてらいもなく熱唱する。多芸多才な感じがするね。


Willy García: "Gotas de Lluvia"

ウィリー・ガルシア「ゴタス・デ・ジュビア」

👇ブロック問題が起こったため貼り替えました(2024.07.08)

94年から01?年まで在籍。

ニーチェのレーベルからデビューしたバンドLa Suprema Corte Orquesta ラ・スプレマ・コルテ・オルケスタ出身。つまりは引き抜かれたということだね。

ウィリー加入の頃はコロンビアの国情も悪く、ハイロも収監されていたりなどでニーチェを取り巻く環境的には冬の時代だった。"Gotas de Lluvia"や"La Magia de Tus Besos"のようなラブソングは少なく、"Lo Bonito y Lo Feo", "Etnia", "Mecánico", "Han Cogido La Cosa"のように、やるせなさやもどかしさ、内省や達観、皮肉などが詞に散りばめられた曲が多いように思える。

1995年の『Huellas del Pasado ウェジャス・デル・パサド』は、上述のチャーリー、ハビエル、ウィリーの3人のボカリスタが勢ぞろいしており、豪華さでは最強中の最強のアルバムだろう(上のYou Tubeがそうです)。


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