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第2章#17 専門の教科・領域を決めよう

もくじRemake『ホワイトな学校へ』

(約3000字)

私の専門は、書写、書道教育です。
今回は、そのことについて。

中学校、高等学校の先生方は、自分が教える教科を専門に研究することになると思うが、小学校の場合は全科なので、何を中心に研究するか、自分で決める。(校内事情で担当教科を決められることも多いが、自分が継続研究するものは、それとは別に考えた方がよい。)
もちろん、校内研究や授業観察で、あらゆる教科について勉強はするのだが、自分が、この先、何を専門に研究に関わっていくか、なるべく早く決めた方がいい。
というか、あまり悩まず、自分が興味のあるものをこれと決めて、その教科を深く勉強し続けた方がいい。

そう言われても、何にすればいいかわからない…という方へのオススメは、研究人口の少ない教科・領域。

自分が一生関わるかもしれない研究会を決めるなら、いろいろ見て慎重になった方がいいのでは?と思われる方がいるかもしれないが、深く研究してみればわかることだが、私たちが目指しているのは、子供たちの生きる力を育むこと。(詳しくは、学習指導要領の総則↓)

つまり、各教科・領域という入口は違っても、最後は同じ子供たちを育てるということに変わりはない
だから、一つの教科・領域をしっかり学ぶと、すべての教科・領域において、その考え方を応用できる
あとは、入口である各教科・領域における各学年で身に付けるべき力さえ外さなければいいのである。

出会いを大切に、そしてチャンスは逃さないこと。



書写部との出会い

初任で着任した地区には、書写部がなく、国語部の中に書写担当がいるという状況だった。
私は、大学で国語科だったことから、何も深く考えずに国語部に所属していた。
2年目に研究授業に取り組んだことについては、「#15授業力アップ②研究授業はだれのため?」で述べたとおりである。

因みに、私は、小学校1年生から近所の習字教室に通っていた。
そして、書道の教員免許は、教員になってから通信教育で取得した。(詳しいいきさつは、次回に。)
自治体には、1年間、各教科・領域について重点的に勉強できる研究員制度というものがある。(一度廃止になったのだが、規模を縮小して再開した。残念ながら、書写はなくなってしまった…)
数年に1回、地区に割り当てが来るのだが、国語部員はとても多く、順番待ちの状態であった。
国語ではなかなか順番が来ないので、書写だったら推薦してくれると、国語部の幹部の先生が言ってくれていた。
研究員を受けるに当たり、書写の授業の何たるかを知っておいた方がいいということで、自治体全域対象の国語研究会にも参加させてもらい、その中の書写部に入った。
ところが、書写の研究員の割り当てが来る前に、私は、異動の年限が来てしまった。

次のE地区に異動した最初の教育研究会でのこと。
その頃は、地区の先生方全員が一つの学校(たぶん教育研究会の会長の学校)に集合し、各部に割り振られた教室に集まるシステムだった。
そして、その頃はいくつかの部に所属してもよいというルールだった。
E地区は書写部があったので、私は国語部と書写部のカードを握りしめ、参加した。
最初、国語部に行ったら、国語部の教室はすでに満杯(E地区は、前の地区の3倍以上の学校数であった…)。
座れないので、とりあえず、カードだけ提出して、書写部に向かった。
こちらは空いていたので、カードを出して座ることができた。
混雑して座れない国語部より、座れる書写部でいいな、と思って、私は次の研究会からも、書写部に参加することにしたのである。

この後私はずっと書写に関わることになり、道が開けたわけで、このとき、国語部で座れていたら、今の私はなかったかもしれない
出会いなんて、こんなものです


書写の研究員との出会い

2回めの書写部の研究会は、研究授業だった。
研究授業の後の協議会で、黙っていても仕方ないし、参加者も多くなかったので、私は、感想と意見を言った。
研究会終了後、書写部長のY校長先生から声をかけられた。
2学期の書き初めの授業をやらないか、というのである。
私は、この年、特に柱となる研究授業を引き受けていなかったので、受けることにした。
課題解決型の書写授業については理解しており、自分の授業でも取り組んではいた。
書き初めは、普段の授業とは違い、書き初めの作品を仕上げることが目的である。(普段の授業は、日常の硬筆の文字に生かすことが目的である。詳しくは、次回。)
だからといって、習字教室のように、一人一人教えて回ることは、授業の時間内でできるわけがない。
だから、私は、書き初めの授業も、課題解決型で行うことにした。
詳しくは割愛するが、今となっては当たり前のその考え方は、その頃は画期的だったようだ。

翌年は、自治体全域対象の小学校書写研究会に参加させてもらえることになった。

そして、3学期のある日、Y校長先生から連絡があり、次年度、本地区は割り当てではないのだが、やる人がいなくて枠があるので、研究員をやらないかというお誘いだった。返事は、明日までにとのこと。急だなあと思ったが、チャンスは逃さない方がいい。
私は、引き受けることにした。

研究員は、楽しかった。
この時のお仲間たちとは、その後も仕事でつながった。
今となっては、ほとんどが退職してしまったが、いまだに何人かとは交流がある。
いい仲間だった。

最初にも書いたが、一つのことを突き詰めて研究していくと、真理が見えてくる
そして、一つきっかけをつかむと、どんどん世界が広がっていく。


流れに身を任せる感覚で

私は、その後も小学校書写研究会での授業や、全国大会の授業、研究発表などの貴重な経験をさせてもらうことができた。
行政にいた間は、書写とは無縁の仕事が多かったが、校長になってE地区に戻ってきたら、すぐに声を掛けられ、書写研究会に戻ることができた。
大学の先生方と一緒に研究させてもらったことは、今後につながる礎となった。
書写に苦手意識をもたず、どの先生でもできる書写指導を目指し、書写指導への抵抗を減らすように努めた。

振り返ると、これらのことを進めるに当たり、私は、自分から、やりたいやりたい!と働きかけたことは、2年めの国語の研究授業以外、なかったと思う。
すべて、誰かから勧められたり、声をかけてもらったりして、始めたことばかりだ。

基本的には怠け者なので、引き受けた当初はだいたい憂鬱な感じである。
でも、ある日、脳みその中にイメージが湧いてきて、なんとかなる。(詳しくは、後日、「仕事の流儀」で!)。
そして、やるからには責任をもってやらねばと思う。
そうすると、また、次の話が来る…。
責任を果たそうとしていると、先生方やお仲間がどんどん協力してくれて、最後はなんとかなる、というか、思っていた以上の成果につながる。
そうすると、また、次の話が来る…。
話が来たら、断らない(というか、断れない(^_^;)…)。
それが、次につながっていく。
流れに身を任せていたら、今日の私が出来上がった、という感じ。

この間、書写研究会の仲間は増え、若手の部員も増やすことができた。
次の世代につないでいくという、自分の役目は果たしたと思う。

私が最初、Y校長先生に声をかけてもらって、今につながったように、皆さんにとって、何かにつながるきっかけとなったら嬉しい。

皆さんも、専門の教科・領域を決めましょう!
必ずや、自分の拠り所になります


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