#18 ーうつ病みのうつ闇ー 決着…許しと親の死に目 その2
そんなある日、とうとう、私の我慢も限界だと思うようなことを母が口にした。なぜか内容は思い出せないのだが、怒りを抑えきれなくなった私は涙ながらに訴えた。
「いくら何でも、それはないんじゃないの?」暴言を吐くようなことはなかったが、泣きながら訴える私を見て、さすがの母もなにか感じたらしい。翌朝「私ってそんなにひどいことしてる?」と言ってきた。
やはりわかっていないのだ。私は子供に教えるように丁寧に、なぜ私が傷ついたのか。母の言動のどこが良くないのかを説明した。自分の非を認めることがない彼女にしては珍しく、母はそれを素直に受け入れ謝罪した。
私にすれば、一度謝られたところで「はいそうですか」と許せるはずもない。何十年と積もった怒りや恨みなのだ。どうにも消えないその存在に、自分でもどうなることか、許せないままなのか…と心折れそうになることもあった。
ところが、その後ふと『ああ、この人にはこれが精一杯(せいいっぱい)なんだな…』と思え、同時に『もういいや…』と…何かうまく言えないが…そんな気持ちになれたのだ。きっかけもわからず、突然降って湧(わ)いたかのように。
きっと私は、母に『もっと思いやりのある行動をして欲しい』『母の思い通りにしようとするのではなく、私の意志を尊重して欲しい』』等々…『~して欲しい』と思っていたのだ。
望んだところで、それができない相手に要求し続けたことで、自分を苦しめていた。心の底から、それが無理な要求なんだと理解して手放した瞬間、許しはやってきた。腹に落ちるという言葉がぴったりの感覚だった。
ほどなくして母は緩和病棟に入院し、あと数週間の命となった。「いろいろあったけど、でもまあ良かったね」と私が言うと、母もにっこり笑って「何だか…わだかまりが、すうっと解(と)けた気がするね」と言った。
その言葉通りだった。私の彼女に対する怒りは、すっかりどこかへ消え去っていた。自分でもびっくりするくらい、跡形(あとかた)もなく――私も母も、長年の呪縛から解放された瞬間だった。
それはめずらしく、家族全員が見舞いに行くことができた日だった。母に「また明日来るね」と言うと、彼女はその前の日と同じように、強く手を握り返してうなずいた。
その夜眠りについていた3時過ぎ、呼び出しの電話が鳴った。急いで病院に向かったが、母は息を引き取った後だった。
親の死に目に会えなかったということが、心に傷を残すことがある。でも私はそうはならなかった。
なぜかというと、尊敬するアメリカの外科医バーニー・シーゲル博士の著作『奇跡的治癒とはなにか』(日本教文社)と『シーゲル博士の心の健康法』(新潮文庫)を、読んでいたからだ。
かなり昔に、偶然書店で見つけたこの本は、私の人生に大きな影響を与えた。外科医でありながら祈りや瞑想(めいそう)、心理療法も駆使(くし)して、患者の心と体を癒す“聖職者的医療”を実践する彼の影響で、医者や病院に対して持っていた強い不信感や抵抗感が軽減され、偏(かたよ)っていた考えが修正された。
病院も医者も薬も大嫌いだったが、治療法が病気を治すわけではなく自分の体が治すのであって、現代西洋医学だろうが、代替医療だろうが、そこにこだわり過ぎるのは本末転倒(ほんまつてんとう)だと気づいた。
薬を使えば楽になるなら、その方が生活の質が上がって良い。対処療法で目先の苦痛を減らし、その間に休養を取るなどして体が自力で治すのを待つ。
そしてどうせなら、怖がったり嫌々でなく、恵みと思って感謝して受け取れば、さらに自分のために良いだろうし、人間には解毒(げどく)という素晴らしい能力がある。もっと自分の体を信じて良いのでは…と思うようになった。
また、死は決して忌(い)むべきものではなく、誰もが迎える自然な現象であること。病気は体からのメッセージであり、それに耳を傾け人生そのものが癒された結果、奇跡的な回復をすることがあるとも知った。
病も、生も、死も…生命という一連の流れ中の一つのプロセスなのだ。幸せに生き、幸せに死んでいくことが、最も重要だということを学んだ。彼の著書を読むと、毎回心が温まり厳粛(げんしゅく)な気持ちになる。
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