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【いちごみるく】(ショートショート)

「ああ、牛乳が無くなった。」

夕方四時、キッチンで一人呟く。

今年で三歳になる一人息子のユウは、リビングのテーブルで絵を描いて遊んでいる。

対面キッチンからその様子を見守りつつ、夕飯の支度を進める。

お絵描き用の紙の周りには、クレヨンの他にいちごみるくの飴が散らばっている。

ユウの大好物で、飴をなめられるようになってからは、家に在庫を切らしたことがない。

家の中でも、出かける時でも、ユウにとっておやつと言えばいちごみるくなのだ。

ユウの後ろ姿を見ていたら、自分の子どもの頃の記憶がふいに蘇ってきた。

ポケットに入れておいたはずのいちごみるくを無くしてしまい号泣した、苦い思い出。

僕も子どもの頃、いちごみるくが大好きだったのだ。

そして、妻も同様にいちごみるくが大好きで、僕たち二人が意気投合したきっかけも、いちごみるくだった。

感傷に浸りかけて、慌てて意識を手元に戻す。

外では、夏の盛りを過ぎ、少しずつ勢いがなくなってきた太陽が街を照らしている。

妻に先立たれて二年。

ユウと二人で、慣れない家事をこなしながらどうにかこうにか生活する日々。

ユウには、『ママはお星様になって空からユウを見てくれてるんだよ。』と伝えてある。

どこまで理解できているのかは分からないが、いつからかユウは、一番星を見つけると、『あ、ママがみてる!』と言うようになった。

今日はユウの誕生日なので、気合を入れて好物のハンバーグを作っていた。

そこに入れるために牛乳を冷蔵庫から取り出したのだが、中身がほんの数滴しか残っていなかった。

前回使った時に空になったのを、うっかりそのまま冷蔵庫に戻してしまっていたらしい。

洗面所から、洗濯が終わったことを知らせるメロディが聞こえてきた。

「ユウ、ちょっと洗濯干してくるね。」

牛乳のことは一旦置いておいて、洗面所に向かう。

今のうちに干しておかないと明日の朝までに乾かないのだ。

洗濯を干しながら、ユウのことを考える。

誰にでも優しくできる人になってほしいと願いを込めて、【優】と名前をつけた。

僕が何か困っていると、「どうしたの?」と心配して、時には手伝ってくれるユウ。

今のところ僕と妻の願ったような優しい子に育ってくれている。

保育園でもその姿は変わらないようで、性格の穏やかさが災いして時には損をしてしまうこともあるが、誰とでも分け隔てなく接することができるから友だちも多いと、担任の先生が教えてくれた。

時間にして十分ほどだろうか、洗濯を終え、キッチンに戻る。

リビングに目をやると、ユウの姿が見えない。

「ユウ?」

声をかけるが返事はない。

この部屋には隠れられる場所はそう多くはない。

「ユウ!?」

慌ててもう一度声をかける。

やはり返事はない。

一応、数少ない隠れ場所を覗くが、やはり姿はない。

嫌な予感がして、急いで玄関に向かう。

ユウの靴が無くなっていた。

玄関の鍵が開いている。

一人で鍵を開けて外に出たのだろうか?

今まで一度としてそんなことをしたことはなかったし、一人では外に行かないようによく言い聞かせていた。

それなのに、一体どこに?

慌てて靴を履き、外に出るが姿は見えない。

まずい。

道路に飛び出して車に撥ねられたらどうしよう。

知らない人に連れ去られたらどうしよう。

川に落ちたらどうしよう。

迷子になっていたらどうしよう。

最悪の状況が次々と頭に浮かんでくる。

家の中に戻り、ケータイを手にしてからまた外に飛び出す。

鍵をかけようかと思ったが、ユウが帰ってきた時に中に入れないと困ってしまうかもしれない。

しばらく逡巡したのち、鍵はかけずに走り出した。

家の周りを一回り。

いない。

ユウの好きな公園の方へ向かう。

一つ目の角で立ち止まり周囲を見渡す。

いない。

公園の方に曲がり、また走り出す。

慣れない全力疾走に、心臓と肺が悲鳴をあげている。

でも、止まるわけにはいかない。

曲がり角のたびに周囲を見渡しながら走り続ける。

公園に着き、園内を走りながら「ユウ!どこだ?」と声を出すが、返事はない。

さして広い公園ではないので、園内はすぐに探し終わってしまった。

ここにいないとなると、あとはユウはどこに行くだろう?

短い時間に子どもの足でさほど遠くに行けるとも思えない。

僕は細い路地に入ったりして経路を変えながら、元来た道を戻ることにした。

何事もなかったかのように家に戻っていてくれたりしないだろうか?

どうか無事でいてほしい。

そう願いながら走り続けた。

家へ向かう最後の曲がり角の少し手前に、いつも買い物に出かけるスーパーが見える。

スーパーの前で、なぜか店員さんがキョロキョロと周囲を見回している。

ユウを見かけているかもしれない。

僕は店員さんのところまで走り寄り、尋ねた。

「三歳くらいの・・・・・・男の子・・・・・・見ませんでしたか?水色のズボンに・・・・・・ベージュの半袖を着ているはずなんですが・・・・・・。」

呼吸が乱れ、息も絶え絶えだが、深呼吸をしながらなんとか伝える。

店員さんは、僕の言葉を聞いて、それまでの困ったような表情を和らげながら言った。

「ユウくん、ですか?」

僕は店員さんの腕を掴んで言った。

「そう、そうです。なんで名前を?いや、それよりもユウはどこに?」

「店の中にいますよ。どうぞ。」

店員さんはそう言うと、手の平で店の入り口を指し示した。

店員さんに案内され、店内に入ると、すぐ脇のサービスカウンターの前にユウが立っていた。

「ユウ!」

無事だった。

一番に湧き上がったのは、安堵の感情だった。

ユウの元に駆け寄り、しゃがみ込んで目線を合わせて問いかける。

「ユウ、どうしたんだよ?一人で外に出ちゃダメっていつも言ってるだろ。」

責めるつもりはなかったのに、思いのほか口調がキツくなってしまった。

ユウは、そんな僕の様子に、バツが悪そうにモジモジとして何も言えずにいる。

先ほどの店員さんが助け舟を出してくれた。

「牛乳をね、買いに来たんですって。お父さんが料理で使うのに無くなったんだって教えてくれましたよ。『だいすきなハンバーグをつくってくれてるから、おてつだいするんだ』って。優しいお子さんですね。」

俺は、キッチンで呟いた言葉を思い出していた。

『ああ、牛乳が無くなった。』

誰に言うでもないそんな独り言を、ユウはしっかりと聞いていたと言うことか。

「パパ、おりょうりがんばってたでしょ。おてつだい、しようとおもったの。」

ユウが僕の顔を見て言う。

「これでお願いしますって、おもちゃのスマホを見せてくれました。バーコード決済がしたかったみたいですね。」

そう言って店員さんは笑った。

「それで、お金を持ってなかったから色々と聞かせてもらってたんですよ。自分の名前もちゃんと言えて、とっても偉かったですよ。」

店員さんの優しい言葉とおおらかな態度、そしてユウが無事だったこと、ユウの優しい気持ち、いろんなものがごちゃまぜになって、涙が出そうになった。

俺は店員さんに「ありがとうございます。」とお礼を伝え、それからユウを抱きしめた。

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少しずつ深くなる夕闇の中、家路をたどる。

左手には、本物のスマホでバーコード決済を済ませた牛乳。

右手には、ユウの温かくて小さな左手。

迷子騒ぎのせいですっかり遅くなってしまった。

「ユウ、ハンバーグ、ちょっと遅くなるかも。お腹、空いてないか?」

ユウはニッコリと笑った。

「うん、だいじょうぶ。だって・・・・・・」

そう言ってポケットに手を突っ込み、ゴソゴソしていたかと思うと、何かを取り出した。

「これ、いえからもってきたからね。」

ユウの手には、いちごみるくが二つ握られていた。

それを見て、思わず笑みがこぼれた。

僕と違い、ユウはいちごみるくを無くしはしなかったようだ。

「ちゃっかりしてるな。」

僕が言うと、意味を知ってか知らずか、ユウは僕の顔を見上げてニヤリと笑い、「まあね。」と誇らしげに言った。

その言い方がおかしくて、また笑ってしまった。

それから、「パパにもひとつね。はい、どうぞ。」と、僕にも一つ分けてくれた。

立ち止まり、中身を取り出して二人でいちごみるくを口に入れる。

優しい甘さが口いっぱいに広がった。

うん、やっぱりおいしい。

「あっ!」

ふいにユウが僕の顔の後方、空の方を指さして声を上げた。

何事かと僕も空を見上げた。

「おお。」

思わず声が出た。

しばらくの間、立ち止まって二人で空を見上げながらいちごみるくを味わった。

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「そろそろ、行くか。」

「うん。」

手を繋ぎ直し、再び家に向かって歩き始める。

僕らを優しく見守るように、空には一番星が輝いていた。

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ゴミを拾って短編小説を書く。

SNS上(主にInstagram)で、そんな創作活動を2024年の2月から続けています。

もっと正確にいうと、ゴミ拾いをして、そこで拾ったゴミから妄想を広げて短編小説を書くという活動です。

決まり事は二つ。

「『そのゴミは、悪意を持って捨てられたものではないかもしれない』というところから妄想を広げること」

「読んだ後に、読んだ人の中に何かしらの良い感情が芽生えるようなストーリーを考えること」

せっかくなのでnoteにもあげていってみようと思います。

よろしければぜひお付き合いください。

Kindleにて電子書籍も出版しています。

短編小説集です。

Kindle Unlimited加入で無料で読めます。

よろしければそちらもどうぞ。


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