見出し画像

夢に向かう行動がもたらす効用━━『アルケミスト 夢を旅した少年』読書感想文

アラビアの御伽話のようなファンタジックな異国情緒と、自分の信条をもって生きる登場人物たちの含蓄をたっぷり含んだ台詞。中高生の頃に夢中になって読んだ萩尾望都さんの世界観を思い出すような、そんな作品。

メインストーリーは、羊飼いになって故郷を飛び出し、アンダルシア地方を巡るうちに自分の運命に導かれるようにエジプトに向かう少年の冒険譚だが、旅の間に出会う老賢人(王様)や、錬金術師や、イギリス人や、オアシスの少女や、らくだ使いとの対話には人生哲学がこれでもかと練り込まれている。

夢への挑戦に二の足を踏んでいるうちに、いつしか夢は日常の中に埋まっていく。

たとえそれが自分の一番の望みであると本能的に感じるようなことであっても、それに全身で飛び込むような行為は“大人になればなるほど”難しくなる。一方で、消極的に選びとった目の前にある人生そのものが、自分の幸せになることもある。

幸せって、なんだろう?
その命題を前向きに考えるきっかけになるような本だと思った。


私の好きな箇所

物語の前半は“夢に一歩踏み出す困難”が嫌というほど書かれる。「この方が幸せだから」「守るものがあるから」「他の人がそう考えるからそうせざるをえなかった」──本当にその通りだ。でも、本当にそうなのか?

「しかし、パン屋の方が羊飼いより、立派な仕事だと思ったのさ。パン屋は自分の家が持てる、しかし、羊飼いは外で寝なくてはならないからね。親たちは娘を羊飼いにやるより、パン屋にやりたがるものさ」
商人の娘のことを考えて、少年の心はズキンと痛んだ。彼女の町にもパン屋がいるに違いない。
老人は話し続けた。「結局、人は自分の運命より、他人が羊飼いやパン屋をどう思うかという方が、もっと大切になってしまうものだ」

少年は風の自由さをうらやましく思った。そして自分も同じ自由を手に入れることができるはずだと思った。自分をしばっているのは自分だけだった。羊たちも、商人の娘も、アンダルシアの平原も、彼の運命への道すじにあるステップにすぎなかった。

 (地中海を渡りアフリカの地についた主人公が、その当日に話の通じない異国で、不注意から全財産を奪われた状況で)
羊を待っていた時、僕は幸せだった。そして、僕のまわりにいる人を幸せにできた。人々は僕が出ていくと、僕を心から歓迎してくれた、と彼はふり返ってみた。しかし、今、僕は一人ぼっちで悲しい。一人の人間が僕を裏切ったから、僕はいじわるになり、人を信用しなくなるんだ。僕は宝物を見つけられなくなったから、宝物を見つけた人を憎むようになるだろう。そして、自分はダメな人間だという考えに取り憑かれるだろう。なぜなら、僕はとるに足りない人間で世界を征服できないからだ。

(メッカ巡礼を夢見ながら、「その前にお金を貯めなければいけない」と店を営み続け、自分は十分に巡礼に行けることを知りながらもしかし実行しないクリスタル屋の主人に)
「ではどうして今、メッカに行かないのですか?」と少年がたずねた。
「メッカのことを思うことが、わしを生きながらえさせてくれるからさ。そのおかげでわしは、まったく同じ毎日をくり返していられるのだよ。 〜中略〜 もしわしの夢が実現してしまったら、これから生きてゆく理由が、なくなってしまうのではないかとこわいんだよ。
〜中略〜 わしはな、砂漠を横切ってあの聖なる石の広場に着いて、その石にさわる前に七回もそのまわりをぐるぐるまわるようすを、もう千回も想像したよ。でも実現したら、それが自分をがっかりさせるんじゃないかと心配なんだ。だから、わしは夢を見ている方が好きなのさ」

*  *  *

「おまえさんはわしにとって本当に恵みだった。今まで見えなかったものが、今はわかるようになった。恵みを無視すると、それが災になるということだ。わしは人生にこれ以上、何も望んでいない。しかし、おまえはわしに、今まで知らなかった富と世界を見せてくれた。今、それが見えるようになり、しかも、自分の限りない可能性に気がついてしまった。そしておまえが来る前よりも、わしはだんだん不幸になってゆくような気がする。なぜなら、自分はもっとできるとわかっているのに、わしにはそれをやる気がないからだ

旅に出てからの物語の後半は、他者やこの世にあるもの、それぞれのあり様をありのままに学ぶことで確実に変化していく少年の価値観が見どころだと思う。

「私はこの砂漠を何度も越えたことがある」と一人のらくだ使いがある夜言った。「しかし、砂漠はとても大きく、地平線はとても遠いので、人は自分を小さく感じ、黙っているべきだと思うようになるんだ」
〜中略〜 少年は海を見たり、火を見たりすると、そこに永遠の力を感じて、いつも静かになった。僕は羊たちからものごとを学び、クリスタルからも学んだ、と少年は思った。砂漠からも何かを学べるにちがいない。砂漠は年をとっていて、とても賢いように思えた。

*   *   *

「〜中略〜 ある日のこと、大地がゆれ始めました。そしてナイル川が堤防をこえてあふれ出しました。そんなことは他人には起こっても、自分には絶対に起こらないことだと思っていました。私の隣人は、その洪水でオリーブの木を全部失ってしまうことを恐れました。私の妻は子供を失うのを恐れました。私は自分が持っているもののすべてがだめになるだろうと思いました。
結局、土地は荒廃し、私は他に生きてゆく方法を見つけなければなりませんでした。だから今、こうして、らくだ使いをやっているのです。しかし、その災害は私にアラーの言葉を理解させてくれました。人は、自分の必要と希望を満たす能力さえあれば、未知を恐れることはない、ということです。
私たちは持っているもの、それが命であれ、所有物であれ、土地であれ、それを失うことを恐れています。しかし、自分の人生の物語と世界の歴史が、同じものの手によって書かれていると知った時、そんな恐れは消えてしまうのです

 (砂漠を渡る間に、部族間の戦争が始まり、中立地帯のオアシスを必死で求める行路の最中に)
しかし、そのらくだ使いはあまり戦争を心配していないようだった。
「私は生きています」と彼はある夜、ひとふさのなつめやしを食べながら少年に言った。その夜は火もなければ、月の明かりもなかった。「私は食べている時は、食べることしか考えません。もし私が行進していたら、行進することだけに集中します。もし私が戦わなければならなかったら、その日に死んでもそれはかまいません。
なぜなら、私は過去にも未来にも生きていないからです。私は今だけにしか興味をもっていません。もし常に今に心を集中していれば、幸せになれます。 〜中略〜 なぜなら、人生は、今私たちが生きているこの瞬間だからです」

*   *   *

「オアシスだ」とらくだ使いが言った。
「では、なぜ今すぐ行かないのかな?」と少年が聞いた。
「寝なくてはならないからね」

「時々私は不満を言うけれど」と心は言った。「私は人の心ですからね。人の心とはそうしたものです。人は、自分の一番大切な夢を追求するのがこわいのです。自分はそれに値しないと感じているか、自分はそれを達成できないと感じているからです。永遠にさってゆく恋人や、楽しいはずだったのにそうならなかった時のことや、見つかったかもしれないのに永久に砂に埋もれた宝物のことなどを考えただけで、人の心はこわくてたまりません。なぜなら、こうしたことが本当に起こると、非常に傷つくからです」

夢とは? 幸せとは?

この本には、旅に出て以降“マクトゥーブ”という言葉が頻出する。
最初にこの言葉発したのは、異国の地で一文無しになった少年を雇ったクリスタル屋の店主で、彼曰く「おまえの国の言葉でいえば、『それは書かれている』というような意味さ」という言葉らしい。

すっきりと、不要なものがすべて削ぎ落とされた言葉だと思う。
すべて運命のままに、ということなのだろう。

ただしその運命は「そこにあるもの」でしかなく、真っ直ぐに相対しないと溢れるように逃げていく。それに真っ直ぐに相対したものだけが辿り着ける境地がある。

(とうとう夢の終着点だったピラミッドに辿り着いて)
少年はひざまづくと、声をあげて泣いた。そして、自分の運命を信じさせてくれたこと、自分を導いて、王様、商人、イギリス人、錬金術師に合わせてくれたことを、神に感謝した。それにもまして、愛は男が運命を追求することを決して邪魔はしないと言った女性と出会えたことを、彼は感謝した。
〜中略〜 「僕は自分の運命を実現する途中で、必要なことをすべて学び、夢見ることをすべて体験した」と少年は自分に言った。

これは誰にでもできることではないし、だからこそ実践できない他者はそれを見て羨み、妬み、毒を吐くこともある。そんなことできるわけないと、夢の失墜を望む。その状況が、人が運命に正直に向かうことをさらに難しくする。

夢とは、幸せを見つけるための絶対的に必要な過程なのではないか。
この本を読んでそんなことを考えた。

夢に向かうメリットは近くには見えにくい。
よりによって“物事がよく見えるようになることが幸せとは限らないこと”まではわかりやすく見えていたりするから余計に厄介だ。その恐れを超えて“よく見えるようになること”に挑戦したところで、必ず得られるものがあるという確証はない。

(老人が語る寓話の中で、すばらしい庭園をスプーンの油をこぼさずに回って来なさいと賢人にいわれた少年が、一度目はスプーンの油をこぼさずに庭園の鑑賞はおざなりに回り、二度目は庭の美しさをしっかり堪能しながらもスプーンの油をすべてこぼして回った後に)『幸福の秘密とは、世界のすべてのすばらしさを味わい、しかもスプーンの油のことを忘れないことだよ』

誰もが、運命と目の前の生活と夢とに、何らかの折り合いをつけて生きている。幸せのためには自分に合ったバランスを見つけることが重要なのではないかと思う。


#読書感想文
#ファンタジー小説

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?