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ニッチなクリエイティブコンテンツを売る方法

ニッチなクリエイティブ作品は
それを望む消費者にどうすれば適切に届けられるのか

ということについて論じてみました。マーケットデザイン的な抽象論なので具体策はありませんが、このような市場の捉え方をしている人が他にはいないのか気になり、自ら発信することにしました。

端的に要約すると、

ニッチなクリエイティブ作品を欲している人に効率的に作品を届けることができれば市場が大きく拡大する。しかし、そのためには先に消費者の需要を予測してその消費者個人にとって最適な作品の認知を与えなければならないが、消費者の需要を事前に知ることはできないためこれまで市場は形成されなかった。いま、機械学習によるレコメンド機能によってそれが解決される可能性を示唆し、それでも孕むセレンディピティを与える作品を提供することが難しいという問題点を解決するためにレコメンド機能のソーシャルメディア化を提案した。

という内容になっています。今のクリエイティブ市場に対する新たな観点がきっと見つかると思います。思考実験的ですので、実際とは異なる部分があるかもしれません。もし、そのような部分がありましたらコメントにてご指摘いただければ幸いです。また2万字ありますので、お時間があるときにゆっくりとお楽しみいただければと思います。

この議論で重要なテーマとなる消費者の試聴コストという考え方に則して現在のクリエイティブコンテンツの販促活動を分析してみた検証編もありますので、参考にしていただければと思います。

では、本編をどうぞ。

現状分析:クリエイターとビジネスの現状

私自身、いろんなジャンルの一オタクとして、素晴らしい作品を創り出す様々な業種のクリエイターの方々を素直に尊敬しています。そもそもの才能もそうですし、技術の習得やその発揮にかける時間、努力、執念、こだわりなど、普通には真似出来ない超常的な活動だと思います。

しかし、クリエイターの世界はプロスポーツの世界と同様実力社会であり、努力の対価としての経済が生じるのは、ほんのひと握りのトップクリエイターだけであることも事実。クリエイターが死力を尽くして生み出したのにもかかわらず、経済が生じず投資が回収できない(努力が報われない)という事態が頻繁に発生してしまっています。そうした現状がこの業界では常であると、社会全体で半ば諦めをもって合意してしまっていると私は感じます。

どうして一部にしか経済(市場)が生じていないのでしょうか。それはよくある不経済の原因と同じように、需要と供給が結びつかないからです。つまり、クリエイターとその作品を欲している消費者が一部でしか市場を形成していないということです。見捨てられた潜在的市場はどこに存在するのでしょうか。今回は、この見捨てられた市場について考えていくことが、主題となります。

現状分析:クリエイターと消費者を阻む2つの障壁


➊潜在需要の把握困難性

クリエイティブ作品において、消費者が購買行動を起こす前の潜在的な需要は、供給者側から事前に把握することはほとんど不可能です。消費者の真の需要は消費者が作品を試してみた後から生じるからです。そのため、供給者側は売れるかどうかわからない作品を一か八かで作る賭けになってしまうという障壁です。

例えば、アニメの市場で言えば、最近は萌えキャラがワイワイきゃっきゃしてれば売れるだろうという何となくの需要の傾向は掴めますが、果たしてキャラの人数は何人いるのが最適なのか、キャラの髪の毛の長短はどのくらいの割合が売上を最大化するのか、完全に把握することは困難です。

➋需要作品の発見困難性

供給側が消費者側の需要を予測することが困難な現状に加え、消費者側も自身の需要を満たす作品を供給された作品の中から見つけることは困難であるという問題があります。消費者の真の需要を満たすものを実際に提供されている作品の中から探し出すには実は途方もない労力が必要なのです。どうしてでしょうか。

消費者はクリエイティブ作品がもたらす、自身で想像し得ない新規性に価値を見出すため、事前に欲しているものが何なのかを明確に表現することはできません。そのため数多く供給された作品の中から、しかも消費者自身が知り得る範囲内の作品群から、最も自分の欲していたと思えるものを選ぶことでしか自身の需要を表現できません。したがって、自身の真の需要を満たす作品に出会うためには全ての作品を試してみて、その作品が欲するものなのかどうかを判断する必要があるのです。

消費者は自身でも把握出来ない内なる需要を抱え、クリエイティブ作品の広大な海を彷徨い、手当たり次第に作品という宝箱を開けて試してみることでしかその人にとってのお宝には出会えないからです。

特に、これからコンテンツはフローからストックの時代に移り変わります。昔川を流れていた宝箱は、今や大海原を形成しています。消費者の時間もお金も限られている中で、消費者は、その人にとってのひとつなぎの財宝onepieceを見つけることは困難極まる状況です。

現状分析:どうしてクリエイティブ作品はヒットしなければ売れないのか

では、これまでクリエイティブコンテンツ産業の担当者たちはどうやってこの絶望的なまでの需給のすれ違いを回避しようとしてきたのでしょうか。

答えは簡単で、なるべく大衆に、広い層に受けそうな作品を供給しヒット作を狙うことに尽きます。大衆受けし、ヒットを目指して作ることによってどのように需給のすれ違いを回避することが出来るのか、それぞれ見てみましょう。

まずは消費者の需要が供給側から把握することが困難である問題について見てみましょう。大衆受けするということはそもそもその需要が確実に存在し、しかも幅広い層にその需要が存在するということがある程度事前に予測できるということを意味します。したがって大衆受けするものを作ると、その需要はほぼ確実に存在すると考えられるため、リクープの可能性が上がると考えられます。

次に、消費者側は作品を探す労力が途方もなくかかってしまう問題について考えてみましょう。消費者は様々な潜在的需要を持っていますが、作品に出会うまでその需要に自身ですら気づかない場合があります。

つまり、ある程度自分が好きな傾向は把握しているものの、もちろんまだ見ぬ自分の好きな作品もあるし、結局は見てみないとわからないことが多い、ということです。

そのため、手当たりしだいに興味のあるものないもの関わらず、一旦見てみて自分に合う合わないを調べまくることをしなければ、本当に自分に合う作品をこの世界に創造された創作物の中から漏らさず消費することはできません。しかしもちろん、そんなことは時間もお金も間に合うはずなく、不可能であるということは明白です。

また、実際に見てみるまでは、あなたにとってある特定の作品の価値は、他の作品と等しく0です。そこで、前評判とか親しい友人や恋人の紹介などに基づいて、気になる作品を見てみようかなとなるわけです。

このとき、大衆受けし、周りのみんなが見ているような作品は、見てみようかなと思いやすいと思います。見たところで、本当に見たかったものだったのか、満足するものだったのかは、また別の話になります。さらに、消費者としても作品を享受することができる時間に限りがあるので、とりあえずは、みんなが見ているものだけはせめて見ておこうとなりやすいでしょう。これはすなわち、ヒット作だけでも見ておこうという価値判断を消費者が行う傾向が強いということです。この観点でも、大衆受けするもの、ヒットしたもののみが消費者に手に取ってもらいやすいということがおわかりいただけたのではないでしょうか。

この需給のミスマッチを生じさせる2つの困難、すなわち、①消費者の需要が供給側から把握することが困難である問題と②消費者側は作品を探す労力がかかり、見る作品が限られてしまう問題はクリエイターと消費者の双方を疲弊させているだけでなく、実際に経済をヒット作にしか生じさせない確固たる障壁として存在していることがわかると思います。

現状分析:潜在需要の把握困難性は独創性の裏返し

前者の困難、つまり、①消費者の潜在的需要が事前把握できない問題は、逆に言えばクリエイターに発想が委ねられていることの裏返しでもあります。消費者の望む作品を作れば売れるけれども、消費者が望んでいるのはまだ見ぬ作品であるので、望んでいるエッセンスのみ用いて新しいものを生み出すことが自然な決着のように思われます。

Netflix等の機械学習を活用するプレーヤーも同じような結論にたどり着くような気がします。属人的な発想が、いかにデータに基づいたものであっても、セレンディピティを生むことは可能なように思われます。

では、現在見捨てられてしまっている市場、すなわち、2つの困難によってクリエイターと消費者の需給がマッチングできず市場が形成されないヒット作以外の市場に、経済を生み出すにはどうすればいいのでしょうか。

これまでの技術や発想では解決できなかったがために、今日まで見捨てられてしまってきたのだと思われます。特に後者の問題にこれまでほとんどメスが入れられてこなかったことに原因があると思われます。

後者の問題、すなわち、②消費者側が需要を表現し得ないが故に作品を探す労力がかかり、見る作品が限られてしまう問題です。これは、はっきり言ってしまえば作品のマーケティングの問題です。

現状分析:消費者の試聴コストとは

ここでいうマーケティングとは、需要を抱いていそうな顧客に向かって、作品の内容を魅力的に伝え、お試しでも良いので、一度作品を手にとってもらえるように仕向けることを言います。消費者は根本的に消費してみなければ自身の需要すら自身で把握できないために、供給者側がある程度ターゲットを見定めて、広告などを駆使しターゲットにそもそもの認知を与え、様々なチャネルにおいてターゲットに作品を手にとるような誘導を仕向ける必要があります。需要者側が取り得るアクションは先述の通り総当りトライしかないからです。

当該作品の需要者を供給者側が特定し、需要者側のセレンディピティを含む需要を満たせるように、需要者が試聴をトライすべき作品のポートフォリオをいかに適切に需要者個人に向けて提供できるかが、このマーケティングの鍵を握ります。

この先、後者の問題、すなわち消費者は自身の需要を試聴してみないと確認できないために、総当たりで試すしかなく、これには莫大な労力が必要であることを「消費者の試聴コスト」と呼ぶことにします。試聴コストには金銭的なコストという意味も、試聴に必要な可処分時間、体力や能力等も含まれ、消費者が需要を認識し、その需要が充足されるまでに必要なあらゆるコストを指します。

無限に存在する作品群から一つの作品を選んで試聴するわけですから、ある一つの作品に対しての試聴コストは最初無限大に大きく、消費者の認知や試聴に対する興味関心が増加するとコストが徐々に減少していくという考え方です。他の作品とコストを比較して、最も試聴コストが削減された作品から順に試聴されていきます。また、個人の許容されるコスト量の合計を上回る作品数以上は試聴されません。

現状分析:試聴コスト問題の様々な解決策

消費者の試聴コストを下げ、人気作やヒット作以外にも消費者に索敵領域を広げてもらう方法として簡単に思いつくのは、無料のPVやMVをYouTube等にアップロードすることではないでしょうか。

突然ですが私は現在大学で計量経済学というものを専攻しています。簡単に言えばデータ分析の経済学版です。昨年の研究で音楽消費について、CD販売数とSpotify再生数とYouTube公式PV再生数の時系列的関係性を調査した結果、学部生レベルなので確定的とは言えませんが、少なくともYouTubeの再生数が伸びれば同週及び翌週のCD販売数はどうやら伸びるらしいという結果が得られています。最近世界中のどのレーベルもこぞってYouTubeにPVやMVを投稿していますが、レーベルがデータに基づいた意思決定をしていると仮定すれば、私達が得られた結果と矛盾しないということがわかると思います。

YouTubeに楽曲のPVを音楽データが含まれた状態でアップロードすることは、一見無料で視聴するユーザーを増やし、収益化し損ねているように思われますが、それでも現状YouTubeにPVがあふれかえっていることから察するに、それよりもまず顧客自身に試聴を通して需要を認知させ、真の需要者、すなわちファンとなってもらえれば、機会損失額を超えてリクープの確率が上がるという経営判断がなされているのでしょう。

同様の消費者の試聴コストを下げる取り組みは昨今の流行であるサブスクリプションにも当てはまると考えます。サブスクリプションは定額見放題というサービスですが、これは消費者の試聴の限界費用を0にするということを意味します。限界費用とは1作品を追加的に試聴する際のコストのことです。

TV放送ではスポンサーのCM広告料を原資に無料放送が行われていますが、サブスクリプションではユーザーの月額使用料を原資に無料放送を行っています。したがってTV放送もサブスクリプションも同様に、消費者の試聴のコストを下げ、送信者側すなわち供給者側が届けたい特定の需要者に試してもらいたい作品を届けるということを狙っています。

レコメンド機能のいま:試聴コスト低減の嚆矢として

クリエイティブ作品提供プラットフォーマーが席巻する2019年現在において、これらプラットフォーマーが莫大な資本をもってこの消費者の試聴コストをいかに下げるかという問題に直面し、いかなる解決策を講じようとしているかはもちろん考慮すべきでしょう。

最も重要だと思われるものは、機械学習を用いたレコメンド機能です。具体的な数字を忘れてしまいましたが、Netflixではユーザーのコンテンツ視聴は半数以上がレコメンドから発生しているというデータが上がっているようです。レコメンドされた作品がその顧客にとって満足できる確率が高い場合、すなわち需要していた作品がレコメンドに多く表示されていた場合、需要を満たす作品に出会える確率が高くなることになり、単純に顧客の満足度が高まるだけでなく、クリエイターが提供したい価値が、無駄にならずにその作品に対する需要をもつ者によって消費される確率が高まることを意味します。それはつまり、クリエイターが創造した作品が適切に、その作品に対する需要を持つ消費者のもとにレコメンドを通して届けられる可能性がある、ということなのです。

ここで一旦、現在のレコメンドがどのように行われているか見てみましょう。2019年現在公開されている限られた情報から推測できるレコメンドの仕様の内、最も精度が高いと考えられるものは、協調レコメンドアイテムベースレコメンドのいいとこ取りをしたものだと想像されます。実際はもっと格段に進化していると考えられますが、各プラットフォーマーが開示するはずありません。

協調レコメンドはユーザーの行動履歴を用い、類似する嗜好を持つユーザー群を想定し、そのユーザー群でよく見られている作品を提示するというもので、アイテムベースはアイテムの特性について他のアイテムとの関係性を機械学習で学習し、類似する商品の提示を行います。個人の需要予測がある程度可能になれば、レコメンドした作品群は消費者にとって需要となる可能性が比較的高いものばかりとなり、実際に視聴し需要が確認されれば消費者の満足度は高まり、そのプラットフォームの定着率は高まるでしょう。

このレコメンド機能を通して、見捨てられた市場を再び形成することは出来るのでしょうか。クリエイターが創造した作品を、最も必要とするであろう顧客に適切に届けることによって、これまで経済が生じなかったクリエイターの努力や投資が回収できる部分が拡大する余地はあるのでしょうか。

ここで一度、これまでの話の流れを整理してみましょう。現在、ヒット作、人気作のクリエイターと消費者の間にしか経済が生じていない原因には2つの障壁があるのではないかということをお伝えしました。1つはクリエイター側は消費者側が何を欲しているのか把握し得ない点、もう1つは消費者側は何がほしいのか作品を試しに享受して見るまでわからないため、本当に自分が欲しい物に出会うためには全作品総当りで試すしかなく、そのためには莫大なコストが掛かる、すなわち試聴コストがかかるという障壁でした。人気作、ヒット作とは、これら2つの障壁を回避できる画期的な方法ではありますが、すべてのクリエイティブ作品がヒットできるわけではありません。したがってニッチな作品は投資の回収が困難でした。このニッチな作品をニッチな需要を持つ消費者に的確に届けることができれば、そこに新しい経済市場が誕生することになります。そしてそれは結局作品のマーケティングの課題であるということを指摘しました。強大なデータとプロセッシング能力という大規模資本を持つプラットフォーマーはこの課題に対し、機械学習に基づくレコメンド機能を充実させることで解決を図ろうとしています。果たしてこのレコメンド機能で見捨てられた市場を復活させることは出来るのか、というところまでお話を進めてきました。

さて、クリエイティブ作品にも様々な種類が存在しますが、毎年新しいジャンルそのものが生み出される音楽の領域を例に、レコメンド機能がどのように市場補完、新市場形成に役立つのかということについて考えてみたいと思います。

レコメンド機能のいま:音楽市場を例に

音楽市場で最も注目すべきプラットフォーマーはやはりサブスクリプションサービスのSpotify, Apple Music, Amazon musicの3サービスでしょう。最近はYouTubeも乗り出したことは記憶に新しいと思います。これらのサービスでは例外なくレコメンド機能が装備されていますが、このレコメンド機能が新市場の形成に役立つかどうか、考えてみたいと思います。

音楽はご存知の通り多種多様であり、無限の創造性が存在するように思われます。毎日作編曲家や歌手によって作り出されるその多様な楽曲を、レコメンドによって的確にその楽曲を真に欲する人(聞いてみなければ欲しているかはわかりませんが)に届けられることができれば、目的は達成されます。

プラットフォーマーはユーザーの視聴履歴から、ユーザーの好みを割り出し、同じような好みを持つユーザーがよく聞くような楽曲をレコメンドします。また、Spotifyでは楽曲一つ一つの解析が行われており、楽曲間の特徴の距離が計測されているそうで、ユーザーが好んで聞く楽曲の特徴量の距離が近い楽曲もレコメンドされるようです。

前者のレコメンド機能はいわゆる協調レコメンドと呼ばれるもので、説明からもお分かりいただける通り、人気作やヒット作がレコメンドされやすくなっているのがわかると思います。これと比較して後者はいわゆるアイテムベースのレコメンドであり、単純に曲調が近いものだけがレコメンドされるため、人気不人気に関係なく、消費者の試聴コストが低減される効果が協調レコメンドよりはありそうです。

果たして、機械学習でどこまで音楽そのものの分類や特徴量の抽出が可能なのかはわかりませんが、人間の音楽の好みについて、人間の知りうる分類を超えて、琴線に触れるエッセンスのみ抽出分類できるようになれば、音楽の分野において新しい市場が形成される可能性は十分あると言えるのではないでしょうか。

実際、Spotifyではアーティストに対して、ユーザーの月額料金の一部を再生回数に応じて分配する仕組みになっていると聞きました。すなわち、YouTubeに上げて、数千回行くか行かないかの再生回数の作品は、YouTubeでは何の経済も生まれなかったのに対し、Spotifyでは少なくとも再生回数の1回に対価が支払われる経済が生まれるのです。実際に1再生ごとに支払われるのかは定かではありませんが、あらかたのニュアンスとして、これまで市場が存在し得なかったニッチなコンテンツについて、そこに新しい経済が生まれることを意味します。

したがってこのSpotifyに作品を上場すれば、作品に経済が生まれる可能性が高まるということになります。ただし、上場するだけでは消費者に発見されず、試聴されなければ経済は生じません。そのため、レコメンド機能によって作品が潜在的需要者に推薦され、実際に試聴される必要があります。

レコメンド機能のいま:現段階の技術的限界

アイテムベースのレコメンドが完全にできたとしても、実は取りこぼす重要な懸念点があります。それは、ユーザーの視聴履歴以上のユーザーの需要や、新しい特徴量や観点を持つ分類の新曲が出てくることです。

実際の機械学習エンジニアではないので、実情や今後の技術の発展に関してあまり正確性を保証することはできませんが、考え方を参考にしていただければと思います。

ユーザーの視聴履歴以上のユーザーの需要とはどういうことでしょうか。これまでの話では、ユーザーには試聴コストがかかるということについて議論してきました。ユーザーは試聴した後にようやく自身の需要を認識出来るというものです。ユーザーの需要というものを、仮に、的確に把握するためにデータを集めたいと思うのであれば、試聴履歴の中からユーザーが気に入ったものを選択してもらい、需要があったものであったか否かを意思表示してもらえば良いわけです。しかし、ユーザーがこれまで試聴していないユーザーの好みの特徴量についてのデータはどこにも現れていません。プラットフォーマー側は把握しようがないのです。

同様の現象が、新しい特徴量を持つ楽曲や、これまでの分類にとらわれない楽曲の登場によって発生します。機械学習の進化によって私たちの常識では分類できなかった新ジャンルの認識や分類も可能になる可能性は十分あります。しかし、新たに発生した楽曲はユーザーとの接点におけるデータが初期には不足しています。そのため、実際にランダムにユーザーに試聴させてみて、どういうものを好むユーザーがその新曲を好むのか、また、新しい特徴量がどういうユーザーに好まれるのかというデータを取得して初めて、適切なレコメンドを始めることができるのです。

新曲については事前にデータをクローリングする期間が必要ですが、それさえすればレコメンドの運用は可能です。しかし、ユーザーの表出しない需要は把握しようがありません。ここがレコメンドによってクリエイターと消費者を繋ぐ際にぶつかる壁になるのではないでしょうか。

レコメンド機能のいま:限界とセレンディピティ

レコメンドによって提案できない、データに表出していない好みの作品とは、すなわちどういうことでしょうか。ユーザー自身がその作品を試聴したことがないにもかかわらず、聞いてみれば好きになるという楽曲のことです。いかにも、レコメンドしにくそうなものですが、私はこのような作品を呼ぶのに、セレンディピティという言葉が最も近いのではないかと思います。

ユーザーの視点に立って考えてみれば分かりますが、様々な楽曲を聞き流しているときに、ビビっとくる楽曲に出会う、それがセレンディピティです。ユーザーの試聴履歴や嗜好データから、ユーザーが気に入る可能性の高い類似作品をレコメンドすることはできますが、レコメンドでこのセレンディピティを与えるためには、様々な課題が山積しています。このレコメンド技術について2017年頃にセレンディピティをいかに作り出すかが話題になったようですが、現在どうなっているのか私は把握していません。しかし、想像することはできます。

セレンディピティといえども、それまでの行動履歴や嗜好データから、ある程度新しくハマるジャンルは想定出来るのではないかという発想ができます。これは、全ユーザーが視聴履歴上でどのように試聴するジャンルを広げていくのか、そのカスタマージャーニーマップデータを作成できれば、ある程度、次にハマるジャンルの作品を推薦できるという寸法です(カスタマージャーニーの意味が違いますが)。

では、この方法でセレンディピティを与えることによって、ヒット作以外の作品のクリエイターと消費者を結び、見捨てられた市場を復活させることは出来るのでしょうか。

答えは、多少できる、ということになるでしょう。嗜好データに現れない新たな需要を創造するというセレンディピティを与えるレコメンドは、完全なランダムで行うか、もしくはなんらかのデータに基づいてある程度狭められた範囲の作品群から、レコメンドすることしかできません。上記のように、カスタマージャーニーマップ(この記事内のみの用語)のデータを用いてセレンディピティを与えられる可能性が高い作品を抽出して、そこからなるべく視聴回数の少ないものをレコメンドする程度ならできるでしょう。これはユーザーの試聴コストを低減することに成功しています。しかし現状では、既存ジャンルから外れるものや新しいジャンルのものは候補に上がりにくいことが想定されます。

レコメンド機能の未来:セレンディピティをも生む完全な機能とは

上述した通り、機械学習が人間の認識不可能な分類が可能である可能性があるため、人間の認識可能な分類にとらわれない分類や特徴によって音楽が徹底的に分類され、分野外となる音楽が存在しなくなる可能性もあります。また新曲については、初期のクローリングを行い、様々な消費者との接点データを収集することができれば、どんな変哲な新曲も次に誰の需要に適うか判断できるような、完全なるカスタマージャーニーマップが構築され、クリエイターと消費者が的確に結び付けられ、瞬く間に新しい市場が形成されるでしょう。

しかし、それは、次にどういうものを作れば誰に受けるか完全にわかる未来の世界の話です。それはそれで社会の充足感は得られるかもしれませんが、作品の作家性がある意味で必要なくなる社会でもあります。

先に述べたように、作家側、クリエイター側から見た消費者潜在需要の把握困難性は、作家性を発揮するためのある種の言い訳であったとすら言えるでしょう。その把握困難性がテクノロジーの進化に伴って、完全ではないものの把握できるようになり、困難ではなくなってしまったとき、作家は売れない言い訳をする口実を失ってしまうことになります。

将来的にこの問題に直面した際、社会はクリエイターの創作をクリエイターの自己実現という文脈で再定義し、作品における商業主義的な経済性の有無は問題ではなく、ただ単に、自己実現としての作品には経済が生じるものと生じないものがあると認識することによって一旦の解決を図るでしょう。

このとき、売れないと分かって創作することが趣味となり、売れると分かって創作することが商売になるのでしょうか。ただし、これも最初の方に述べた通り、売れるとわかるものを作っていくと、そうしたクリエイター同士で淘汰し合う関係性になり、クリエイターが固定化され、創作されるものが固定化されていきます。果たしてそうなった時にこれはクリエイティブなのか、ただの欲望充足コモディティなのかは、問われざるを得ない、必ず直面する問題だと思います。

レコメンド機能の未来:他のクリエイティブでは

音楽の分野に限定して話を進めてきましたが、大方、他のクリエイティブ作品にも同じようなことが当てはまるのではないでしょうか。舞台演劇やライブコンサートのプラットフォームも出来るでしょうし、ゲーム作品もどんどんストリーミング化が進んでいます。顧客との接点を持つ上で、インターネットを駆使したプラットフォームは考えられる中で、クリエイティブ作品を介してクリエイターと消費者をつなぐ、現状最適なインターフェースであることは間違いないと思います。

そのプラットフォームには、各分野それぞれの新旧ジャンル様々な作品がずらっと並べられるわけですが、やはりそこでも消費者にとっての試聴コストが莫大になり、視聴者は自身の需要が含まれている確率の高いレコメンドされた作品から順に試聴を始めていきます。もし、レコメンド機能が完全となり、セレンディピティさえも与えられるレコメンドとなれば、人気作品に限らずとも、全ての作品が真の需要に応じて提供され、需要量に応じて対価が支払われる経済が生じることになるでしょう。

レコメンド機能の問題:需要を彩るセレンディピティ

現状私が考え得る範囲で、機械学習によってセレンディピティを与える手法として挙げた上述の方法は、ある意味で真のセレンディピティとは言えないかもしれません。上述した方法とは、簡単に言えばあなたの嗜好に似た人が次によくハマる別ジャンルやクリエイターを推薦するというものでした。

そこにあるのは、あなたの試聴履歴や嗜好データに基づいて、あなたが気に入りそうなものを強化学習した機械がオススメしてきたものです。本当に、消費者が作品を選択するタイミングで考慮する要素は、自身の需要、すなわち自分が好きそうかどうかだけなのでしょうか。

実は、もし、消費者が自分が好きそうかだけで作品を選択して試聴するのであれば、セレンディピティの提供も可能なレコメンドを有したプラットフォーム上では作品の内容以外で他と差別化できる要素はなくなってしまいます。需要の有無だけが売れる売れないの基準となるからです。逆に言えば、消費者の試聴作品選択の基準が、自身の需要以外にもあるとするならば、レコメンド以外でも売れる作品と売れない作品のポジションを恣意的に変更することは可能です。

レコメンド機能の問題:レコメンドの文脈上の欠点

試聴コストを提唱した際、結局はマーケティングの問題であるという話をしました。試聴さえしてもらえれば、基本的には対価の経済が生じるからです。社会契約上、1回試聴すればだいたいは満足な効用が得られてしまう消費財的なクリエイティブ作品については試聴タイミングで徴収するしかないということです。

したがっていかに試聴してもらうように仕向けるかが最も重要なことで、そのためには試聴コストを下げることが必要でした。レコメンドは将来性も含めて有力な手段でした。しかし、それ以外の広告やCM、その他従来のマーケティング手法も有効です。人気作は前評判という意味で、他に抜きん出て消費者に認知を与えることができる素晴らしくマーケティング効果のある作品でした。

そうした他の広告に触れて、消費者が試聴の選択をするルートももちろん想定しなければなりません。それらはレコメンドとは異なり、消費者の詳細な嗜好データを持ち合わせていないため、なるべく広く多くの消費者の目に触れることを志向し、大きな予算を必要とします。そのため、予算が大きい作品にのみ、そうした広告を行うことが許されます。

しかし、そうした広告を見て、それまで興味を持っていなかったものを試聴し、セレンディピティを受ける消費者が出てくるのです。その際、試聴作品選択の判断材料は自身の需要も少し含まれるでしょうが、大部分は偶然なのではないでしょうか。

消費者自身の文脈とは異なる文脈、すなわち他者の文脈で偶然遭遇する作品が、従来のマーケティング手法によってもたらされてきたセレンディピティと言えるのではないでしょうか。

レコメンド機能の問題:レコメンドの文脈的非人間性

レコメンドによるセレンディピティと、他者の文脈からのセレンディピティの違いを、消費者の受け取る文脈を通して考えてみたいと思います。

まず、レコメンドとは自分の需要という文脈において、自分を不特定の他者に近づける方向のセレンディピティが得られるシステムでした。レコメンドとは、自分の需要を予測され、試聴すべきと判断されて並べられた作品群で、その予測には他者の行動データが使用されています。そこで与えられるセレンディピティとは、他者の行動の模倣としての新しい発見ということになるでしょう。すなわち、自分を不特定の他者、言い換えれば世間に寄せるセレンディピティです。

他者の文脈からのセレンディピティも同じように、広告に接したり、誰かに勧められたりするといったように、他者の行動に影響を受けて試聴する作品を決めるわけですから、他者に寄せるセレンディピティと言えるでしょう。ただし、そこに、消費者側の受け取り方、見方の違いがあります。それは、作品の試聴をするかどうか判断する時の文脈の違いです。

機械学習によってレコメンドされた作品は、たしかに自身の需要に適う可能性の高い作品群でしょう。その中に、これまで興味のなかった作品が含まれているかもしれません。それらは、あなたのデータと他者のデータからあなたにセレンディピティを与える可能性が高い作品です。

一方で、あなたの嗜好をそれほど考慮せず、あなたがこれまで興味のなかった作品が、他者の文脈であなたの目に触れるようになった場合、その作品と、レコメンドされた作品のどちらを選択するでしょうか。

これだけの条件だとレコメンドを選択すると判断する人が多いのではないでしょうか。私も、自身の需要を適切に満たしてくれそうな作品が提示されれば喜んでそちらを選択するでしょう。

この問いかけは少し、不親切であり、誘導的です。なぜなら、レコメンドではない方、すなわち、他者との文脈において出会った、今の所興味のない作品とは何か、想像し難いからです。丁寧に説明するならば、これは、人気作と同じように、リアルな人間関係の文脈内で扱われた作品を意味します。

例えば、友人から勧められた作品や、彼氏に一緒に見にいこうと誘われた作品、息子に見てもらいたい作品など、作品にまつわる文脈が、自分の需要だけではない様々なリアルコミュニケーションのなかに存在する場合です。他にも、街角で見かけた広告塔や、有名人が賞賛している作品、好きなキャラクターが歌っている音楽など、対人関係に限定される訳ではありません。この場合、レコメンドのようにあなた自身の需要には合わないかもしれませんが(その可能性が高いわけですが)、それでも、誰かと一緒に見たり、その後勧められた人に感想や愚痴を言いに行ったりするなど、とりあえず試聴してみたいという、これまで話してきた需要とはまた別の観点で満足が得られるのではないでしょうか。

レコメンドはあなたに試聴を提案しますが、こうしたリアルでのコミュニケーションで出会う作品もまた、試聴を提案することができ、その場合、気に入ったか気に入らなかったかは実は問題にならないという可能性さえもあります。

レコメンド機能:まとめ

もともと、クリエイターと消費者をヒット作以外の作品で繋げ、新しい市場を形成するためにはどうすればいいかを考える上で、プラットフォーマーのレコメンド機能について考えてきました。レコメンドによっていかに消費者試聴コストをさげるか、すなわち、クリエイターの創作物をそれを欲する人に着実に届けることができるか、様々な観点から見てきました。その中で、レコメンドの現状の技術的限界までの範囲と、それを突破した将来生じるクリエイティブの問題などについても触れました。後半では、レコメンドが進化し尽くしたとしても突破できない、レコメンドはあくまでもレコメンドである、ということに起因するレコメンドの限界とセレンディピティについて述べました。

さてそれでは、これらを総合して考えた際に、クリエイターと消費者をヒット作以外でつなぎ、新しい市場を形成するためにはどうすればよいか、考えていきたいと思います。

超レコメンド:そもそも作品の価値は作品だけで決まらない

様々な観点から、レコメンドは有効な手段の一つであることがわかったと思います。ただし、前提条件として、プラットフォームが存在するジャンルの範囲内にとどまる作品しか、レコメンドの対象にはなりません。また、そうした場合、消費者のデータは各プラットフォームごとに保存され、使用されますから、まだその消費者が経験したことのない他のジャンルの作品をレコメンドすることは難しく、将来的にできるようになるまでには様々な課題が山積みになっています。

そんななか、ジャンルにとらわれず、縦横無尽に消費者にヒットしていない作品を適切に供給することはできるのでしょうか。ヒントは前章後半にあるのではないかと私としては考えます。そこで何を述べていたかというと、消費者の需要を効率よく満たすために試聴コストを最小化するのも正攻法ですが、それ以上に、消費者の需要とは関係ない他者との関係性の文脈において、結果的に需要に反してしまうかもしれない大胆な作品の提案でも、消費者に満足を与えられる提案ができるかもしれないということです。

これまでお話ししてきたプラットフォーマーのレコメンド機能がどちらかというと新手法であって、様々なリアルでの関係性に基づいた提案こそが従来の正攻法であるというつっこみはさておき、後者の方法では、提案を文脈に乗せられるというレコメンドにはない利点がありました。ここで、これまで前提にしてきた、作品の最適供給の問題において何を最適とするのかということそのもの再考すべきタイミングになるのではないでしょうか。

前半部分、2つの障壁を説明した後に、試聴コストを低減することに主眼を置いてレコメンド機能を取り上げました。この時前提にしていた最適供給とは、クリエイターの作品に対する消費者の表現し得ない需要に対していかに効率的に提供するかということで、普通ならできないことを機械学習という最先端トレンドのテクノロジーで解決できるのでは、と考えてみたものでした。

しかし、作品試聴の提案を文脈に載せることによって需要に適う如何に関わらず価値を提供できる、という可能性をも考慮した場合、何を最適とするかは複雑な問題になります。ここで、その付加された価値を需要の観点から考えてみると、作品そのものだけではなく、作品を試聴する前後の体験や試聴するか否かの判断など、作品が消費者に与える価値の総体に対する需要というものを考慮していかなければならないということがわかります。では、作品を含む価値総体に対する需要まで考慮した場合の最適な供給とは何を意味するのでしょうか。

超レコメンド:真の消費者需要とは

作品そのものに対する需要のみを考える最適供給においては、レコメンドによって最適な分配が可能になるかもしれないということを考えてきましたが、消費者が作品に求めるものは作品そのものだけでなく、その作品を核とする総合的な体験であり、それこそが真の消費者需要とするならば、どのような状態を最適供給と定義できるのでしょうか。

これまで把握できていることは、作品のみの需要に基づく試聴の提案は、既存の消費者の需要をもとにレコメンド機能を用いて実現できる可能性がある一方、他者との関係性の文脈による試聴の提案は、作品の内容にとらわれず、試聴する機会という体験に対する消費者の需要を充足することが可能であるということです。このことを踏まえて、ヒット作以外の作品でもクリエイターと消費者を結び、経済を生じさせるために目標とすべきことは、試聴すべき作品を、個人にとって重要な文脈において提案し、その中で需要に適うものの割合を最大化することなのではないでしょうか。これが作品に対する総合的な需要を考慮に入れた際の、作品を消費者に届ける最適な運用と言えます。

超レコメンド:総合的な試聴コストの低減

 安直に考えると、機械学習によるレコメンドに他者の文脈を持たせることによって達成できるように思われます。この場合、レコメンドが主で、他者の文脈が従になります。そのとき、他者にとってレコメンドされた作品に文脈を与えるとはどういった場合が考えられるのでしょうか。

例えば、夫が次に好きになりそうな作品の一覧を妻が手に入れた時、夫の関心を自身に引き戻すためにその作品の体験を一緒にするなどして、効果的に用いようとするかもしれません。他には、ある成人男性が次に好きになるであろう作品がレコメンドによって発覚し、その作品を過去に製作したクリエイターや権利会社がその情報を手に入れた場合、その男性に対しては効果的なPRをするなどしてそのタイミングでなんらかの試聴の後押しできれば、他作品に対しては優位な状況を生み出すことができます。

この例のように、レコメンドの情報が他者の手に渡った場合、そこに文脈を乗せて消費者に効果的にアプローチすることが可能になることがわかります。しかし、レコメンドの情報が他者に渡るということは、需要という個人のかなり内面の奥底まで抉り取ったプライバシーを公に暴露するということなので、今の社会ではあまり考えられないでしょう。

したがって、外部の文脈を主とし、その中でなるべく狭義の需要に合う確率を高めるアプローチが期待されます。もちろん、レコメンドだけで狭義の需要を満たしていくことで、ヒット作以外の作品も適切に消費者に供給分配できる将来性があることは前章で確認した通りであり、作品を取り巻く総合的な魅力に対する需要まで考慮した供給分配と比較してどちらがよりニッチな作品の市場を生むために適切なのかは検討しなければなりません。

もし、作品に付加的な総合的魅力が、レコメンドの機能に単にプラスされる魅力としてカウントされるならば簡単な話なのですが、上述のように、他者の文脈を用いてレコメンドの補強を行うことは、プライバシーの問題で不可能そうであるということがわかり、ならば単にレコメンドだけでいいのか、外部の文脈を主としてそこにレコメンドを従わせるかのいずれかしかないということがわかりました。

私としてはいずれかが正しいというわけではなく、両アプローチが共存することが最適なのではないかと考えます。というのも、両アプローチはそれぞれフィールドが異なるため互いに干渉しないからです。

その場合、外部の文脈を主とし、その中でなるべく狭義の需要に合う確率を高めるアプローチに関して、我々は新しく取り組む余地があるのではないでしょうか。

超レコメンド:他者の文脈を通してクリエイターと消費者をつなぐ

他者の文脈とは、それすなわち広告です。これまで知らなかった商品の認知を与え、購買に導かせるというなかなかのハードワークですが、知ってもらわなければ経済は生じません。そのためもちろん、どんな商売でも広告が重要な課題になります。これはクリエイティブ作品に限って言えば、試聴コストを下げることと同義です。

もしレコメンドという消費者本人の領域を出て、広告という他者の文脈を通して作品の最適供給の課題を解こうとするなら、広告に消費者個人と他者とのアクティブな関係性を持たせることが良いのではないかと思います。

どういうことかと言いますと、レコメンドと比較して広告は個人の嗜好データを使用できないために、作品に対する総合的な需要を的確につく精度が足りず、どうしても多数に広告する戦略を取らざるを得ませんでした。そのため、ヒット作のような幅広い需要を見込める作品でしか広告というマーケティング活動ができませんでした。

そこで、消費者自身に能動的に動いてもらい、ある程度の消費者自身の情報を取得しながら広告を行えば良いのではないかということです。ネット広告で言えばリスティング広告が代表的で、Google検索で消費者が検索したワード、すなわち消費者の需要らしき情報を取得し、その情報に応じて検索画面上部に広告を行うということです。

またもう一つ、着目すべき点があると考えます。総合的な作品に対する需要について述べた際に、他者の文脈について広告と並んで挙げた、リアルなコミュニケーションで作品を扱うことによって作品を取り巻く文脈が追加されるという点です。

消費者自身の能動的な作品に対する文脈と、リアルな人間関係の文脈において試聴すべき作品の提案を行う、これができれば、ある程度、外部の文脈を主とし、その中でなるべく狭義の需要に合う最適供給を達成できるのではないでしょうか。

Solution: 具体化

では、消費者自身の能動的な文脈と、リアルな人間関係の文脈を併せ持つ、試聴すべき作品の提案の場とは一体どういうものがあるのでしょうか。

これに一部当てはまるものとして、インフルエンサーマーケティングがあると思います。ご存知の通り、YouTuberなどのインフルエンサーらが企業との協賛関係において商品を視聴者にPRするというものです。消費者はどのインフルエンサーの動画やインスタなどの発信を受信するか能動的に選択できるため、広告を受ける文脈を能動的に作り出していると言えるでしょう。

企業側も同様に、インフルエンサーの視聴者がどういう客層であるかということを考慮した上で協賛相手を選択し、PRの手法等を慎重に選択しますから、消費者の能動的行動によってもたらされた情報に基づいてPR対象の選別が行われているわけですよね。

またインフルエンサーと消費者はリアルな人間関係を築いているとここでは考えてください。実際は視聴者からインフルエンサーに対する一方的な認識かもしれませんが、インフルエンサーは視聴者をその総体として認識し、総体的視聴者の顔色を伺いながら放送を行うという1対多のコミュニケーションをとっています。

したがってインフルエンサーマーケティングは上記の2つの文脈を同時に満たしている、試聴すべき作品の提案の場となっていると言えるのです。実際に消費者は、あの人が言うんだし試聴してみようかな、と思うように、紹介された作品の試聴コストが低下しているのがお分かりいただけたと思います。

このように、インフルエンサーマーケティングは外部の文脈において試聴コストの削減に役立っているわけですが、全ての個人の嗜好に適切なインフルエンサーがいるわけでもなく、また、クリエイターや権利者がそれら全てのインフルエンサーを把握し、作品の提案を適切に依頼できるかと言われれば、それはヒット作の原理と同じで、ヒット作以外の作品では不可能に近いのが現状です。

Solution: 提案

このインフルエンサーマーケティングのような消費者の能動的文脈と人間交流的文脈を併せ持つ試聴作品提案を、もっと身近に、個人間でできるようになれば、外部の文脈で作品の最適分配の問題を解決できるのではないでしょうか。

どういうことかご説明しましょう。外部の文脈で作品の最適供給を目指した場合、インフルエンサーマーケティングのような形が一部有効であるというお話をしました。しかし、インフルエンサーは偏在的で、マスメディア的な1対多の発信であり、それに伴って個人に最適化できないという問題がありました。であるならば、インフルエンサーマーケティングをソーシャルメディア化すれば個人最適化できるのではないか、という発想です。

すなわち、個人一人一人が、インフルエンサーとなり、同時に誰かの視聴者になればいいのです。具体化してみましょう。個々人が気に入っているものや人に勧めたいものをなんらかの形で標榜する場所を設け、属人的に示せば、この人が好きなものや、この人がオススメしている作品というものがわかります。したがって、次に試聴すべき作品を見つけたいというインセンティブをもつ消費者が、いつも会話しているあの人は普段どういうものを見ているんだろうか、というように、他者の嗜好という看板を頼りにして、能動的に次に試聴する作品を調べ、選択する、という外部の文脈を形成することが出来ます。

次の試聴作品の参考となる他者を選択するという能動的な文脈において、消費者の当該他者との嗜好の類似性や当該他者に対する憧れや親しみといった様々な感情が考慮されます。受けて一方ではありますが、そこには人間交流の文脈が存在しています。実際のサービス上では双方向のコミュニケーションが自然に発生する可能性もあります。

Solution: 実装するには

この仕組みは実際にその人の人となりが分からなければ文脈を形成することは出来ないので、リアルのコミュニティか、facebookやtwitter等のソーシャルアカウントに紐付けするのが効率的でしょう。

実際にこの仕組みでどのように作品の最適供給が行われるか説明したいと思います。まず、誰かがとても気に入る作品やその作者であるクリエイターを発見します。その人の感性にとても響いたと思ったものを、他の人に見てもらえる場所に標榜します。この人の感性に近かったり、この人のことを尊敬している人は、この人の感性を信じてその作品を試聴してみる、という流れです。

その人のおすすめしている作品がよく自分の需要に合うのであれば、その人のおすすめをフォローし続ければいいですし、合わないのであれば別の自分に合う人を探せばいいでしょう。

そうすることによって自然と、レコメンドで実装していたような需要に対する最適な作品供給のように、人間関係において同じような作品供給ネットワークが生じるのではないでしょうか。

終わりに

ニッチな作品をヒットさせずに売る方法という題目の下、ヒット作以外の作品にも経済を生じさせることについて、消費者の単純な作品に対する需要のみに着目した場合レコメンドというプラットフォームの仕組みによって解決できる可能性があるということを示し、消費者の作品に対する総合的な需要に着目した場合、レコメンドシステムと同じような仕組みをソーシャルネットワークで実現すれば良いのではないかという提言を行いました。

果たしてこの思考実験になんの意味があるのか分かりませんが、少なくとも私が現時点で知り得ている情報と、持ち合わせている思考力と判断力を駆使して、ヒット作以外の作品に経済を生むという難題に直面し、必死の抵抗を行った末、微かな希望を見出すことが出来たのではないでしょうか。

この長文を読み込む稀有な物好きがいるということはあまり想定していませんが、もし、最後まで読まれた方がいらっしゃれば、ご意見やご感想、厳しいご批判などを頂戴出来ますと大変光栄です。

ちなみにここで考えた仕組みは近いうちにサービスとして提供してみたいと思っています。

ご読了ありがとうございました。

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