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あなたの幸せは本物ですか?それとも刷り込まれた幸せですか?村田沙耶香さんの『コンビニ人間』を読んだ感想

こんにちは、ミルクです。

私のnoteを見つけてくださりありがとうございます。

今日は村田沙耶香さんの『コンビニ人間』の感想を書いてみます。

刷り込み(すりこみ)とは、
動物の生活史のある時期に、特定の物事がごく短時間で覚え込まれ、それが長時間持続する学習現象の一種
(インプリンティングともいう)

ウィキペディアより


私も含めて、人は刷りこまれた幸せを本当の幸せだと思い込んではいないのだろうか?

村田沙耶香さんの『コンビニ人間』を読んでそんなことを考えさせられた。


良い学校を出て

良い会社に勤めて

良い人と結婚して

子供を産んで育てる。

自分の家を持ち
子供も良い学校に行かせて
その子供にも自分と同じ道を歩んで欲しいと願う。

そのようなレールから少しでも外れてしまうと
自分は欠陥品のような気がして自己嫌悪に陥ったり
周りに合わせようと無理をしたりして・・・


芥川龍之介賞受賞作品


『コンビニ人間』の主人公の恵子は小さな頃から奇妙がられる子供だった。

恵子が幼稚園の頃、公園で死んでいる小鳥を見つけた時、他の友達は泣いているのに『焼き鳥にして焼いて食べよう』と言うような子供だった。

小学校で男子が喧嘩をして暴れている時に「誰か止めて」の言葉に反応して
暴れている男子の頭をスコップで殴って止めるような子供だった。

恵子の父も母も恵子を大切に、愛情を込めて育ててくれていたにもかかわらず
恵子は突拍子もない問題行動や言動で周りに迷惑をかけてしまう。

恵子のことを心配した両親はカウンセリングも受けたりしたが、何も変わることはなかった。

いつしか恵子は問題を起こさないように(両親を悲しませないように)
必要最小限の言葉しか話さず自分からは行動をしなくなる。

そのおかげで周りの大人は
やっとほっとするのだった。

特に親しい友達も持たずに、かと言って虐められることもなく、恵子は成長して大学生になる。

大学生の恵子はふとしたきっかけでコンビニでアルバイトをすることにした。

商品の補充、レジの作業やお客様への対応、挨拶から笑顔まで
コンビニでは全てがマニュアル通りに進められる。

コンビニで働くこと

コンビニでは恵子の個性や感情は何も求められず、むしろ自分を無にすることができて恵子にとって安心できる場所。

全て決められたマニュアル通りに動けば良いコンビニの作業が恵子にとっては天職のようだった。


就職活動もせずに、大学を卒業してもコンビニで働き続ける恵子を家族は心配したが

恵子はコンビニの店員としては完璧なのだが
コンビニで働くようなマニュアルがないと
外の世界ではどうしたらいいのかわからない。

そして18年間も同じコンビニでアルバイトをしているうちに恵子は36歳になっていた。


36歳になっても、アルバイト生活で結婚どころか恋人もいない恵子のことを地元の同級生はどこか異質な存在だと思いながら接している。

結婚して、子供を産み育てている自分たちは普通で
独身でアルバイトしながら、
一人暮らしをしている恵子は普通ではないと
どこかほのめかしながら・・・

結婚していなくても、
正社員で働いているならまだ良いのだろうか?

けれども結局は正社員でバリバリ働いていても、
結婚していなければ半人前で

結婚していても、
子供がいなければ一人前だと認められなくて

子供を一人産めば
次の子供を期待される。

そんな経験
あなたもありませんか?

社会の風潮では
多様性とか個性を尊重しようと言いながらも

人と(あるいは自分と)違った考え方や行動をする人を異質な存在だとみなして、
型にはまった幸せを押し付けてくる人々が現実としては、たくさん存在している。

それが正解とばかりに。

恵子自身は「コンビニ人間」として充実した、幸せな日々を送っていたのに
世間はそんな恵子を決して認めてくれないのだ。

表面的には恵子の生き方を理解しているように見せかけていても、心の奥では許せないのだ。


恵子を取り巻く様々な周りの圧力から、
彼女はあれほど生きがいだったコンビニを辞めざる負えなくなり、挙げ句の果てに自分を見失いそうになるのだが・・・


私は不完全な人間なの?


コンビニのアルバイトで生計を立てて何が悪いのだろう?

結婚しないで独身で何が悪いのだろう?


誰にも迷惑をかけずに、本人がその生活に納得していて幸せなら
どんな人生を送っていても良いはずなのに

人は刷り込まれた幸せの定義をなかなか打ち消すことはできないばかりか
それを他人にまで強要してしまう。


コンビニを辞めた恵子は生きる目的を失ったかのように無気力になる。

他人からすればコンビニ店員として働くことは幸せには思えなくても
恵子にとってはコンビニで働く事が自分の存在価値を認められる唯一の手段だった。

それを再認識した恵子はコンビニ店員に戻ることを決心する。

(この時、私は恵子の決断を心から応援したくなった)

そしてその途端に恵子は生き生きとしてくるのだ。

『この手も足も、コンビニのために存在していると思うと、自分自身が初めて意味のある生き物に思えた』

恵子

誰かに認めてもらう生き方

社会が求めている生き方

家族や友人を納得させたり
安心させる生き方

それを本当に幸せだと思うならそれで良いだろう。


けれども、そんな生き方がもし、刷り込まれた幸せだったなら

そんな幸せに縛られることはない

他人からの評価や価値観なんて脆いものだから・・・


もっと自分の本能に従って生きたら、生きられたら

今よりもっと楽に生きられるのかもしれない。

たまたま恵子にとってはコンビニで働くことが本能に従う幸せな生き方であっただけ

それを批判する資格なんて誰にもないのだ。


今年60歳になった私も、少なからず親や世間から女性の幸せを刷り込まれて育った本人だと思う。

良い人と結婚して家庭を築くことが女性の幸せのように刷り込まれてきたから・・・

私は良い人(夫)と結婚はできたけど(笑)
そして、これまで色々あった(今もある?)けど、今 私は幸せだ。

私は二人の娘たちには私が刷り込まれた女性の幸せを強要しないように意識してきたつもりだ。

私の娘たちも、世間一般からすれば完璧ではないかもしれないが
(そもそも完璧な人生なんてあるのだろうか?)
二人とも立派に成人して、独立心旺盛だと自負している。


『〇〇人間』

その『〇〇』には自分のなりたい、自分の好きな言葉を入れるといいのだ。

私自身も残りの人生は刷り込まれた幸せの価値観ではなく

自分の軸で生きていきたい。

この本を読んで、そんな気持ちになりました。


最後までお読みくださりありがとうございます。

スキやコメントいただけるととても嬉しいです。

最近、私の記事は映画よりも読書感想文が多いですね〜

これも本能のままに書いて投稿しています😆

それもいいかなと思っています。

読んでくださり感謝しています。


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