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なんでもない日に家族へ手紙を書いてみた

こんばんは。本日は
「なんか最近、家族にありがとうって言えてないなぁ」という思いから、関係性の変化など思い出しながら感謝を手紙にしてみました。

手紙を書く相手は、家族→父、母、姉、猫、妹。
これまでの感謝や関係性の変化など思い出しながら、ひたすらにありがとうを書き連ねました。

書いてみての感想

書きながら、感謝の気持ちが溢れすぎて、涙が溢れそうに何度もなりました。(鼻はズビズビいってた)
花粉の季節でよかったなんて思いながら、一人一人に対して何十もの「〇〇してくれてありがとう」という言葉を書き連ねていくと、その時の心情や相手はこう思っていたのかもしれないと色んな思いが込み上げてきて、家族に感謝の気持ちが溢れました。
それと同時に(落ち込んでたわけではないけど)元気になりました。本気で今の人生ありがたいな、私もそれを無理せず還元していける人になりたいと思うとパワーが湧いてくる様でした。

感謝の気持ちは忘れがち

日頃から感謝をしているつもり、なんですが、徐々に薄れていくというかなぁなぁになったり、忘れてしまう。一人でできることなんて少ないし、確実にそこにいてくれるだけでもうありがたいことなのに、一人でやり遂げた気になっちゃうなんてこともある。いろいろなことができてくるとすぐに天狗になってしまう。だからこそ、わたしがいかに支えてもらっているか認識するためにも感謝の手紙は定期的になんでもない日に家族や友人に真摯に言葉を綴って送りたいと思いました。(とても気恥ずかしいけれど)

感受性くらい

大好きな詩人。茨木のり子さんの『感受性くらい』という詩があります。

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ

詩集「自分の感受性ぐらい」(1977刊)所収

つい、周りや友人や家族や生活や時代のせいにしがちです。私は全ての中に当てはまる自分がいました。これをみて、自分の心への水やりも、しなやかさも保つための行動も、芯を持った生き方も、他人のせいにはせず、自分で自分の感受性を守る生き方をしたいと日々思うようになりました。

手紙を時たま書くこと。これも自分の感受性を守る一つのカードとして自分の中に取っておきたいと思った一日でした。

またこんど。

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