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神保町、それは人類史上、はじめての経験か

 幕末史に通じていた祖父からこんな話を聴いたことがあった。だいたい次のような筋だった。「戦時下において、東京大空襲のさいに、神保町が空襲を免れたことがあった。米軍が貴重な古書街を守るために、意図的に避けたのではないかという説があるんだ。」

興味をそそられた私は、その話をずっと覚えていた。iPhoneがあったので、その場で調べたかもしれない。もちろん、その答えはすぐには見つからなかったけれど(いまもはっきりとはわからない)。

神田神保町をはじめてちゃんと認識したのは、数年以上前の高校生になってからのときである。秋に開催される古本まつりに参加し、全身に高揚感を覚えた。こんな愉しい体験はなかった。収穫の数冊を前に、喜びに浸った。

古本市がたまらなく好きである。そこには出会いがある。今まで見たことすらなかったような、未知の古書籍に接し、小銭を払って手にする瞬間、なんともいえぬ喜びに包まれる。香りや雰囲気もいい。書物というものは、自分を変えてくれるパッケージであり、ほんとうに人生が変わることもあるから魅惑的だ。

神保町古書市街について、日常的に意識していたなか、池袋の書店で、『脇村義太郎著「東西書肆街考」岩波新書 1979』に出会った。


神田神保町。言わずと知れた本の街だけれど、この古書肆街が世界で最大規模のブックタウンであるということもよく知られている。

しかしこの街の発展が、人類の歴史上において、例を見ない経験だとしたら
。?

七百万から一千万に及ぶ、厖大な書物や古記録がこの東京の千代田区に位置する靖国通り沿いを中心とした、古書肆街に集中し、その集中度と総合性において、世界一どころか、史上初の規模である。著者の脇村義太郎はそう考えていたようだ。

では、そのような世界的に希有なコンビナートである神保町古書肆街が、この100年ほどのあいだに、いかにして発展したのか。なぜ、どのような経緯や背景のもとに、形成されたのだろうか。

本書は、もう40年以上前に書かれた本です。いままで多くの人に読み継がれてきており、最近は、本書を意識して、視点と内容を刷新したと思われる著作も登場している『鹿島茂著「神保町書肆街考」ちくま書房 2007』(未読ですが)。

神保町100年史を要約して、ナビゲートしてみます。

・明治時代

 今でこそ、本とお客で賑わう神保町(狭義の神保町)には、江戸時代、書籍の出版、販売を扱う本屋が一軒もなかった。旗本の御家人の屋敷や譜代大名の屋敷が占めており、商業用地ではなかったのである。
転機が訪れるのは、明治維新。江戸末期に移った蕃書調書が開成所から、変遷し、東京大学になった。明治新学問の源泉ともいえる拠点である。その他にも、官立の学校ができた。
江戸の大部分を占めていた、大名屋敷・侍屋敷の多くは、新政府の手にうつされ、華族と新政府の高官連の居住地となり、錦町に学習院が新設された。

明治20年代の終わり頃、ケーベル博士の招聘をきっかけに、岩波文化が育まれた。

「こうして明治十年前後から二十年にかけて神田は、かつての侍屋敷町から華族(公家および大名)屋敷町に、さらに学校街へと変貌して新しい様相を呈するに至ったのである。」

本書(p.83)

・大正時代

❶ 大正2年、救世軍殖民館が火元で、二十年ぶりに大火がおき、神保町小川町の低地に集中していた、学校街・本屋街が焦土と化した。焼失戸数三千余戸にも上ったという。
この大火後の復興計画をきっかけに、市街電車の大改革がおこり、繁華街が誕生する。
交通の発達と同時期に、神田の学校街にも大きな変化がおきた。中央大・明治大・専修大・日大が大学の名称をとなえることになったのだ。

ここで、神田に学生が増加する。これらの大学から派生した予備校が設けられ、流行化した。
中国人の学生も殺到し、中国との文化的交流・流通がおこる。当代最高の教養人、西園寺公も、村口書房を通して、出版の進歩に貢献する。

❷ 1923年、関東大震災がおこる。本郷の書店街はほとんど火災の被害を受けなかったが、東京大学において、アダム・スミス文庫、メンガー文庫、ギール文庫は無事だったが、マックス・ミュラー文庫が喪失してしまう。
震災は文化にも打撃を与え、貴重な文化的遺産が焼失してしまった。神田神保町だけでも、その文化的損失の大きさは計り知れない(もちろん、多くの人命が失われた)。
これを機に、耐震・耐火の建築が重視され、懸命な努力が払われる。
マックス・ミュラーについては、この説明が気に入っています。

マックス・ミュラーについてはいつか紹介したいと思うほど惚れぼれとする人物で、ドイツとイギリスをまたいで古典・宗教・音楽・哲学をあざやかにリバースさせていった。『リグ・ヴェーダ』の研究を創始した。

千夜千冊・第96夜より

 昭和時代について、一言だけ。冒頭でもふれたけれど、戦時下に神保町が空襲を免れ、貴重な古書籍(文化的遺産)が守られた。米軍が意図した計画だったかどうかという疑問。『鹿島茂著「神田神保町書肆街考」ちくま書房 2017 』は、隠された理由があるのではないかと推測しているそうだ。
個人的には、十分考えられると思った。

以上の100年史の要約は、本書だけに依拠しているので、かなり大雑把だし、前編の京都の古書肆街には、触れていません。

神保町は環境省のかおり風景百選に登録されています。古書が織りなす豊かな香りが理由です。書籍は人を謙虚にする。神保町の効用でしょう。

いまでは、神保町の古書街を、インターネット上で散策・検索できる『BOOK TOWN じんぼう』のような国際サービスが開発されており、直接足を運べないときでも便利で、また購入したい書籍をピンポイントで探し、直接その商品がある店に行くことができます。

神保町古書肆街は、これからのデジタル時代においても、ますますその輝きを増していくでしょう。
これは想像ですが、今後百年、二百年の間に、神保町自体が、古書籍や古記録などの、貴重な文化的遺産を専門的に保管・保存し、デジタル媒体を含め、必要に応じて世界に提供するデジタル・ミュージアム・シティのような性格を有するようになるのではないだろうか(完全に想像だけれど)。

ご清聴ありがとうございました。

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