見出し画像

【OYW】番外編、きっこ史と昨日の話

貴重な経験つづきで立ち止まった話

”SPREAD One Young World by Kikko”
閉会式で誓いました

なんで、One Young World?

その原点を探るべくこれまでの人生を振り返ってみました。
整理できたと満足感に浸っていたら、昨日ある方とお話しして自分はまだまだだと自覚。

きっこ史昨日の話と題してお話しします。


まずは、きっこ史



幼少期
忙しい両親と元気な姉らの元、3姉妹の末っ子として生まれた。
周りの家庭と比べると決して裕福とは言えない家庭だったが、
よそはよそ、うちはうちで暮らしてきた。
横浜と言うには程遠い、タヌキが出る自然の地で、たくさんの人に囲まれて育った。


小学生
周りがたまごっちやシール交換、DSに夢中の中、私は木登りやサッカーに夢中だった。
男子からは煙たがられたけど、勝手にゴールキーパーをしたり適当にボールを蹴り散らして楽しんだ。
女友達と遊びの趣味が合わないことは気づいていたが、男の子を捕まえて遊んだ。
勉強もそれなりにできたのでそれほど困る事なく過ごした。

小6の時、初めての海外経験。
家族旅行でハワイに行かせてもらったが、これといった感情も湧かず、家族の陰でひっそりとハワイの風を味わうだけだった。


中学生
周りが恋バナ、ガラケー、ぷよぷよに夢中の中、私はどんぐりサッカーに夢中だった。
職員室前の廊下で、仲間とどんぐりを蹴り散らしてスリルを味わう遊びのことだ。

勉強にも夢中だった私は、女子の派閥とは無縁の世界で生きていた。
中学で初めて出会った英語は、自分が知らない世界を教えてくれて夢中になった。
当然海外への憧れが強くなったが、寂しがりやの私は一人日本を離れる勇気はなかった。

中3の卒業の時、3姉妹で再びハワイに行った。
7歳離れた姉と、3歳離れた姉、3人揃って卒業のタイミングで記念に行かせてもらった。
ハワイ好きの長女に便乗させてもらったが、なんとなく、
旅行で海外に行くのは違うんだよなー、
って感情を抱いて帰ってきた。



高校生
高校は英語に特化した高校に行きたかったが、希望は叶わず一般の公立高校へ入学した。
進学校だったので、大学受験にまっしぐらのクラスでは息ができず、勉強だけをやり抜く集中力がなかった私は、勉強以外のやりたいことも全部やった。
書道部、英語部、剣道部、3つの部活を兼部しながら、体育祭実行委員、学級委員、合唱コンクールの指揮者を掛け持ちした。

高校2年になると物理に出会い、目で見えない世界を数式化する学問に感動し夢中になった。

同じ頃、英語部の活動でシンガポールに一週間の研修に行かせてもらった。
英語が好きなだけで大して喋れない私を温かく迎えてくれた。
この頃から、将来は英語を使って仕事をしたいと思い始めた。

大学受験に熱中するクラスメイトの中、多方面に熱く取り組むことは辛くもあったが、充実した高校生活だった。



大学生
大学では、これまで夢中になった物理(理系)と英語を使って社会に貢献できる”何か”を身につけたいと思い、理工学部に入学した。

大学生活に期待を抱いたのも束の間、ここでは、自分の居場所探しに苦労した。
飲みサーに入ってみたり、体育会系の部活に入ってみたり、はたまた授業に専念してみたり。
けど、そのどれも、居心地が悪くて続かなかった。

大学生活に辟易した私は、しばらくアルバイトに熱中した。
アルバイトは、コンビニ、ピザのデリバリー、塾講師、焼肉屋、家庭教師、バリスタ、カフェのキッチン、、、

大学では出会えない多様な人と出会いたいという思いと、飽き性な性格から、たくさんのアルバイトを経験させてもらった。
2年ほどアルバイトに明け暮れた私は、そろそろ進路のことを真剣に考えたいと思い始めた。

ちょうどそのタイミングで、大学が提供するアイルランド(Limerick University)での1ヶ月の留学プログラムを目にした。
この留学を機に、居場所探しを終え、物理(理系)の知識を使って世界中に貢献するという当初の夢を思い出した。

留学から帰ると研究室探しと、就職活動が待っていた。
私は、最先端の科学技術で世界中の人に恩返しをしたい。
この思いで、人工知能の研究室に入った。

研究室に専念したいと思い、片道2時間の通学に別れを告げ、一人暮らしを始めた。
学べるものは何でも学びたいという気持ちで頑張ったが、環境への違和感、ストレスで激痩せ、目の前が真っ暗になった。


ちょうどその頃にコロナが流行したので、一人暮らしもしんどくなり実家に帰った。
最後の一年はリモートでの生活となり、
大した成績を収める事もできず、地を這うような思いで大学生活を終えた。


社会人一年目
大学生活に自信を持てなかった私は、"英語と最先端の科学技術で世界中に貢献したい"という思いだけを引っ提げて、今の会社に入社した。

社会人になっても環境に違和感を感じて、息を殺して過ごす日々だった。
思い出したくもないほど辛い社会人一年目の記憶はほとんどないが、今もしぶとく社会人を続けているのはあの頃があったからだと振り返る。

業務はグローバル回線の構築PM兼SEとして、インド人とルーターの設計を入れたり進捗確認の仕事をしている。


社会人ニ年目
グローバル案件は自分の知らないことばかりで学びは多かったが、2年目になると他のスキルも身につけたいと思い始めた。

ちょうどその時、ドコモアカデミーの『デカい事やろう』を目にした。

私は、何でもいいから挑戦したい、この思いだけで参加した。

ここでは、熱く燃える人たちの勢いに圧倒された。
新規事業にWillがなかった私は、ヒトゴトのような日々を過ごした。
申し訳なさを感じてきた私は、とうとうやめる決意をした。

辞め方を教えてもらおうとメンターに1on1をお願いしたら、ただ楽しめばいいと言われた。

はっとした。

思いが強すぎて、楽しむことを忘れてしまうのは私の悪いところだった。
初心に返り、残り3ヶ月、何でもいいから挑戦したいという気持ちを奮い立たせる。

まずはファンを増やそうと、自己開示を楽しむことにした。
すると仲間の反応は、想像を遥かに超えた温かさで、私のハートを熱く燃やしてくれた。
眠っていた行動力が叩き起こされ、小さなDoを繰り返した。

遅れて走り出した私は、大した功績を残せず、もっと自分を輝かせたいという思いを影に、寂しく5ヶ月のプログラムを終えた。



社会人三年目
アカデミーの喪失感を抱えて三年目を迎えた。
三年目はどう過ごそうか、しばらく悩んだ。

ちょうどその時、自部署で新入社員のトレーナーに任命された。
色々な葛藤はあったが、自分と同じ苦しみはさせたくないという思いから、トレーナーを引き受けた。

数日後、ドコモアカデミーのご縁から、社内でOne Young World Japan caucus SHIBUYA 2023を知った。

ここが全ての始まりだと思った。

青年ダボス会議”One Young World” の東京分科会。
世界を牽引する日本のリーダーたちの講演を聞き、議論、ネットワーキングをした。

この時、日本人の社会課題への当事者意識、グローバル意識向上に繋がるイベントだと感動した。
このイベントのスポンサーに繋げてくれた副社長に連絡し、ご挨拶とお礼をお伝えした。
このイベントに感動した、ぜひNTTの力で日本中に広めたい、
と伝えたところ、共鳴した。

One Young Worldの魅力を広めるためには、まずは私が本サミットBelfastに行く必要があると思った。
色々な方に助けられ、社内選考を突破して、4人のうちの一人に選んでもらった。

当初2-3人の枠しかなかったが、たくさんの社員を行かせる価値があると、私一人で社内の事務局を集めプレゼンをしたりもした。
結果的に、応募者全員を行かせてもらうことは出来なかったが、4人に枠を広げてもらえたのでありがたいかぎりだ。

One Young World本サミットでの日々は別でお話ししますが、ここで、自分の人生観を大きく変えることになった。

これまでの人生、「よそはよそ、うちはうち」を胸に歩んできた。
それは好きを選ぶための呪文で、結果的には一人になることが多く、寂しさを感じる人生だった。

今回のOne Young Worldの派遣が決まった時、どこかで、ようやく認められたような気持ちがしていた。
自分の好きなことをしているのは、満たされつつも、孤独でもあった。
そんな孤独な自分が、世界から仲間として認められたような気持ちになった。

だけど、その思いに浸ったのは一瞬で、One Young Worldの仲間たちはもっと自分の好きにまっしぐらだった。
周りと比べた自分でなく、自分を幸せにする選択をしていた。

自分が彼らに負い目を感じていたのはここにあると思った。
会社代表としてOne Young Worldに派遣してもらい、ようやく会社に認められた、
そこにしがみついてた自分が恥ずかしかった。

もちろん、認めてもらえたのかもしれないが、認めてもられない事も当然ある、理不尽も味わった。
そりゃ、どこの世界に行ったって、理不尽は消えない。
だけど、その理不尽に対して、私が悔しくて泣きじゃくるのは、人から認めてもらいたいという相対的な幸せを、どこかで期待していたからなのだと思った。

相対的な幸せはわかりやすいが脆い。
絶対的な幸せは分かりにくいけど確実に自分の糧となっている。

何がきっかけかはわからないが、ドコモアカデミーで「世界中からきっこー!と呼ばれたい」と叫び出してから、未来が忙しく動き出している。

幼い頃はたくさんの人に囲まれて育ったが、学生時代は孤独だった。
それでも懲りず、たくさんの人に囲まれていたいというのだから、私の原動力はここなのだと思う。
私は、自分が生きづらさを感じて生きてきた日本に、D&Iを広げる活動をしていきたいと思った。
D&Iが広まれば、私が生きやすくなるだけじゃなくて、日本でメンタルヘルスに悩む患者が減ると思った。

そこで今後の展望、
と行きたいところだが、、、



ここで、昨日の話


昨日は、世界を走り続ける先輩お二人とごはんに行かせて頂いた。

有名な方なので私は一方的には存じておりますが、私のFacebookにいいねをしてくださっていたので喜びと驚きから、ご挨拶をさせて頂きたく連絡をした。

一度、オンラインでお話しして調子に乗った私は、ワンヤングのお土産話と称して対面で食事の場をセッティングして頂いた。

結果、自分の夢の解像度の荒さに厳しいご指摘たくさん頂いた。
必死に喰らい付いたけど、全然ダメ、持論が尽きた。
結果、惨敗、撃沈。


帰りの電車は乗り換えを忘れるほど、放心状態だった。
今朝もまだ、放心状態は続いている。

何はともあれ私の荒々な話にコメントしてくださり、ありがたい限りだ。
ありがたいと思えてたってことは、まだこれを糧に描きたい未来があるってこと、自分の中の炎も見えた。

けど、それが何か分からない。
なるはやで解像度を高める必要性があると思った。


昨日の話を一部公開。

・・・海外の大学院に行きたい。
希望はフランス
何を学びたいかは、まだ分からない
D&Iについて学ぶか、MBAを取るか、メンタルヘルスのか、哲学なのか、教育なのかは分からない

・・・ワンヤングを日本中に広めたい。
日本人のグローバル意識向上、社会課題への当事者意識向上に貢献したい。
世界に目を向けたら自分の居場所が見つかったから。

・・・小学校を作りたい。
哲学を必須とする小学校を作って、子どもたちに自分軸を作る教育をしたい。
それがメンタルヘルス、若者のうつや自殺予防になると思う。


・・・会社辞めたい。
会社を変えることが難しいと感じた。
海外大学院に行きたい。
今の職場環境ではいけない。



ぜんぶ手段の話をしていた。
んじゃ、あなたは何を?
会社をどう使う?
が答えられなかった。

けど答えはあるの。
答えたい。

厳しさと優しさの溢れる時間を頂いた。
ここで終わりじゃない。
ここを起点にする。


電車の乗り換えで、ようやく魂を取り戻した私はお礼のメッセージを送った。
お礼と共に、次は記念写真撮りたいです!と送っていた、
バカ丸出し。。。
いやいや、もう頭回らないのよ。

感謝の気持ちと、へこたれていないので次もお願いします!という意味を伝えたかった。
そうそう、別れ際にグータッチしてくれた
次は対等に議論ができるように頑張る。

とはいえ、いまだに魂が抜けてる今朝。
いつものピアス、時計を忘れ、心ここにあらず。

とりあえず、会社の人に配る用の、イギリス土産は持ったから
今日はこれでOK

今日の分の語彙力使い果たしたので、
今日はもう、はいか、イエスしか言えないです。

世界中からきっこー!と呼ばれる日は来るのだろうか。

つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?