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3.楽しかった話


くりかえす毎日のなかで、
仕事のプレッシャーだったり、未来への不安だったり、
慢性的な退屈さはどうしてもつきまとう。

自分で楽しいことを作って、
人ともそういう関わりかたをして、
幸せを感じたり与えたりできたらいいなと思う。


その人は、不定期だけどこまめに連絡をくれて
存在を感じられることが嬉しかった。
気に止めてもらえていることは自己肯定感が上がった。

基本的に、一切否定をしない。
いつも肯定してくれる。
自分が自分のままでいいと感じさせてくれる。
でも、だからこそ、がんばりたくなる。
この最高のスパイラル。


ちなみに、出会ったタイミングは
わたしが前回の失恋を経て、ちょっとしたやさぐれと
空回りの活動をした2ヶ月ののち。

ちょうど、「自分の好きなことをやってみよう」と、
勉強をはじめたり、そもそも好きなことをみつける
というセンサーを育てたりしていたとき。

だから、これからはじめることにドキドキしてたり
判断が合ってたかな、ちゃんと楽しめるかな、
というときに、絶対大丈夫だと背中を押してくれた。

仕事での配属替えとかの不安なときも
「変化はすべてチャンス」と言い切ってくれた。

そして、「ハッピーエンドしかない」と言ってた。
未来は自分で作っていくものだと。
彼の行動を見ていたら、
十分にそれを信じられる気持ちになっていた。
※ハッピーエンドについては今回ぶっこわされた


わたしがこうして、変わろうとしてたとき、
力になってくれたこと。
話していてどんな会話も本当に楽しかったこと。
たくさん話して共通言語ができたこと。
知らない世界を教えてくれたこと。
わたしの見ている世界を知ってくれたこと。

夜中じゅう語り合ったこと。
映画を観て感動を共有できたこと。
野球にいってはしゃいだこと。
ごはんをつくってくれたこと。
ギターを弾いてくれたこと。
ドライブに行ったこと。
グランピングに行ったこと。


わたしがいまのわたしになるために、
欠けてもいい要素がひとつもないほど
必要だったたくさんの言葉たちと楽しかった思い出。


じつは、これを思い出すことが一番泣ける。
(ほぼ泣いてはいないけど、ちょっと泣いた)
この虚しさ、絶望感。



あのとき楽しかったことは、紛れもなく事実なのに。
確実に日常が彩られてたのに。
あの気持ちがうそに塗り替えられる。
そして自分がこんなにもショックを受けていることに
とても戸惑う。


「会話」が完璧だった彼の、
言葉を信じられなくなってしまった。
裏切られていた前提条件に、ただ驚くばかり。

彼女と写る写真の、彼の顔をみると死ねる。(死なない)



行ったり来たりの感情と、
フラッシュバックのなかで、
とりあえず呼吸をしている。


※失恋話の全貌公開中。
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