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ふりかえりと夏季休暇の抱負

ついこの前に新学年が始まったようにも思うが、気づけばもう8月である。
4月から7月にかけては、ひとまず実習が多かったように思う。
いずれもグループワーク中心の実習であり、10歳くらい歳が離れたクラスメイトとのコミュニケーションに難儀することもあったが、話の合う(合わせてくれているかもしれない)学生も若干名いてメンタル的に非常に助けられた。

期末試験期間中にプレゼンテーションが入って、ほとんど誰も聞いていないであろう聴衆のためにスライドを作成して発表し、実際、発表中に大半の学生が内職(試験勉強)しているのを見たときは「やっぱりかぁ・・・」となった。

メンタルがタフでないとやっていられない。

つい先日、期末試験の結果が公表された。
全て試験に一発で合格し、レポート提出も済んだので二ヶ月あまりの夏季休暇に入った。
休暇と言っても海外旅行やらインターンやら部活動の大会やらの予定などあるわけなく、Googleカレンダーを埋めるのは家庭教師や治験の予定ばかりである。

ぼく(アラサー大学生)の夏休み

大学を卒業してしまえばまとまった休暇を取ることは容易でないから、学期中は最低限の勉強量で単位を死守しつつパートタイムジョブで軍資金を作り、休暇中は派手に遊び回るのが合理的である。

しかし、そのような大学生特有の長期休暇を堪能できるのは快適な学生生活を保証された学生である。試験や出席が比較的シビアである医系の学部では、特に学生生活が保証されておらず親にも頼れない学生は、長期休暇中に身分不相応なことをすれば新学期が始まってから不利な状況に立たされる。

身の丈に合った、しかし悔いの少ない長期休暇を過ごすための決意表明を兼ねて本記事を執筆した。

人に会う、本を読む、旅をする。

学生もそうでない人も、人として、精神的に、成熟することを意識する必要があると私は考えている。
なら成熟するために必要なことって何だろうと考えて、たまには人に尋ねたりしてたんだけど、突き詰めれば「哲学的思考」に収束するように思う。
「哲学的思考」ってのはリビドーとか自我とか、そういう高尚なものだけでは決してなくて、「答えのない問いについて思いを馳せる行為」と思ってくれたら良い。
では、どうやって思いを馳せれば良いか?

人に会い、本を読み、旅をすることだと思う。

『暇と退屈の倫理学』でも言及されていることだが、現代は物質的にも概念的にも大量消費社会となっていて、私たちは本当の意味で「贅沢に味わう」ことを忘れがちである。

無駄がないことや効率的であることがもてはやされ、何かを消費するために、自分の時間=人生=命の一部を消費してしまっている。

アルゴリズムによってパーソナライズされた動画や投稿を見たり、ネットサーフィンしたりするのは自分にとってcomfortであるが、哲学的思考とは対極にある。

一方、人に会う、本を読む、旅をする過程では、noisyさを回避できない。
新たな考えや景色との遭遇によって私たちは立ち止まって考えることを余儀なくされるからである。

普段は会わない人に会ったり、新しい考えや生き方に触れたり、旅先で非日常を味わったりする中で哲学的思考が養われる。

早速、旅に出ていた(佐賀・長崎・熊本)

試験の結果発表をじっと待つことができそうになかったので、110ccのミニバイクで総走行距離が約650kmの旅に出ていた。

呼子のイカ(河太郎 呼子店)

イカの姿造りは透明感があり、歯応えのある新鮮な食感は、ここでしか味わえないだろう。

おふくろ定食(中)(伊勢元(天草市))

画像の右側に写っているのは、「押し包丁」と呼ばれる名物らしい。
1,000円以下で味わうことができ、大満足だった。

旅先でのグルメも最高であったが、最も心に残ったのはバイクでの移動中に見た景色と長崎での知人との会食である。

今後も長期休暇は下道バイク旅に出て精神性を磨いていきたい。


おまけ(つみたてNISA)

株式市場が荒れて投資握力が試されるような状況下であるが、つみたてNISAの買付設定を行った。

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