【小説】 青い太陽
現代芸術の美術展に男がいた。男が美術展にいることは、何もおかしなことではないが、彼は他の男とは違った。何が違うかと言えば、彼の目的は作品を鑑賞することではないということである。作品の鑑賞が目的でないとすれば、目的は盗みかと思うかもしれないが、彼の目的は盗みでもなかった。
であれば彼の目的は何なのか。それは、「作品を観ている人」を見ることであった。
彼は、現代芸術の美術作品の良さを全くわからなかった。しかし、それは美しさがわからないという意味ではない。例えば、彼はクールベの絵を美しいと思った。重くずっしりとした何とも言えない風情があるからだ。例えば、彼はゴッホの絵が好きだった。色彩が鮮やかで力強い生命力を感じるからだ。彼がわからないのは、現代芸術である。美しくも何ともない現代芸術を見る理由がわからなかった。そして、そんな現代芸術を見ている人々の気が知れなかった。現代芸術を見る奴はどんな奴なのか、それが知りたいがために美術展に来ていたのである。
もちろん、彼は現代芸術の何たるかを、多少なりとも知っているつもりだった。マネやボードレール、フロイトやダリ、ポロックやジャスパー・ジョーンズなど、現代美術の歴史を知識としては知っているつもりだった。そして彼が思うのは、それはもはや美しいとは言えないのではないかということだった。現代美術はもはや美しさとは別のものであり、芸術とは何かを模索するものである、という考えに至っていた。だから、そんな現代芸術を見ても何も面白くないと思うと同時に、この現代芸術を人々はどのようにして鑑賞するのかを気になっていたのだった。
彼は作品を観るふりをして、人々を観察していた。今彼が鑑賞しているふりをしている作品は「青い太陽」である。しかし、この絵は全くもって太陽に見えないし、そもそも青色が使われていなかった。おそらく抽象表現主義的作品であろう。彼はキャンバスに色が塗ってあると思う程度であり、「青い太陽」を観て隣りで知ったように小さく頷く女性を見ていた。
絵画の裏には特殊なカメラが設置されていた。そのカメラは、特殊な技術によって、絵画を透かし、絵画を鑑賞する人の姿を撮影することができるというものだった。もっとも、作品に傷が付いてしまう危険性も考慮し、この美術展の作品はすべてレプリカになっていた。このことは、美術展に訪れる人々は知る由もなかった。そして、とある場所でリアルタイムにその映像が流されていた。額縁に飾られたディスプレイで映像は流されるので、まるで絵画作品のようだった。
とある場所というのは、秘密裏に開催された現代芸術の美術展である。完全招待制の美術展であり、それを見て楽しむのは、名高い富豪、政治家、裏世界の首領たちである。「青い太陽に興味を持つとは、お目が高いな」「まったくですな」と政治家と首領は互いに笑いあった。
「青い太陽」を描いた画家は、前期と後期で作風が大きく変わったことで知られている。それも、ある日を境に突如として作風が変わったのだった。
作品についてだが、前期は写実主義的作品であるが、世間からの評価はあまりいいものではなかった。しかし、後期の抽象表現主義的作品は、世間に絶賛されることになる。「青い太陽」も後期の作品に分類されるものだった。評論家らはそうした謎多き背景も含めてこの作品を評価しているのであった。
なぜ作風が変わったのかは定かではない。本人に聞こうにものにも、すでに亡くなっているため聞くことはできない。しかし、彼の元愛人は、当時の彼の変化についての興味深い発言を残している。
「当時の彼の変化について?ええ、いいわよ。一時期の彼は、会うたびに顔がやつれていっていたわ。でもある時、突然彼は吹っ切れたように明るくなったの。それで私、何かあったの?って聞いたの。そしたら彼、なんて言ったと思う?(彼女は思い出し笑いをこらえる)そしたら彼、『やーい、ニーチェのばーか』って言ったのよ。笑えるでしょ。……え?ええ、それだけよ」
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