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”正しい日本語” って何基準?

みなさん、こんにちは。Naseka です。
私は 哲学者・エッセイストとして、
自らを定義しています。

古今東西、「最近の若者ときたら…」という
若者批判は消えないもの
(古代エジプトの記録にすら、あるとかないとか)

批判の対象が「言葉」に関してなら、
「若者の言葉遣いがおかしい」
「正しい日本語じゃない」

なんていう話をよく耳にする。
(だから日本で「日本語に関する本」が売れる)

さて、この手のセリフを口にする人の言う
「正しい日本語」
とは、何を基準にしたものなのであろうか?


「正しい日本語」の定義とは?

さて、ここで問題

Q.
ここでいう「正しい日本語」とは、
具体的に何を指すのだろうか?
「正しい日本語」の定義とは?

 

恐らく、万人が納得する正解を導き出せる人は
この世に存在しないのではなかろうか。

思考実験

世界で一番権威の高い日本語学者
(それが誰かは知らぬが)が使う言葉遣いが、
「正しい日本語」なのだろうか?

仮に
「その時代の
 日本語における最高権威者が使う日本語」

「正しい日本語」と定義してみるとしよう。
(だって「正しい日本語」が使えない人が、
 日本語の分野でどんな権威を持てるというのさ)

この 2024年時点で「正しい日本語」の基準と
言われる最高権威者は
年齢的に、昭和 生まれの可能性が高そうだ。
(もしかしたら大正 or 平成の可能性も
 あるかもしれないが)
まぁ元号は議論の本質には影響を与えないので、
ここでは昭和生まれとしておこう。

さて、昭和生まれの最高権威者様は
その最高権威者へと昇り詰めるにあたり、
若い頃より「正しい日本語」の習得に向けて
努力したに違いない。

その習得時分の最高権威者(1代前)は、
おそらく 明治 生まれあたりだろうか。
(あるいはそれ以前かもしれない)
ここではとりあえず、明治生まれだったとしよう。

さて、その習得対象となった
「正しい日本語」とやらは、
この 明治生まれの 前 最高権威者
使っていた日本語である。

つまり、2024年現在における「正しい日本語」とは
「(たぶん)明治生まれの
 前 最高権威者が使っていた日本語」

ということになる。

勘のいい人なら、
このへんでお分かりだろう。

まだピンとこない人は、
もう1代(数十年くらい)遡るといい。

…絶対にそんなわけはない。

仮にそれが「真」であるならば、
その最高権威者は
我々現代人とは全く異なる言葉を話すに違いない。

なぜなら、数世代遡るだけでも
現代人の日本語と
江戸時代に「正しいとされていた」日本語は
まったく別物のはずである
 からだ。
(江戸時代のフォーマルな場で
 「~です」「~ます」なんて言ってましたか??)

もっと簡潔に言えば、江戸時代の偉い人からすれば
現代人の言葉遣いは
「正しい」なんてもんじゃないだろう。
少なくとも徳川家康からみれば、
方言なんてレベルじゃないくらい違っているはず。

でも徳川家康だって、聖徳太子からすれば
「こいつ何言ってんだ?」ってレベルだろう。
そりゃあ、1000年近く生きた時代が違うのだから。

あれ?おかしいな??
同じ日本人、同じ島国に生きてきた人同士なのに…

まとめ

要は何が言いたいのかというと、
「正しい日本語」なんて、あってないようなもの
だということ。

あるのは
「その時代・その場面・その状況に応じて
 ふさわしいとされる言葉遣い」

くらいではなかろうか。

そしてそれは、「その 時代」と入っているように
時を経るにつれて 少しずつ変化していくもの
だと思われる。

それ故に、相手に
「正しい日本語を使いなさい」と言うときは
その「正しさ」が独りよがりでないかどうか
常に意識をしておきたいものである。

お読みいただき、ありがとうございました。

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