いちごミルク

いちごミルク

最近の記事

辞めたラッシャー

新卒の時の同期にK川と言う男がいた。 彼は「何何でふ」みたいな話し方をするので、内定者懇談会で何度も飲んでるうちに「でふ」とあだ名がついていた。 そして、入社。 新卒の研修の時に彼がラッシャー木村選手に似てると言う話になった。 そこで彼のあだ名は、「ラッシャーに変わった。でふよりラッシャーの方が言いやすかったからかも。 同期はみんなそれぞれ4月に配属されていった。 月に1回本社で研修があったから、同期で集まって研修終わりに飲みに行っていた。 5月の中旬、俺は用事があって、

    • ありえんてぃw

      昨日、昔新卒で働いていた時、営業所の先輩サービスマンだった人を見かけた。 Hさん、若いな。 ん?若い? 俺より年上だったから、今の俺より年上なのは、当たり前である。 そのHさんと思しき人は、30くらいに見えた。 ありえんてぃw 俺がその会社にいたのは、昭和の話だ。 昭和に20代後半だった人が、令和の今30くらいに見える? 単なる人違いでした。

      • 割り勘しない男

        同時良く集まってたのは、中学の同級生。 俺やKは酒をよく飲む。Sは、あまり飲まない。青い稲妻は、酒は飲まない。 この4人で居酒屋からスナック、ラーメン屋がデフォだった。 青い稲妻以外は、割り勘で出していた。 だが、青い稲妻は、割り勘はしなかった。 居酒屋では、自分が1番食ってるし、ソフトドリンク何杯も飲んでるのに、1000円しか出さない。だから俺たちは1000円引いた額を割り勘にしていた。 スナックでも酒は飲まず、コーラを何杯もお代わりする。 俺たちはキープしてるボトルだから

        • 車より高いカーステレオw

          俺の最初の車は、会社で使ってた車を買った超中古車だった。 会社は徒歩40分くらいの距離で、自転車で15分くらいだった。 俺は免許を取って間もなくて、まだペーパードライバーだった。 その後、俺のいた部署が、そこから徒歩45分くらいの場所に移転したのだ。 と言うか、移転する引っ越し作業の最中に俺が異動したのだったが。 で、そこには最初30分くらい自転車で走って通っていた。 そんな時、会社で社長が社用車を新しい外車にしたので、社用で使う車が社長が使っていた車になった。 それで、そ

        辞めたラッシャー

          ドボンの話

          高校時代の話である。 うちの部活では、トランプのドボンが流行っていた。 今スマホアプリのゲームで公開されてるAKB48のどっぼーんひとりじめのルールとほとんど変わらなかった。 リーチの時にリーチと宣言していたのは、違う点である。 放課後に部室でドボンをやっていた。 天気の良い日は、前庭でキャッチボールやテニスもしていたけど。 ドボンとかトランプゲームで遊んでいると、クラブの女の子の同級生の他の部活の女の子たちも仲間に入って、トランプしていた。美術部、書道部、英語部、演劇部と

          パトカーに停められた夜

          俺は運転していて、パトカー🚓に止められたことは、1回しかない。 交通違反して止められたのではないw 海沿いの道をスピード出して走ってる時は、取り締まりしてたら対向車がパッシングして教えてくれるから、違反は一度もない。 その日は日本がワールドカップに出られるかどうかの試合だった。 そう、ドーハの悲劇の日である。 俺は普通に残業していた。 総務課の同期入社の人も残業していた。 俺たち2人以外は、フロアでは残業してる人は居なかったのだ。 同期の人が、訊いてきた。何時くらいに終われ

          パトカーに停められた夜

          通勤交通費

          新卒で入った会社では、勿論正しい通勤の交通費を申告していた。 俺は当然みんなそうだと思っていた。 だが、新人研修中に仕事終わりに同期で飲みに行った時にMが、交通費誤魔化してることを自白したのだった。 彼は千葉の人だったが、家から駅までバスを使ってる事にしていた。 だが、実際には自転車で駅まで行っていたのだ。 往復400円程度だったけど、1ヶ月分だから1回飲みに行く金額にはなっていた。 みんな酔ってるから、ほーって感じで聞いていた。それを会社にチクるような人はいなかった。ただ、

          扇屋

          王子の玉子焼きの名店、扇屋さんに行って来た。 王子はよくわからないので、数年前に行ってみて、発見出来ないで戻って来た事があったw そして、先日行って、やはり迷いながら何とか辿り着いた。 そしたら、臨時休業だったw Xで告知していたみたい。 Xでフォローしてるが、それは読んでなかった。 そして、今日、王子を通過する用事があり、時間があったので、リベンジして来た。 この玉子焼きを買って来た。 店のおばちゃんと話したけど、明日は臨時休業にする予定だったそうだ。今日行って良かっ

          万世ラーメン

          万世ラーメンは、肉の万世の系列店である。 俺は昭和62年か63年に新宿西口の丸の内線に降りる所に開店した店舗をたまたま発見して、行くようになった。 会社は西新宿だったから、営業所からテリトリーに行く時通っていたから、結構行っていた。 俺はここの排骨麺が好きだったのである。俺は他の店の排骨麺を知らなかったから、ここのがスタンダードになった。 後に十条の蘭州拉麺で排骨麺を食べたが、肉の調理仕方が違っていた。蘭州拉麺は、上海から呼ばれた料理長が作っていたから、こっちの方が本格的だっ

          タクシー券

          タクシー券には、どの会社のタクシーにも使える共通券と特定のタクシー会社でのみ使えるものがある。 貰って1番嬉しいのは、共通タクシー券。 特定の会社ののみ使える券は、運任せでその会社の空車捕まえられるか、若しくは電話でその会社のタクシーを呼ぶしか無い。呼ぶ方が確実。迎車料金も込みでタクシー券で払うから、自分の懐は痛まないんだけどね。 前に居た課では、課長からタクシー券をたくさんもらえた。 残業してる時、22:00とかになる場合がある。月に何日か、それだけ忙しくなる。 俺とか他

          人生の敗残者だ!

          大学四年生の時の話である。 俺のいたサークルの上級生には、俺が新入生の時に四年生だった人が、ふたり七年生で残っていた。大学は八年居られるからw ちょうど俺たちが内定出て、卒業見込みなが出た後、サークルのコンパがあった。 俺たち4年生の男子は1人を除いて、卒業見込み出てたし、内定も承諾した後だった。 女子は全員卒業見込み出て、内定も取れていた。 だから、後輩からもおめでとうございます、ってお祝いムードだった。 だが、俺が1年の時の四年生だったSは、その時点で留年が決まってい

          人生の敗残者だ!

          展示会での身代わり

          当時の会社の展示会は、主に浜松町で会場を借りてやっていた。 時期は10月で、メインの展示会だった。 それ以外には春に渋谷の本社でミニ展示会をやっていた。 展示会と社内で言うなら、浜松町の展示会の事だった。 同時俺の営業テリトリーは、杉並区だった。 主な展示会のターゲットは、飲食店とかだった。 展示会やってる時は、当然営業時間であった。居酒屋やスナック、倶楽部とかの夜の店も客先だったが、逆にこの時間は代表者とかは寝ている時間だった。 だから、観客動員は地元の営業マンに比べて、遥

          展示会での身代わり

          広報と偽った話

          会社の広報部のメインのEは、前に同じ部署だった男。年齢は俺より下だったが、俺は中途だったから、彼の方が先輩だった。ま、彼も中途だけどね。 Eは主に雑誌やテレビのコマーシャルとかを担当していた。ほぼ毎日からのところには、広告代理店が打ち合わせに来ていた。 そんな中、どんな中だよw、運営しるレストランの雑誌広告を新しくして、社員の中からモデルを選ぼうかと社長が言い出したらしい。Eと飲んでる時にそれを聞いた。 その頃、俺は車で2時間ほどの距離の支社の事務の女の子と仲良くしていた。

          広報と偽った話

          的中確率80%以上w

          競馬予想サイトでは、このくらいの的中率を掲げている。 昭和の時代は、スポーツ新聞の広告で。ネットは無いから、電話で予想を受けとる方式。 これが3点予想でこの的中率なら、俺もやってみたいと思うかもしれない。 だが、買い目はこんな絞られたものでは無い。10点予想なんかは当たり前、ボックスとかこりゃ全部買えば、外れないじゃん、ってのもある。 第一、そんな儲かるなら、広告費の分自分で馬券を買えばもっと儲かる。 今は知らないが、昔は競馬関係者の裏情報で、本人は法的に馬券を買えないから、

          的中確率80%以上w

          寿司の出前

          以前通っていたパブの店長が、会社と揉めてクビになった。俺は店長とは、仲が良かった。 店長は、数ヶ月して近くにクラブを開いた。Rと言う店で、前の店で働いていた女の子が数人に新しい女の子が働いていた。 俺は前の店にいた女の子が、他の倶楽部に引き抜かれてそこの雇われママしていたので、Rではなくしばらくはそこに通っていた。 前の店の客で俺も顔は知っていたその筋の人が、その女の子の情夫で、金を出して倶楽部開店したのである。 だが、結局、その倶楽部は流行らなかった。俺1人が客で、俺に女の

          おニャン子クラブを知った話

          おニャン子クラブに最初は、何の興味も持っていなかった。 大学時代は、毎週オールナイトフジを見ていた。 俺の寮の後輩には、一緒に見てるうちにハマり、何とか大学誰それとなオールナイターズほぼ全員の学校名学部名前ニックネームを暗記したガイ吉もいたw そいつには、おかわりシスターズの「恋をアンコール」をそいつが歌ってるのを俺が録音していたので、朝、寮の部屋から外に向けて大音量で流してあげた事がある。そいつは朝はO線の駅員のアルバイトしていたから、不在なのでw当時はまだ自動改札機ではな

          おニャン子クラブを知った話