Fuma-harl63

80年代プログレッシブロックとオリビア・ニュートンジョンをこよなく愛する月一ゴルファー…

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80年代プログレッシブロックとオリビア・ニュートンジョンをこよなく愛する月一ゴルファーです。のんびりゆっくり(ちょうど)いい加減を座右の銘に毎日楽しく生きてます。 書くことが好きなので気ままにエッセイを綴っていきたいと思っております。

最近の記事

キング オブ グルテン

 夜明け前の私を待ち伏せするかのように、勤務先の正門前に佇む怪しげな車。(はよ、せんかい!)と言うオーラを放っている。  午前7時30分、退勤のカードを打刻し、小走りで車に向かう。その中には、さらに怪しげな2人の男が乗っていた。 「遅いで。ほや行かな、エッジがほどけてしまうやろ」 後部座席のドアが閉まるか閉まらないうちに車は発進した。 「さあ、どんどこどんと、うどん行脚と参りましょう」 そう叫んだのは、何を隠そうこの私だ。今回で4回目となる「讃岐うどんツアー」はこうして幕を開

    • 初めての「メード」劇場

      「なあ、卒業したらみんなで隠岐行かへん?」 自習時間に5人でいつもようにセブンブリッジに興じている時、上川が言った。 「えっ、隠岐って、あの後鳥羽上皇の?」 さすがに受験生である。とっさに「承久の変」で返した柿本。 「そうそう。テレビでやっててん。海がめっちゃきれいですごい断崖絶壁も映ってたで」  今からちょうど50年前、中学3年生の時だ。私には上川、柿本、川田、後藤というなぜか気の合う4人の悪友がいた。  その時は、「まあ、行けたらおもろいやろなあ」程度の話だった。しかし、

      • オリビア追懐

        「落札者が辞退されたため、あなたが候補者となりました。落札されますか」  一度はあきらめていたコンサートのチケットが手に入った。2015年の事だ。  私の青春そのものだったオリビア・ニュートン-ジョンに40年ぶりに会える。  オリビアに出会ったのは高校1年生の時。寝ても覚めてもオリビアだった。FM放送でオンエアされた『そよ風の誘惑』と言うアルバムをカセットテープに録音し、繰り返し聴いた。カタカナの英語で全曲口ずさめるほどに。プレーヤーを抱きかかえまま目覚めた朝もあった。  単

        • マイアーカイブス6 30円の冒険

           生まれて初めて子どもだけでバスに乗って出かけた日のことが浮かんできた。  間違いなく幼稚園時代だ。なぜそう言えるかというと、登園している時に約束した出来事だからだ。 「たかちゃんも行く? いっしょに行かへん?」   同じ園に通っているすすむという子に突然声をかけられた。  なんでも同じクラスのじゅん子ちゃん家に遊びに行ってたこ焼きを食べるのだと言う。なぜか、その素敵な会に私も誘われたのだった。  じゅん子ちゃんは、幼心にも「かわいい」と思わせる魅力を持っている子だった

        キング オブ グルテン

          マイアーカイブス5 初めての涙

           いつものことながら、そろそろ出ようかなと思う時に限っていきなり解凍が始まる。私のアーカイブス倉庫はどうやら気ままな冷凍保存がなされているらしい。  夜中に目が覚めて、むくっと起き出し布団の上に座っている自分の姿が見えてきた。  何年生くらいだろう。せいぜい小学1年生か2年生だと思われる。  悲しくて、とても悲しくて涙がこぼれてくる。声も立てずにただ涙が落ちている。薄明かりの中、敷布団のシーツの上に小さなしみが1つ2つとできる。とにかく、辛くて胸が痛くて喉がつかえている感じ

          マイアーカイブス5 初めての涙

          マイアーカイブス4 窮鼠猫を噛む

          今日も風呂の中である。 突然、古い映像が解凍された。 小学校6年生の「帰りの会」の場面である。 兆しはあった。隣の班のチョロきちが、私の方をチラチラ見ながら同じ班の連中と話をし ている。決して好意的な眼差しでない。これは、何かあるなと感じていた。当時の「帰りの会」が、日本中の小学校でどのような形で進められていたのかは知る術もない。しかし私のこの頃のそれは「帰りの会で言うたるからな」に象徴されるように、その日 にあったことで誰かに嫌なことをされたことをクラス全員で共有する

          マイアーカイブス4 窮鼠猫を噛む

          マイアーカーブス3 10円の重み

           知り合いと飲んでいる時に、「幼稚園くらいの頃、ヨーグルトキャラメルを万引きしたこと があったんだけど、食べた時にすごく不味かったことを覚えている」という話からこんな出来 事を思い出した。   私も幼稚園くらいだっただろうか。当時は、いわゆる異年齢集団が健在で、休みの日など、 10人近い集まりで一緒に遊んだものだった。その日も、そんな集団で川原を何をすることも なく歩いていた。いわゆる探検みたいなものだろうか。  川原に、何重も積み上げられた土管の 上を歩いていた時だった。

          マイアーカーブス3 10円の重み

          マイアーカイブス2 マンボNO,5

           今日もまた、面白いシーンが解凍された。  幼稚園くらいだろうか? 季節は、冬。祖母が開いている居酒屋のストーブの火が燃えているのが見える。居酒屋といえば聞こえはいいが、今にして思うに、おそらく祖母が勝手に掘立て小屋を建てて違法に商売していた店のような気がする。入り口の引き戸は開け閉めするたびにぎしぎしと音を立てていた。ガラスの代わりに貼ってある格子模様のビニールシートが風が吹くたびにピラピラと音を立てている。  店にはお客が一人だけ、おそらく常連さんなのだろう、祖母と親しげ

          マイアーカイブス2 マンボNO,5

          マイ アーカイブス

           今年で63歳になった。明らかに人生の折り返しを過ぎた年齢だ。そんな私に最近よく起こることがある。昔の出来事が頭に浮かび、しばらくその世界をさまよってしまうのだ。  頭の中で上映されるシーンは様々である。脳のどこかに私のアーカイブス映像が冷凍保存でもされているのだろうか、入浴中にほどよく解凍されるようである。  そして「なぜこんなこと急に思い出したのだろう」という呟きで回想の彷徨は終わる。  先日も突然こんな映像が現れてきた。  小学校低学年の私がいる。母が東大阪から運転し

          マイ アーカイブス

          床をかける孫の足音で迎える新年

           年末から年始にかけてにぎやかだった我が家も火が消えたように夫婦二人の生活に戻りました。長女夫婦と孫、そして長男とその友人、私と妻の両親が来訪していました。  やはり孫が帰った後は「ロス感」が半端ないですね。自分でも驚くくらい「ジジばか」になっています。寝て起きるたびに言葉が増えてるのではないかと思うほど急激にしゃべり出した2歳1ヶ月の初孫とエンドレスに遊んでいた正月でした。今、この年でしか発せられないであろう独特の「お話」は解読不明な事が多々あることも含めて超楽しいひととき

          床をかける孫の足音で迎える新年