マイアーカイブス6 30円の冒険
生まれて初めて子どもだけでバスに乗って出かけた日のことが浮かんできた。
間違いなく幼稚園時代だ。なぜそう言えるかというと、登園している時に約束した出来事だからだ。
「たかちゃんも行く? いっしょに行かへん?」
同じ園に通っているすすむという子に突然声をかけられた。
なんでも同じクラスのじゅん子ちゃん家に遊びに行ってたこ焼きを食べるのだと言う。なぜか、その素敵な会に私も誘われたのだった。
じゅん子ちゃんは、幼心にも「かわいい」と思わせる魅力を持っている子だった。幼稚園児でも何か持っている子だったのだろう。おさげ髪の似合う小さな顔をおぼろげではあるが思い出すことができる。
しかし、問題があった。じゅん子ちゃんの家は遠く、バスを利用しないと行けない場所だったのだ。すすむという子もおませな子だったのだろう。なんのためらいもなく「バスに乗っていく」のだと言う。料金は片道10円。小遣い1日分だ。今から約60年前の話である。
私は、行きたくて仕方がなかった。バス代が往復で20円、たこ焼きが10円で3個らしい。合計30円の冒険だ。幼稚園児でもこのくらいの計算はできた。
「うん。ぼくも行く」
そう返事をした時には青のりの付いたたこ焼きから白い湯気が出ているイメージが頭に浮かんでいた。
確かあったはずだ。
園から帰るなり、自分が寝ている部屋に直行した。枕元に樽の形をした貯金箱が置いてある。カラカラと振ってみる。蓋を外した。出てきた。確かに3枚の硬貨が布団の上に落ちた。全財産だ。
貯金箱は空っぽになった。その3枚の硬貨を握りしめ、待ち合わせの幼稚園の門に走った。
いろんな不思議がある。まず、私は、どんな見通しを持って「行ける」と判断したのか。繰り返すが当時お小遣いが1日10円だったのである。その10円は必ずその日のうちに毎日通っている安田という駄菓子屋さんで使い切っていた。貯金などないはずだった。なのに、なぜ30円が貯金箱にあることに確信を持っていたのか。さらに親には、なんと行って出てきてのか。(きっと、適当なことを行って出てきたはずだ)もっと言うと、幼稚園児だけで、バスに乗ることが許されたのか。運転手さんには何も言われなかったのだ。
幼稚園前からバスで10分くらいだったろうか。言われた通りじゅん子ちゃんの家の近くのバス停で降りると彼女はすでに待っていてくれた。
何をして遊んだのかは全く覚えいていない。考えてみれば生まれて初めて女の子の部屋に入ったのもこの時だったことになる。新築の畳の匂いがしたことまで覚えている。
さああ、メインイベントのたこ焼きの時間だ。
3人で意気揚々とたこ焼き屋さんに向かう。じゅん子ちゃんもすすむくんも「10円で3つ」と喜んでいる。二人がたこ焼き屋のおばさんに10円玉を渡して注文していた。私も同じように告げようとした。
しかし、ここで私は、真っ青になる出来事に遭遇する。
私の握りしめていた硬貨は、10円玉3枚ではなく、10円玉二枚と5円玉一枚だったのだ。
なぜ、バスに乗るときに気づかなかったのか。
「ぼく、5円しかない!」
「ああ、5円やったら1個やなあ」
じゅん子ちゃんはそう言った。この時のじゅん子ちゃんのなんともいえない憐れみを含んだ言い方を今でも覚えている。
10円で3個、5円だったら1個半だということぐらいは、幼稚園児でもうっすらわかったと思うが、たこ焼きは半分にはできない。四捨五入してサービスで2個にしてくれたらいいのにと今なら思うが、その頃の私には、そんな交渉術は持ち合わせていなかったようだ。(店のおばさん、やさしくないなと思うが)さらに、じゅん子ちゃんかすすむ君のどちらかが、「1個あげる」と言ってくれなかったのかとも思う。幼稚園児はそんなお人好しでも偽善的、いや利他的でもないわけだ。
それでも、その1個のたこ焼きを私は何口にも分けてほくほくあちちと食べた。食べ終わる時間は3個食べた2人と同じように調整した。ひょっとして3個よりも1個の方が値打ちがあったのかもしれない。ソースと青のりと鰹節の香りも鮮明に蘇る。
すすむ君も、じゅん子ちゃんも私と同じ歳だから65歳になっているはずだ。小学校1年生の時に転校した私は、その後、2人とは全く交流はない。今では、一個何十円どころか高級店だと0がもう一つつくくらいのたこ焼きだが、ソースの効いた熱々を頬張るとき、時々思い出す初めてのバス旅である。
よし、今日の晩飯は決まった。思いっきり贅沢にたこ入れたろ。
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