マイアーカイブス2 マンボNO,5
今日もまた、面白いシーンが解凍された。
幼稚園くらいだろうか? 季節は、冬。祖母が開いている居酒屋のストーブの火が燃えているのが見える。居酒屋といえば聞こえはいいが、今にして思うに、おそらく祖母が勝手に掘立て小屋を建てて違法に商売していた店のような気がする。入り口の引き戸は開け閉めするたびにぎしぎしと音を立てていた。ガラスの代わりに貼ってある格子模様のビニールシートが風が吹くたびにピラピラと音を立てている。
店にはお客が一人だけ、おそらく常連さんなのだろう、祖母と親しげに話をして笑っている。料理は、ホルモン焼き。きっとミノかテッチャンといったものだろう。なぜか、生の玉ねぎが丸ごと添えてある。子ども心に、こんなもの生で食べておしいんかなあと思って見ている私がいる。
小便がしたくなった。私は、いつものように外に出て川の草むらに向かって用を足す。店の中にもトイレはあったと思うが、いつも外の川に向かって用を足していたと記憶している。
幼い私は、下の服を全部脱ぎ捨ててことを済ましたのだろう。下半身丸裸で店に戻ってきた。店に戻ると、ラジオから軽快なリズムに乗った曲が流れていた。(後でわかったのだが、曲は「マンボ No.5」)私は、そのリズムに乗ってストーブの前でお尻を振って踊り出した。小さな私の持ち物がピクピク揺れるのを客が面白がって見ているのがわかる。ますます、調子に乗る私。そして、「ウー、マンボ!」の瞬間。
「ジュッ」
「あちっ!」
お尻をストーブに向かって突き出してしまったのだった。
瞬間に大火傷。さすがに祖母も店の客も大慌てで泣きじゃくる私を抱き抱え冷えたタオルを尻にあててくれた。
アーカイブ映像はここまである。
風呂に浸かってぼうっと考える。
なぜ、夜の遅い時間に幼稚園児である私が、祖母の店にいたのか、いまだにわからない。でも、よくこうしたことがあったことも記憶にある。
私には、当時3つ上の兄がいた。おそらく小学校三年生くらいだったはずだ。なぜ、兄はここにいなかったのか、どうして自分だけ祖母に預けられていたのか。
祖母と市場に行って、この店で出す料理の材料を仕入れているシーンも思い出したことがある。その時も、祖母と二人なのである。父は仕事として、母や兄は何をしていたのか。塾などの習い事をしていた時代でもない。不思議だ、謎に包まれているが、いまだにくっきりとあのつぶれかったような掘立て小屋ははっきり覚えている。
幸い、私のお尻の火傷は、跡も残らず綺麗になっている。今は、別の理由で美しくないお尻ではあるが‥‥
#創作大賞2023 #エッセイ部門
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