マイアーカイブス5 初めての涙
いつものことながら、そろそろ出ようかなと思う時に限っていきなり解凍が始まる。私のアーカイブス倉庫はどうやら気ままな冷凍保存がなされているらしい。
夜中に目が覚めて、むくっと起き出し布団の上に座っている自分の姿が見えてきた。
何年生くらいだろう。せいぜい小学1年生か2年生だと思われる。
悲しくて、とても悲しくて涙がこぼれてくる。声も立てずにただ涙が落ちている。薄明かりの中、敷布団のシーツの上に小さなしみが1つ2つとできる。とにかく、辛くて胸が痛くて喉がつかえている感じがリアルによみがえってきた。
思い出した。
なぜか、母がいない日が続いていたのだ。父親からは、「お母ちゃん、今日からちょっと勉強しに遠いところに行くからな」と告げられていた。なんの勉強か、なんのために勉強しに行くのか、そんなことがわかるはずもない。
母が不在の間、マサノブ兄ちゃんとそのお嫁さんのマサエさんという女の人が私の家に寝泊まりしていたことも思い出す。2人とも優しい方だった。多分、「勉強」に行っている母の弟夫婦、つまりおじさん、おばさんだったのかと思う。2人は普段父と母が使っていた寝室で夜を過ごしていた。夜中にトイレに起きた時、何気なくその寝室をガラス越しに目にしたことがあった。布団の上にマサエ姉ちゃんの大きな乳房が二つ置いてあるように見えた。幼心に「見てはいけないもの」を見た気がしてドキドキしたことまでついでに解凍される。
この日、なぜ、私は、涙をこぼしていたのか。
それは、久しぶりに母親に会ったからだろう。父親が「面会」に連れて行ってくれたのだ。後で知ったのだが滋賀県は琵琶湖のほとりにある研修施設だった。随分と遠いところだった。途中で立ち寄ったドライブインで昼食をとった。当時は、外食するだけで嬉しい時代で、私は、天ぷらうどんを食べた。3つ上の兄は、オムライスを食べていた。そのオムライスを乗り物酔いで嘔吐していた兄の姿も覚えている。私が、横で、「ああーもったいなあ。せっかく食べたのに」と言っていたことを笑い話のように、父が後々よく語っていたものだ。
久々に会った母親は、とても元気そうで、笑顔が眩しかった。母なのになんか照れ臭かった。それでも「かあちゃん!」と抱きつきに行く幼い私。その時の母の温もりといい香りが余計に涙を誘う。そう、私は、この夜、生まれて初めて「母が恋しい」と言う感情を体験したのだった。
ただただ、布団に落ちる涙を見て、「ああ、自分は今、悲しくて泣いているんだなあ」と感じている。
随分後になって知った。
母は、父の経営していた運送会社の若い運転手と「かけ落ち」した。何度も何度も・・・。初めは追いかけて連れ戻していた父だったが、3度目か4度目かの時、諦めたという話を継母から聞いた。
じゃあ、この「勉強」と言うのは、1回目の駆け落ちの後、連れ戻されて無理やり行かされたのだろうか。それとももっと前の話なのだろうか。そのあたりは今になってもわからない。今年で卒寿を迎えた父に聞いてみたらわかるのだろうが、今更聞きたいとは思わない。
今でこそ、「なんでそんなことで泣くん?」と涙腺コントロールが「呆けて」しまっている私である。しかし、若い頃は、「ここは、この時は、泣くとこやろ」という場面でも、いやもっと言うと「ここで涙が出たらドラマチックなのになあ」と思うところでさえ1滴も涙が出なかった鋼鉄の涙腺の持ち主だった。そんな私が、悲しみの涙を流した出来事だったのだ。
暖かいお風呂に浸かりながらあの夜の胸がつかえるような痛みを思い出す。父と1つ違いだった母はまだ健在なのだろうか。かけおちした男性とはその後どうなったのだろう。こんなことを考え出すと長風呂になりのぼせてしまう。そろそろ出るとしよう。
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