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救世主/RADWIMPS

こんにちは。Bouningenです。

私は、RADWIMPSの名曲のひとつ・「救世主」を聴くと、その歌詞は、心の奥にいる自分が自分自身に対してかけている言葉のように感じます。(もちろん、聴く人それぞれの感じ方があると思っています。ここでは私の感じることを書きます。)

この歌は、今日を生きた人のことを「救世主」と言っていて、今日も生きたということは、今日も自分の世界を救ったということなんだと言っている。

救世主/RADWIMPS 
「君が生まれた朝にきっと世界も生まれ ずっと一緒に同じ歳を重ねてるんだよ」
「君と出会ったあの朝に 僕は世界に呼ばれ そっと君を守るようにと送られたんだよ」
「君がいなくなったら きっと世界も終わる だって世界は君の中でしか廻れないから」
「君がいないと ここにいないと何もないんだよ そう君は今日もこの世界を救ったんだよ 
僕を消さないで 離さないで 繋いどいてよ そう君は生きた 今日も生きた どうもありがとう」


私は「最期まで自分を生きないといけない」ということに嫌気がさすこともあるけど、この歌を聴くと、まだ終わってはいけない、まだ守らなければいけない世界が自分にもあるのだと確かに感じられます。

自分が廻している、たった一つの世界。
それは間違いなく自分のものなんだよね。

救世主/RADWIMPS
「君の瞬きのたび世界は止まる 耳をふさぎ込むたび世界は黙る
君の瞬きのような命だけど この世界は 君のその手の中」



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