大林宜彦『花筐/HANAGATAMI』【おそらく聞いたことがない話】
以前、大林宜彦監督と食事をご一緒させて頂いたことがある。『転校生』や『時をかける少女』『SADA〜戯作・阿部定の生涯』『この空の花 長岡花火物語』などの日本映画史に残る名作や前衛作品を拵えたマエストロに、学生だった私は、「映画を作るとき、いちばん大事にするのはどのようなことですか?」という稚拙な質問を投げかけた。監督はにっこりと微笑んで、言った。
「心臓の音を聞くんだよ」
ゆっくりと両手をご自身の胸にあてがい、「自分の心臓の音が、自分の作品のリズムを決める。その音を頼りに映画を作るんだよ。あなたも自分の心臓の音を聞いてごらんなさい」と。
キザで歯の浮きそうな台詞なのだが、大林宜彦の口から発せられると、かっちりとはまる。かっこいいのだ。このケレン味溢れる振る舞い、まるで大林監督の映画の世界に放り込まれたようだった。映像の魔術師と呼ばれ、半世紀以上にわたって「人に何かを伝えること」に情熱を燃やした人物にとって、ひとりの青年を虜にすることなど、造作もない。
大林の最新作、『花筐/HANAGATAMI』の上映が全国各地で始まっている。大林は本年80歳を迎え、2016年には肺がんで余命3か月という宣告を受けている。この映画を完成させられるかどうかも怪しかったのだ。どんな作品になっているか、一抹の不安を抱えて劇場へと足を運んだのだが、それはまったくの取り越し苦労であった。
太平洋戦争へと向かってゆく日本において、佐賀県は唐津の、松林のなかにある大学予備校に通う青年がこの映画の主人公である。彼にはふたりの尊敬する学友がいる。有り余る生命力を浪費する不良の美男子と、哲学的思索にふける世捨て人のような男。ヒロインは主人公の従妹にあたる少女で、肺病に冒され死を待つばかりの生活を送っている。そして夫を戦場で失い、未亡人となった美しい叔母。彼らを中心に、なまめかしい愛憎劇が繰り広げられる。
破滅への予感を漂わせる日常を舞台に、いつものようにキザでケレン味たっぷりの、いや、数ある大林作品のなかでもとびきりアヴァンギャルドな映像が怒涛のように押し寄せてくる。デジタル合成による、極度に誇張されたありえない情景と、どぎつい大胆な色づかい、セオリーを飛び越えた縦横無尽のカット割り。執拗に繰り返されるバッハのプレリュード、そして血のイメージに彩られた清楚かつ妖艶な女性たちの姿。甘美でもあり、禍々しくもある夢のなかに迷い込んだような感覚が延々と続く。老境という言葉からは程遠い、まさに、やりたい放題の映画なのである。病気なんて嘘なんじゃないか、と思った。
じつは、『花筐/HANAGATAMI』の脚本の原型は、大林の商業映画デビュー作『HOUSE/ハウス』(1977)より以前に書き上げられていたらしい(当時のタイトルは『花かたみ』)。若き日の大林は、小説家、壇一雄が書いた『花筐』に惚れ込み、この物語を自身の手で映像化することを「生涯の夢」と語りながら、今の今まで日の目を見ていなかったのである。いわば「幻の第一作」とでもいうべき脚本が40年以上の時を超えて映画となったのだ。
ちなみに企画を進めている段階では大林には病の自覚症状はなく、撮影開始の前日にがんに冒されていることが発覚したのだという。80歳を目前に肺がんを患った大林が巡り会ったのが、彼の幻の第一作であり、肺を病んだ少女をヒロインとする『花筐/HANAGATAMI』であったというのはとても示唆的で、まるで大林自身が物語の登場人物のひとりであるかのようだ。不謹慎を承知でいうと、ここにおいても大林宣彦という表現者が有するケレンが、意図せず滲み出ているような気がしてならない。
先ほど私はこの作品を老境からほど遠い、と書いたが、ひとりの映画監督と、彼の幻の第一作との運命的な邂逅は、結果として彼に成熟を許さなかったのであろうと思う。集大成ではなく、前進。『花筐/HANAGATAMI』は大林に引退の花道ではなく、新たなスタートラインを与えた。実際、大林はその意を汲んだかのように、やんちゃに暴れまわった。こうなればもう、次回作に取りかかってもらうより他ないのではないか。大林がつぎにどんな放埒な映像を紡ぎだすのか、どんなキザな台詞を語るのか、私はそれを見たい。大林は言う。
「一見、放蕩無頼にも見ゆる本作の若き登場人物たちの精神や行動も、まことは切実なる生きる意志、――我が命は、魂は、我が信じるままに自由であらせよ、と願う、その純血の現れ(後略)」(『花筐/HANAGATAMI』公式サイト)
「我が命は、魂は、我が信じるままに自由であらせよ」 それは大林宜彦が私たちに、そして自分自身に向けた言葉でもあるはずだ。
write by 鰯崎 友
『花筐/HANAGATAMI』公式サイト http://hanagatami-movie.jp
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