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新実存主義 人間の心の問題に取り組む

著者 マルクス・ガブリエル 他
訳 廣瀬 覚
出版 岩波新書 1822

はじめに

Amazon Kindleを眺めていた際、新実存主義新存在論というマルクス・ガブリエルの提唱する語彙に魅了され、本書に目が留まった。一時期、僕は、ヤスパース、ハイデッガーやサルトルに傾倒していた時期があった。
皆さんご承知のように、マルクス・ガブリエルの名前に関しては、ここ数年、TVや書店で彼が取り上げられている。だが、僕は、彼の思想までは詳細に辿っていなかった。
概要だけでも知りたくなり、本書のKindle版を購入し、同時期に彼の別の著書「世界はなぜ存在しないのか」を書店で購入するに至った。

新実存主義とは

サルトルの次の2点を取り入れた存在論の場面でポスト自然主義の枠組みに依拠しながら、人間の心の問題に取り組もうとするマルクスガブリエルの思想。

1:人間は本質なき存在であるという主張
2:人間とは、自己理解にてらしてみずからの在り方を変えることで、自己を決定するものであるという思想

サルトルはテイラーの指摘にあるように決意主義とも言える。
「われわれの自己解釈において真理がいかなる位置を占めるかという問題が解消するわけではない」
これこそがガブリエルとサルトルの思想とを分かつものとしている。

第1章にてガブリエルは新実存主義の主張を述べている。

新実存主義とは、「心」という、突き詰めてみれば乱雑そのものというしかない包括的用語に対応する、一個の現象や実在などありはしないという見解である。(第一章より)

※「乱雑」を「ランダム」と置き換えて僕は読み進めた。

「意味の場(Field Of Sense:FOS)」という言葉を定義して自然主義の抱えるギャップ(「意識」の問題)や自然主義の失敗を指摘している。

新実在論

新実存主義を読む上で、新実在論の概念を少し知っておく必要がある。これについては「なぜ世界は存在しないのか」を参照するとわかりやすかった。

実在論と反実在論を包摂できるとガブリエルは主張する。

EX.

観測者がいるからヴェスヴィオ山は存在する
ポストモダン
構造主義
観念論
認識論
観測者がいなくてもヴェスヴィオ山は存在する
形而上学
実在論
存在論

ガブリエルの定義する「存在」とは縁起によって意義領野(いくつもの意味の場)に生じた現象であり、いくつもの意義領野と縁起を包括するものを「世界(無)」と定義している。
イメージで例えると、インフレーション理論での母宇宙から子宇宙がポコポコ生まれるような場自体が世界。複数の意味の場の意味の場。
これは仏教哲学での無の概念「空」に近しいかもしれない。

ガブリエルの思想は複数、あるいは無限の意味の場を包括する場そのものを「世界(無)」とした上で、カントを源流とする構築主義と対峙し、それ自体として存在している事象は認識できるとした。

これにたいしてポストモダンは、わたしたちにたいして現われているかぎりでの事物「だけ」が存在するのだと異議を申し立てました。
中略
このようなポストモダンは、実のところ形而上学の派生形態のひとつにすぎません。厳密にいえば、ポストモダンで問題になったのは、相当に一般化された形態をとった構築主義にほかなりませんでした。
構築主義とは、次のような想定に基づくものです。およそ事実それ自体など存在しない。むしろわたしたちが、わたしたち自身の重層的な言説ないし科学的な方法を通じて、いっさいの事実を構築しているのだと、と。このような思想の伝統の最も重要な証言者が、イマヌエル・カントです。カントが主張したのは、それ自体として存在しているような世界は、わたしたちには認識できない、ということでした。
「世界はなぜ存在しないのか」マルクス・ガブリエル 講談社選書メチエ p10-p11

こうして、ガブリエルの思想は構築主義に対抗する存在論を提唱し、人の「心」まで「宇宙」へ還元しようとする極端な自然主義を批判する思想として、新実存主義を提唱している。
※僕は哲学ド素人かつポストモダンをさほど触っていない為読み違えている可能性があります。

新実存主義での心と脳のモデル

また、心と脳のモデルを自転車とサイクリングの比喩を使って説明しつつ、脳は心の必要条件ではあるが、十分条件ではないと主張し自然主義を批判もしている。

自転車は、サイクリングのために必要な物質的条件である。
自転車はサイクリングの原因ではない。自転車はサイクリングと同一ではない。サイクリングは理論的、存在論的に自転車に還元できない。
「新実存主義」マルクス・ガブリエル他 岩波新書
心と脳の関係は、与えられた状況を複数の必要条件とそれを組み合わせた十分条件とに分析してはじめて浮かび上がってくる関係だ
「新実存主義」マルクス・ガブリエル他 岩波新書

哲学を専門的に学んできたわけではないので、第1章は「ふーん、そういう定義としているわけか」程度に読みながら、第2章から第4章の他の論客たちによる見解を読んでみた。第2章~第4章の見解を読み進めると、第1章の解説のように思えてきて、理解が少し深まった。

さらに、最後の第5章でガブリエルが序章と第2章~第4章の4名に答える形で彼の思想「新実存主義」を丁寧に解説している。
この最後の章が非常にわかりやすかった。

まとめ

私がこれまで述べてきたことは、人間がたんなる動物の一種ではなく、精神の具体的な事例であるということだ。ここで「精神」は、自然種を拾い上げる言葉ではなく、自然科学では完全には研究できないひとつの全体を意味するのである。
「新実存主義」マルクス・ガブリエル他 第5章より

心とは意味の場に現象した精神の一例であり、純粋な自然の秩序(=ガブリエルのいう宇宙)には属さず、脳は心の必要条件ではあっても脳に還元されるようなものではない。

おわりに

去年から未だに終息が見えてこないコロナ禍。
そして今年の気候変動問題を痛切に感じざるをえない異例の速さの梅雨入り。
こうしたパンデミックの中でこそ、より善く、人間らしく、そして自分らしく生きたい。
人の心をもう一度じっくり考える時、我々が様々な思想の哲学を学ぶことは、意義がある。

余談 日本語よりも英語か原著で読んでみたい

ところで、余談だが、「実存」と「実在」って日本語で表現すると、哲学にあまり触れていない人(僕もその1人である。)にとって、違いが非常に曖昧に思えてこないだろうか?
この日本語の特質が一般人にとって哲学をとっつきにくいものとしてしまっている気がしなくもない。

実存
現実存在の略
主観とか客観とかに分けてとらえる前の、存在の状態。ここに今あるということ。
実在
われわれがそう思うからそこにあるように見えるというのではなく、われわれと離れて別に、客観的に存在するもの。

?!

これを英語になおすと。。。

実存
Existentialism 
実在
Realism
存在論
ontology

英語にすると違いが曖昧でなくなり分かりやすい。
専門家の人たちから怒られそうであるが、英語版か原著を読んだ方が哲学系はすんなり行く可能性が高いのではないか。

ついでに本書のタイトルを英語にすると、、、
Neo-Existentialism
ネオ・イグジステンシャリズム。凄くカッコいい響き。


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