見出し画像

惚気

絵は妻が描いたもの

惚気

気分転換に午前10時の休憩中書いたものをこうして書き直したりして、自己満足の余韻に浸ろうとしています。

ここに載せた、或いは、載せられるであろう散文、駄文の数々は他人にとっては取るに足りぬただの俺の日記です。


本を読む物語
これはフィクションでありノンフィクション
ジャンル問わず
たまに、散文を書く94年生まれでラップ好きなフィリピンハーフの現場職人
嫁ちゃん卍丸の読書記録という体裁を繕ったただの日記である

ちゃんとプロフィールにも書きました。

いかに俺が妻を愛しているかという日記です。
もっと言うと、ひとつ残らず全て、回りくどい妻への手紙です。
Instagramの1番はじめの投稿
本を読む物語
という手書きの写真投稿すら妻宛てです。

妻にバレたら凄まじく恥ずかしいため、恐らく垢消します。
幸いな事に彼女は日本人ではないので、バレてもGoogleティーチャーを呼び出されない限り、何が書かれているのか意味不明でしょう。
でも、心のどこかで、
バレて、読んでくれないかな
などと思っているのも事実です。

誰得哲学、思想や啓蒙書、音楽や小説を何故、人は残そうとするのか?
理由は様々でしょうね。
自分探しだとか、原点回帰だとか、自己表現や啓蒙活動の為、そして数多の読み手は立派な哲学者たちや文豪たちからヒントを得て視野を広げるだとか、考えを深める為だとかね。
そして、こうした事の全ては恐らくは、行き着く先、哲学に集約されるのでしょう。

人生の岐路に立たされたら、偉人たちの残した哲学書が指南してくれる。ニーチェを読め。
とかね。

否定はしませんし、寧ろ賛同すべき点もあります。

ですが、極論、愛の表現やら愛への渇望、欲望の吐口の象徴が哲学というのが俺の持論です。

だからどうした?
どうもしないし、俺は彼女を愛してるから、彼女に褒められたい欲望の果てにこうして日記を書いてます。
自分でも気持ち悪いくらいに妻を好きすぎる訳です。

端的に言うと、人はそれを
惚気
と言う。

#散文
#読書好きな人と繋がりたい
#哲学
#小説
#ロマン主義
#愛
#詩
#回りくどい
#嫁スタグラム
#嫁が好き
#妻へ
#惚気

いただいたサポート費用は散文を書く活動費用(本の購入)やビール代にさせていただきます。