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東から

夕方近くに出張から自宅に戻った。
庭先の柿がたくさん実っていた。そのすぐそばでクモが空を羨ましそうに眺めているのを見て、僕も空が羨ましくなった。

玄関の扉を開けるとリビングから顔を覗かせて、元気よく妻と娘が迎えてくれた。荷物を整理している間、妻は僕に新しく読み始めた本の話を聞かせてくれた。太宰治さんの『ヴィヨンの妻』を青空文庫で読み始めたそうだ。青空文庫だと、辞書を引くのが楽だと言う妻。僕は漢字辞典で確認した方が覚えられるよ、と言いかけた。それに、昨日書いた内容を彼女が勘違いして変な風に考えてないか、少し不安になり、後ろめたくもなった。けれども、彼女は僕の文章をほとんど読まない。長くて回りくどく、翻訳するとちんぷんかんぷんなものになるらしい。それでもなんとなく、あんな書き方をするんじゃなかった、だとか色々考えた。

行きよりも帰りの方が荷物は増えて、何冊も本を購入までしてしまったものだから、キャリーケースもバックパックも重たくなっていた。
整理すると、バックパックはさっきまでとは裏腹に空っぽのただの薄っぺらいナイロンでしかなく、まるで昨日のことが遠くへ行ってしまった。

どうしてこんなにも本が好きなのだろう、と時々自分でも呆れてしまう。

暗譜もしたくて、バッハのパルティータの楽譜まで持ち歩いた出張。
馬鹿だなぁ。

本は子どもの頃から友人だった。
バスチアン、アトレーユ、ローラ、メアリー、安寿と厨子王、トム、ハックルベリー、ホームズにポアロさん、ルパン、オオカミ王のロボ……。
ホビット庄やホグワーツ。

彼らの冒険の行方にわくわくしたり、悲しんだり怒ってみたり、笑ったり。

家族の蔵書を全て足すと、さまざまな出版社の国内外文学全集や岩波文庫、国内外思想全集が恐らく一万冊くらいあるんじゃないかと思う。

まだ会ったことのない友人たちが沈黙の中で、その時をじっと待ってくれている。

とりとめのない瑣末な読書感想文をこうして書くようになってから、色々と語る必要のない自分語りをするようになった。

読書熱が再燃して以来、素敵な言葉たちに囲まれて、言葉を拙くつむぎながら、心の整理をして、書くことで自分を慰めていることも多くなった。

読書感想文、というのは名目上で、本の中で一緒に時間を過ごした登場人物たち=本の中のあるいは心の中の友人たちを通して、自分自身の輪郭を再び捉えようとしているのかもしれない。

考え様によっては、それは物語をなぞらえて生きる、架空の世界を生きる、様なものかもしれない。そこで生きる僕は本を閉じたら消えてしまうんだろうか?

本を閉じたら、夢は夢で、僕の心の中は閉じてしまうんだろうか。

僕は何度も何度も、辛い時、『路傍の石』の吾一の話を聞きに行く。吾一は本を開くと、小学生くらいの少年のまま、歳を取らずに僕を迎えて、僕に物語る。いつも同じ話でいつも大体同じところで僕の背中を押して、勇気づけて、僕が吾一に話しかけると、文句もお説教も僕の話自体のことについては一切干渉しない。そっと聞き耳を立てていてくれる。

詩もそうだろう。
最近だと、リルケ詩集を繰り返し読む。
僕に美しい深淵を歌い、僕の話をじっと見つめてくる。

最良の友人たちでもある。
こんなこと書くと、僕が実生活で友人がいないかのようだけど、ぼちぼちいる。

ただ、ある時期の友人たちは死んでしまい、本の友人たちのように、じっと聞き役に徹してくれている。

旅すると、そんな友人たちにもう一度語り合うために逢える気がする。

そうした人たちと会う旅の道連れに、僕はやっぱり、アントニオ・タブッキの『遠い水平線』を連れてきてもいた。
スピーノは僕といつも一緒に行動する。

先日の北への旅には、スピーノだけではなく、月の三相も連れていったし、須賀敦子全集も連れていった。

2022年9月17日から1日も欠かさず、毎日一篇ずつ須賀敦子さんのエッセイを読んでいる。
今のところ、僕の話の1番の聞き役が須賀敦子さんかもしれない。

そうして、ひとしきり無言の僕の話を聞き終えると、彼女は滋養に満ちた、熟した果実のような彼女の苦労と喜びに満ちた人生を忍ばせる話を語り始める。

須賀敦子全集第二巻。気付けば半分以上まできていた。

毎日、彼女と接しているうちに、僕も少しずつ彼女から様々なことを学んでいる。
それがどういったことなのかは、言語化を上手くできない。

彼女の話は必ず、もう死んでしまったひとたちが生存していたころの交流やそのひとたちのことばかりが淡々と語られる。
けれども、彼女自身の輪郭をくっきりと浮かび上がらせてくる。

ああ、旅ってこういうことか、と脈絡なく僕は思った。

すぐに何かが変わるわけじゃないし、仕事がメインで行ったから観光でもない。

どうして彼女が『ヴィヨンの妻』を選んだのか、僕は少しわかる気がした。得意げに、少し誇りを含んだ顔を見て、良かったね、とだけ言った。

人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ
ヴィヨンの妻 太宰治

連れ添った友人たち、また、明日逢おう。

しばらくしたら僕はひとり少しここから遠い場所へ向かう。
その準備が僕にできていようと、できていまいと。

秋、深まる中で夕闇のオレンジ色が僕と蜃気楼の街の友人たちを結びつける。

明日は月曜日。10月も終わりだ。

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