はじめに
前回の中世詩論に続き、今回は須賀敦子さんのイタリア文学論から現代詩論について。
イタリアの現代詩は、一九一六年、第一次世界大戦中に出版されたジョゼッペ・ウンガレッティの第一詩集『埋もれた港』とともに誕生したというのが定説になっているようだ。(*1
今回は、二十世紀前半のイタリアの代表的な詩人たち
・ジョゼッペ・ウンガレッティ
・エウジェニオ・モンターレ
・ウンベルト・サバ
について須賀敦子さんが述べられている講演といくつかの小論を読んでいく。
現代イタリアの詩 ウンベルト・サーバとエウジェニオ・モンターレ
1978/11/21四谷ルーク・ホールにて行われた日伊協会主催「文化講演会」須賀敦子さんの講演より ユダヤとスラヴ性両者をもつサーバの解説とファシズム政権下でレジスタンス運動参加してたモンターレの詩について。
サーバの詩のユダヤ性とスラヴ性
須賀敦子さんのいちばん好きなサーバの詩、『山羊』を紹介しながら、詩人の中にあるふたつの民族性について須賀さんは語られた。
サーバ自身は単なる比喩なのだから気にしないようにと註釈をつけているようであるが、須賀さんは、「ユダヤ性というのは、この人類の永遠の悲しみというような表現にこそ捉えられるべきではないか」(*2 と述べている。
人類の永遠の悲しみ───領土問題、覇権争い、差別や貧困、あらゆる格差……そうしたものは二一世紀の今も続き拡大し、より一層見えずく、またそうした問題に盲目になろうとする傾向に思える。
無意識的に幼い頃育てられた、スラヴ系乳母の影響が、彼の考え方や在り方に現れているようにも見えるのを、須賀さんは「果てしない心の優しさ」と述べている。
スラヴとユダヤ、そしてトリエステという土地からサーバの「人類の存在の底流としての原罪というか、悲しみ」は決してセンチメンタルなものではなく、「非常に冷めた、冷たい悲しみで」、陰湿さがない。
「日本人ないし日本語との異質性」もこの陰湿さのないカラっとした悲しみからくるように思えた。サーバ本人は、「僕は形容詞でなくて、動詞で詩を書くイタリア人の系列に属している」と言っている。 もしも形容詞が多ければ、かなり陰鬱なセンチメンタルであったりメランコリックであったりしたであろう。
僕は形容詞が多い詩は説明が多く冗長的に感じる。けれどよく形容詞を多用しているときがあるかもしれない、とふと自戒した。
山羊の啼き声によって山羊の存在、悲しみの存在が浮かび上がらされているように僕は感じる。
僕は、一九世紀末の象徴派的な芸術も印象派的な芸術もどちらも好みだが、サーバは象徴主義があまり好きではなかったようだ。
印象派と象徴派の違いは印象派の芸術家たちは目に見えるものを忠実に画面に写し取ろうとしたのに対し、象徴主義の芸術家たちは目に見えないものを描き出そうとしたところであろう。
象徴派の詩人といえばフランスのボードレールが代表的でもある。
他に、マラルメ、ランボー、ベルレーヌら。
ボードレール、『悪の華』から一篇、紹介しておく。
サーバの詩におけるカンタビリタ
若い頃、船乗りだったサーバはいつも魂を漂泊の状態に置こうとしていたようだ。その特徴がよく表れている『ユリシーズ』という詩を須賀さんが紹介されていた。
力強く純朴でたくましいサーバの歌いあげるような詩である。
けれども、「モンターレのムジカリタ(音楽性)の前ではどうしても色あせてしまう」ようだ。
エウジェニオ・モンターレ
サーバより一〇歳年下のモンターレはジェノヴァの裕福な家庭で生まれた。
オペラ歌手をめざし、声楽を学んだり、英語、スペイン語、ドイツ語などを独学でマスターした。
カンタービレを独特の音楽性で打ち破るかのような激しいリズム感や力を抜いた時に開花した精神のようなモンターレの詩が素敵だ。
その解説を丁寧にされる須賀さんの肉声を聴いているようだった。
前篇後篇の二部からなる長編詩「ドオラ・マルクス」は戦争をはさんで十年の歳月が流れているそうだ。 内側と外側から彫り上げた彫刻のようなこの詩と同じ技法で編まれた「アミアータからの便り」を日本語に訳して紹介もされている。 「アミアータ」のなかのハリネズミをダンテ『神曲』ウェルギリウスのような役目と見立てる研究者もいるようである。ダンテの伝統につながる、イタリア詩の最高峰をきわめた詩人といわれるモンターレ。
傑作のひとつ『鰻』も素晴らしく美しい。
ある散文詩の季節 ウンガレッティの場合
ウンガレッティの有名な二行詩『永遠』は俳句的なものを感じる。
古今和歌集から、詠み人不明の和歌を置いておく。
ウンガレッティの『通夜』が好きだ。
どうしてだろうか、彼の詩は戦争を強く感じる。
平和であることに胡座をかき自己中心性ばかり目立ち傲慢になると、「自己中心性」を「孤高」としかねず、ともすると、愛する力を見失うかもしれない。
ウンガレッティの詩の系譜
『時の感覚』を書いていた際 ヤコポーネ、ダンテらの詩を読み返していたウンガレッティ。 ウンガレッティはこの辺りから、魂と時間概念が人間の本質だと感じたようだ。(*3
マラルメやヴァレリーらは精神の飛翔をし続けていたが、ここで詩法において、ウンガレッティはマラルメの詩法と決別した、と須賀さんは考察されている。
「もっともマラルメに接近した時期に技術的にも内容の面からもマラルメの芸術の影を濃くやどしている」と須賀敦子さんが評する、ウンガレッティ『時の感覚』に収められた『島』が須賀敦子さんの訳と相まって素敵だと思った。
「集」としての「カンツォニエーレ」 ウンベルト・サバの場合
中世の詩人ペトラルカの『カンツォニエーレ』──誠実にペトラルカが愛し実らなかった人妻ラウラへの愛を抒情詩として残した。 この詩集は体系的な構造を持って編集されている。
文学界では一般的に「カンツォニエーレ」というと、ペトラルカの『カンツォニエーレ』を指し示していたようだ。 サバはペトラルカにならって、詩集『カンツォニエーレ1919』、『カンツォニエーレ1921』、『カンツォニエーレ1945』、『カンツォニエーレ1961』を増補推敲し改訂していく形で残した。
初期のサバは時流に乗らないから理解してもらえない詩人、と評されサバ自身そう思っていたのかもしれない。 研究者ジョルダーノ・カステッラーニがサバの初期作品や『カンツォニエーレ1921』などを研究し、それらによってなぜサバが初期に理解されなかったかをサバ自身に立ち返した。
須賀敦子さんは、小論『「集」としての「カンツォニエーレ」 ウンベルト・サバの場合』にて、カステッラーニの研究から出発しサバがどのようにして、のちの『カンツォニエーレ1945』へとサバが成長したのか、サバ自身どのようにカンツォニエーレを理解していったのかを研究し最終的に『カンツォニエーレ1945』が抒情に物語の構造が与えられ小説的な性格を持つに至ったと締め括っていた。
※ただし、サバは二流からスタートしたのではなく、非凡な才能は常に初期作品からあったのは周知のとおりである。
サバは基本的に、日常的な背景のなかに、古典的メタファーに依存せず主人公をごく普通の人間像を誠実に投影するリアリスムスタイルでもある。
このロマン主義的「誠実な告白」というレトリックは古くはルソーらが用いているが、それがリアリスムへと発展したようだ。
初期の『カンツォニエーレ1921』では、「リアリスムが主観的な要素に支配されすぎて、「集」としても、個々の作品としても、文学としての暗喩性に欠けている」と須賀さんは指摘している。(*4
傑作となる『カンツォニエーレ1945』では1921から詩集の虚構化にともなって多くの作品が整理ではなく必然的に淘汰された。(*6
両者の差異は「集」としての《虚構化》であろう。
僕は、この「集」としての《虚構化》はヤスパースの《交わり》や一種のサルトル的《二重の受肉》に近しいものを感じる。
「対自によって存在される偶然性」つまり対自の超越とそれがもたらす手段としての「参照の中心」(*7 という関係を「集」のなかの個々の詩が互いにコミットメントしあい織りなしているように思う。
サルトルを受容体としたサバ論はまた別の機会に掘り下げてみたい。
このように、僕はサバは見事に人間の実存を詩というかたちで描き切った詩人でもあると感じた。
「作家」は自分のことではなく世界について書くから歳を重ねることで熟するが、詩人や音楽家は早期から才能が圧倒的に開花する。そのためヤナーチェクのように大器晩成の音楽家は珍しいといった主旨のことをミラン・クンデラとトマーシュ・セドラーチェクが語り合っている。(*5 誰にでも一見するとわかりやすい言葉で日常を普遍的言葉にし、そこに横たわる土地の歴史を結晶化し独自の詩学を結実したかのようなサバ。彼はそうした点において、少しヤナーチェクみたいだな、と思った。
僕にとって、ヤナーチェクを聴いていると、ヤナーチェクの音楽性はモラヴィア民謡の持つメランコリックな側面が根底にあるのを感じる。
一方で、サバの作品を読むと彼の詩学の持つ音楽性がメランコリックとは一定以上の距離があるように感じる。
両者の《音楽性》の決定的に異なる点のようにも思える。
クンデラとセドラーチェクの対談は「ヤナーチェクの作品受容を通して、政治的・経済的・文化的な観点から「周縁」と位置付けられた地域を出自とする芸術家とその作品が直面する問題が語られている」(*8
サバの詩学が持つ音楽性において、スラヴとユダヤという、ふたつの民族性を持つことからもどこか深いサバの無意識(宗教や家族)の中でも、このことが当てはまることではないだろうか?
おわりに
須賀敦子さんのダンテ理解の深さも伝わる現代詩論───イタリア現代詩人たちの代表的な詩人たち、ウンガレッティ、サバ、モンターレ。僕には数ページがとても難しい。 須賀さんは詩人たちの時代背景と彼らの中心をグッと掴み、それを端的に優しい言葉で書いてくださっている。それが読み手に伝わり、応えないと、と思わされる。
須賀さんの歩いたイタリアを旅したいなぁと思った。
彼らの詩を読んでいて、僕は個人的にサンボリズム(象徴主義)が好きなことを再認識させられた。
それでも、とりとめのない日常が普遍性を保ち力強くその尊さを謳った《ふたつの世界の書店主》ウンベルト・サバも好きだ。
詩学の奥深さは長い歴史とそこにたゆたうひとびとの日常の物語が虚構化され、そしてそれらが言葉の結晶として再現前化され、存在するところにあるのかもしれない。
最後に、フェリーニの『道』の音楽を聴きながら、僕の好きなサバの詩を紹介してこの投稿を締めくくりたい。
註釈
1 『須賀敦子全集第六巻』 p186
2 『須賀敦子全集第六巻』 p141
3 『須賀敦子全集第六巻』p220
4 『須賀敦子全集第六巻』p235
5 『須賀敦子全集第六巻』p266
6 『アステイオン 86 【特集】権力としての民意』公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会著
7 『存在と無』ジャン=ポール・サルトル 河出書房 p143からの対他存在の考察を参照
8 『アステイオン 86 【特集】権力としての民意』公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会著