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須賀敦子さんのイタリア文学論を読む  第2回 現代詩論編

はじめに

前回の中世詩論に続き、今回は須賀敦子さんのイタリア文学論から現代詩論について。

イタリアの現代詩は、一九一六年、第一次世界大戦中に出版されたジョゼッペ・ウンガレッティの第一詩集『埋もれた港』とともに誕生したというのが定説になっているようだ。(*1

今回は、二十世紀前半のイタリアの代表的な詩人たち
・ジョゼッペ・ウンガレッティ
・エウジェニオ・モンターレ
・ウンベルト・サバ
について須賀敦子さんが述べられている講演といくつかの小論を読んでいく。

  • 現代イタリアの詩 ウンベルト・サーバとエウジェニオ・モンターレ

  • ある散文詩の季節 ウンガレッティの場合

  • ウンガレッティの詩の系譜

  • 「集」としての「カンツォニエーレ」 ウンベルト・サバの場合

現代イタリアの詩 ウンベルト・サーバとエウジェニオ・モンターレ

1978/11/21四谷ルーク・ホールにて行われた日伊協会主催「文化講演会」須賀敦子さんの講演より ユダヤとスラヴ性両者をもつサーバの解説とファシズム政権下でレジスタンス運動参加してたモンターレの詩について。

サーバの詩のユダヤ性とスラヴ性

一八八三年にトリエステで生まれた。
トリエステはユーゴスラヴィアとの国境の街で昔から領土問題でしばしば紛争の中心となった。
母はユダヤ人、父はヴェネツィア貴族。
サーバが生まれたころには両親は別れていた。
一時期、スラヴ系キリスト教徒の乳母にあずけられた。
サーバは独学で文学を学んでいく。
なかなか世間で知名度のあがらないサーバは一九四五年に刊行した『カンツォニエーレ』でようやく認められ詩人の地位を不動のものとする。
妻リーナはサーバのミューズでもあった。
一九五七年、妻亡きあと、誰にも看取られずに亡くなった。
小説『Ernesto』は『美しき少年/エルネスト』というタイトルで映画化もされ、第29回ベルリン国際映画祭コンペティション部門に出品され、ミケーレ・プラチドが銀熊賞 (男優賞)を受賞。

ウンベルト・サーバの略歴

須賀敦子さんのいちばん好きなサーバの詩、『山羊』を紹介しながら、詩人の中にあるふたつの民族性について須賀さんは語られた。

おれは山羊に話しかけた。
たった一匹、草地につながれていた。
草に飽き 雨に濡れて 啼いていた。
その啼き声は おれの悲しみにとって
兄弟みたいに懐かしかった。そこで
おれは答えてやった。はじめは 冗談半分に。
悲しみには 終わることない
ひとつの声があって いつも
どこでも 同じにひびく。
その声を あの孤独な山羊は
もっていた。
ユダヤ人の顔をした あの山羊の
なかで あらゆる痛みが
あらゆる生が 争っていた。

『山羊』ウンベルト・サバ
訳 須賀敦子
『須賀敦子全集第六巻』p141

サーバ自身は単なる比喩なのだから気にしないようにと註釈をつけているようであるが、須賀さんは、「ユダヤ性というのは、この人類の永遠の悲しみというような表現にこそ捉えられるべきではないか」(*2 と述べている。
人類の永遠の悲しみ───領土問題、覇権争い、差別や貧困、あらゆる格差……そうしたものは二一世紀の今も続き拡大し、より一層見えずく、またそうした問題に盲目になろうとする傾向に思える。

無意識的に幼い頃育てられた、スラヴ系乳母の影響が、彼の考え方や在り方に現れているようにも見えるのを、須賀さんは「果てしない心の優しさ」と述べている。
スラヴとユダヤ、そしてトリエステという土地からサーバの「人類の存在の底流としての原罪というか、悲しみ」は決してセンチメンタルなものではなく、「非常に冷めた、冷たい悲しみで」、陰湿さがない。

「日本人ないし日本語との異質性」もこの陰湿さのないカラっとした悲しみからくるように思えた。サーバ本人は、「僕は形容詞でなくて、動詞で詩を書くイタリア人の系列に属している」と言っている。 もしも形容詞が多ければ、かなり陰鬱なセンチメンタルであったりメランコリックであったりしたであろう。
僕は形容詞が多い詩は説明が多く冗長的に感じる。けれどよく形容詞を多用しているときがあるかもしれない、とふと自戒した。
山羊の啼き声によって山羊の存在、悲しみの存在が浮かび上がらされているように僕は感じる。

僕は、一九世紀末の象徴派的な芸術も印象派的な芸術もどちらも好みだが、サーバは象徴主義があまり好きではなかったようだ。
印象派と象徴派の違いは印象派の芸術家たちは目に見えるものを忠実に画面に写し取ろうとしたのに対し、象徴主義の芸術家たちは目に見えないものを描き出そうとしたところであろう。
象徴派の詩人といえばフランスのボードレールが代表的でもある。
他に、マラルメ、ランボー、ベルレーヌら。
ボードレール、『悪の華』から一篇、紹介しておく。

L'Ennemi
Charles Baudelaire

Ma jeunesse ne fut qu'un ténébreux orage,
Traversé çà et là par de brillants soleils;
Le tonnerre et la pluie ont fait un tel ravage,
Qu'il reste en mon jardin bien peu de fruits vermeils.

Voilà que j'ai touché l'automne des idées,
Et qu'il faut employer la pelle et les râteaux
Pour rassembler à neuf les terres inondées,
Où l'eau creuse des trous grands comme des tombeaux.

Et qui sait si les fleurs nouvelles que je rêve
Trouveront dans ce sol lavé comme une grève
Le mystique aliment qui ferait leur vigueur?

— Ô douleur! ô douleur! Le Temps mange la vie,
Et l'obscur Ennemi qui nous ronge le coeur
Du sang que nous perdons croît et se fortifie!

私の青春は ただまっくらな嵐ばかりで、
ところどころに輝く日差しが落ちたに過ぎない。
雷と雨とがあまりにも荒れ狂ったので、
私の庭には赤い木の三もろくに残っていない。

そしていま 私も思念の秋にさしかかり、
シャベルや熊手をつかわなければならなくなった
洪水にさらわれた地面をもう一度ならしたいのだが、
墓のように大きな穴がいくつも水にえぐられている。

それにしても誰が知ろう 私の夢見る新しい花々は
河原のように洗い流されたこの土地に
滋養となる神秘の糧を見出すことができるかどうか?

──おお苦しみよ!苦しみよ!「時」がいのちを食らい、
私の心臓をかじる不気味な「敵」が
私たちの失う血を吸って育ち 肥え太る!

『敵』シャルル・ボードレール

サーバの詩におけるカンタビリタ

若い頃、船乗りだったサーバはいつも魂を漂泊の状態に置こうとしていたようだ。その特徴がよく表れている『ユリシーズ』という詩を須賀さんが紹介されていた。

若いころ おれは ダルマチアの
沿岸で 海を渡った。波がしらに
小さな島々が 見えかくれして まれに
鳥が一羽 獲物を狙って羽根を休めた。
藻に被われた 島々は ぬるぬるして
エメラルドのように 太陽に燦いた。満ち潮と
夜が すべてを消し去ると 風下の
帆は その陰険な陥し穴を避け
はるか沖合に はためいた。 今日
おれの王国は あの NO MAN'S LAND. 港は
他人のために 灯りをともし まだ 意地をはる
精神と 傷だらけの人生への いとしい執着が
おれを 沖へと 突き返す

『ユリシーズ』 ウンベルト・サーバ
訳 須賀敦子
『須賀敦子全集第六巻』 p147

力強く純朴でたくましいサーバの歌いあげるような詩である。
けれども、「モンターレのムジカリタ(音楽性)の前ではどうしても色あせてしまう」ようだ。

エウジェニオ・モンターレ

サーバより一〇歳年下のモンターレはジェノヴァの裕福な家庭で生まれた。
オペラ歌手をめざし、声楽を学んだり、英語、スペイン語、ドイツ語などを独学でマスターした。

Meriggiare pallido e assorto
presso un rovente muro d’orto,
ascoltare tra i pruni e gli sterpi
schiocchi di merli, frusci di serpi.

Nelle crepe del suolo o su la veccia
spiar le file di rosse formiche
ch’ora si rompono ed ora s’intrecciano
a sommo di minuscole biche.

Osservare tra frondi il palpitare
lontano di scaglie di mare
m entre si levano tremuli scricchi
di cicale dai calvi picchi.

E andando nel sole che abbaglia
sentire con triste meraviglia
com’è tutta la vita e il suo travaglio
in questo seguitare una muraglia
che ha in cima cocci aguzzi di bottiglia.

昼さがりの野菜畑の灼けつく塀のほとりで
青白く呆けて 時の逝くのにまかせる。
すももやいばらの茂みで つぐみが舌打ちし
蛇がかさこそと音たてるのを ただ聞いている。

ひび割れた地面に カラスエンドウの上に
赤茶けた蟻の列が連なり
ほんのわずかな 土の起伏にも ふとくずれ去り
また もつれ合うのを うかがっている。

深く茂った枝の間から ずっと遠くに
海のうろこが動悸うつのを じっとみていると
禿げた岩山の頂きから
おぼつかない蟬の 軋めきが立ち昇る。

眩しい太陽の光のなかを行くと
悲しい驚きに 襲われ
生命と そのつらい営みのすべてを感じとる。
尖った壜のかけらを埋めこんだ この石垣の道を辿る間に。

『鳥賊の骨』エウジェニオ・モンターレ
訳 須賀敦子
『須賀敦子全集第六巻』p157-158

カンタービレを独特の音楽性で打ち破るかのような激しいリズム感や力を抜いた時に開花した精神のようなモンターレの詩が素敵だ。
その解説を丁寧にされる須賀さんの肉声を聴いているようだった。

前篇後篇の二部からなる長編詩「ドオラ・マルクス」は戦争をはさんで十年の歳月が流れているそうだ。 内側と外側から彫り上げた彫刻のようなこの詩と同じ技法で編まれた「アミアータからの便り」を日本語に訳して紹介もされている。 「アミアータ」のなかのハリネズミをダンテ『神曲』ウェルギリウスのような役目と見立てる研究者もいるようである。ダンテの伝統につながる、イタリア詩の最高峰をきわめた詩人といわれるモンターレ。
傑作のひとつ『鰻』も素晴らしく美しい。

L’anguilla
Eugenio Montale

L’anguilla, la sirena
dei mari freddi che lascia il Baltico
per giungere ai nostri mari,
ai nostri estuari, ai fiumi
che risale in profondo, sotto la piena avversa,
di ramo in ramo e poi
di capello in capello, assottigliati,
sempre più addentro, sempre più nel cuore
del macigno, filtrando
tra gorielli di melma finché un giorno
una luce scoccata dai castagni
ne accende il guizzo in pozze d’acquamorta,
nei fossi che declinano
dai balzi d’Appennino alla Romagna;
l’anguilla, torcia, frusta,
freccia d’Amore in terra
che solo i nostri botri o i disseccati
ruscelli pirenaici riconducono
a paradisi di fecondazione;
l’anima verde che cerca
vita là dove solo
morde l’arsura e la desolazione,
la scintilla che dice
tutto comincia quando tutto pare
incarbonirsi, bronco seppellito;
l’iride breve, gemella
di quella che incastonano i tuoi cigli
e fai brillare intatta in mezzo ai figli
dell’uomo, immersi nel tuo fango, puoi tu
non crederla sorella?

L’anguilla di Eugenio Montale

ある散文詩の季節 ウンガレッティの場合

ウンガレッティの有名な二行詩『永遠』は俳句的なものを感じる。

Eterno
Giuseppe Ungaretti

Tra un fiore colto e l'altro donato
l'inesprimibile nulla

摘みとった 花 と もらった 花 のあいだには
えもいわれぬ 無 が

『永遠』 ジョゼッペ・ウンガレッティ
訳 須賀敦子

古今和歌集から、詠み人不明の和歌を置いておく。

君の世は かぎりもあらじ 長浜の 
真砂のかずは よみつくすとも

『古今和歌集』 詠み人不明
1085番

ウンガレッティの『通夜』が好きだ。


どうしてだろうか、彼の詩は戦争を強く感じる。
平和であることに胡座をかき自己中心性ばかり目立ち傲慢になると、「自己中心性」を「孤高」としかねず、ともすると、愛する力を見失うかもしれない。

ウンガレッティの詩の系譜

『時の感覚』を書いていた際 ヤコポーネ、ダンテらの詩を読み返していたウンガレッティ。 ウンガレッティはこの辺りから、魂と時間概念が人間の本質だと感じたようだ。(*3
マラルメやヴァレリーらは精神の飛翔をし続けていたが、ここで詩法において、ウンガレッティはマラルメの詩法と決別した、と須賀さんは考察されている。

須賀敦子さんのダンテ理解の深さも伝わる現代詩論。
自然と書写していた。

「もっともマラルメに接近した時期に技術的にも内容の面からもマラルメの芸術の影を濃くやどしている」と須賀敦子さんが評する、ウンガレッティ『時の感覚』に収められた『島』が須賀敦子さんの訳と相まって素敵だと思った。

A una proda ove sera era perenne
Di anziane selve assorte, scese,
E s’inoltrò
E lo richiamò rumore di penne
Ch’erasi sciolto dallo stridulo
Batticuore dell’acqua torrida,
E una larva (languiva
E rifioriva) vide;
Ritornato a salire vide

Ch’era una ninfa e dormiva
Ritta abbracciata ad un olmo.
In sé da simulacro a fiamma vera
Errando, giunse a un prato ove
L’ombra negli occhi s’addensava
Delle vergini come<
Sera appiè degli ulivi;<
Distillavano i rami
Una pioggia pigra di dardi,
Qua pecore s’erano appisolate
Sotto il liscio tepore,
Altre brucavano
La coltre luminosa;
Le mani del pastore erano un vetro<
Levigato da fioca febbre.

永劫の夕暮に包まれた恍惚の
古代の森林の岸辺に[彼は]降りた。
そぞろ歩を進め
灼熱の水の軋めく
心のときめきから解放された
羽の響きが彼をふりかえらせた。
亡霊を見た(衰えはてるかとみれば
ふたたび生気をとりもどしていた)
寄り道にまたさしかかり、見ると
それはニンフであった──眠っていた
直立し、楡の木を抱いて。

心の真の炎のまぼろしに似て
とまどうままに草場に到った。
そこで乙女らの眼の翳りは
橄欖のもとに匍い寄る夕闇のように
深い色を帯びるのであった。
條々は緩慢な矢の雨を滴らせ
ここでは羊たちが微睡む
なめらかな微温に包まれて。
他の群れは煌めくしとねを
はんでいた。
牧人の手は仄かな熱に
磨きぬかれた玻璃であった。

『島』 ジョゼッペ・ウンガレッティ
訳 須賀敦子
須賀敦子全集第六巻 p195-198

「集」としての「カンツォニエーレ」 ウンベルト・サバの場合

中世の詩人ペトラルカの『カンツォニエーレ』──誠実にペトラルカが愛し実らなかった人妻ラウラへの愛を抒情詩として残した。 この詩集は体系的な構造を持って編集されている。
文学界では一般的に「カンツォニエーレ」というと、ペトラルカの『カンツォニエーレ』を指し示していたようだ。 サバはペトラルカにならって、詩集『カンツォニエーレ1919』、『カンツォニエーレ1921』、『カンツォニエーレ1945』、『カンツォニエーレ1961』を増補推敲し改訂していく形で残した。
初期のサバは時流に乗らないから理解してもらえない詩人、と評されサバ自身そう思っていたのかもしれない。 研究者ジョルダーノ・カステッラーニがサバの初期作品や『カンツォニエーレ1921』などを研究し、それらによってなぜサバが初期に理解されなかったかをサバ自身に立ち返した。
須賀敦子さんは、小論『「集」としての「カンツォニエーレ」 ウンベルト・サバの場合』にて、カステッラーニの研究から出発しサバがどのようにして、のちの『カンツォニエーレ1945』へとサバが成長したのか、サバ自身どのようにカンツォニエーレを理解していったのかを研究し最終的に『カンツォニエーレ1945』が抒情に物語の構造が与えられ小説的な性格を持つに至ったと締め括っていた。

※ただし、サバは二流からスタートしたのではなく、非凡な才能は常に初期作品からあったのは周知のとおりである。

サバは基本的に、日常的な背景のなかに、古典的メタファーに依存せず主人公をごく普通の人間像を誠実に投影するリアリスムスタイルでもある。
このロマン主義的「誠実な告白」というレトリックは古くはルソーらが用いているが、それがリアリスムへと発展したようだ。

初期の『カンツォニエーレ1921』では、「リアリスムが主観的な要素に支配されすぎて、「集」としても、個々の作品としても、文学としての暗喩性に欠けている」と須賀さんは指摘している。(*4

傑作となる『カンツォニエーレ1945』では1921から詩集の虚構化にともなって多くの作品が整理ではなく必然的に淘汰された。(*6

両者の差異は「集」としての《虚構化》であろう。

僕は、この「集」としての《虚構化》はヤスパースの《交わり》や一種のサルトル的《二重の受肉》に近しいものを感じる。
「対自によって存在される偶然性」つまり対自の超越とそれがもたらす手段としての「参照の中心」(*7 という関係を「集」のなかの個々の詩が互いにコミットメントしあい織りなしているように思う。

他者のまなざしは、私に空間性をあたえる。「まなざしを向けられているもの」として自己をとらえることは、「空間化される─空間化するもの」として自己をとらえることである。
 けれども、他者のまなざしは、ただ、単に、「空間化するもの」としてとらえられるばかりでなく、「時間化するもの」でもある。
中略
私は、この超越 [他者] を世界のうちに捉えるのであり、しかも 根源的に、《私》の世界に属する道具・事物のある一つの配置として 捉えるのだが、それは、それらの道具・事物が、さらにその上、 世界のただなかに存在する一つの二次的な参照の中心、私ではない参照の中心を指示するかぎりにおいてである。

『存在と無』
ジャン=ポール・サルトル
河出書房

サルトルを受容体としたサバ論はまた別の機会に掘り下げてみたい。
このように、僕はサバは見事に人間の実存を詩というかたちで描き切った詩人でもあると感じた。

「作家」は自分のことではなく世界について書くから歳を重ねることで熟するが、詩人や音楽家は早期から才能が圧倒的に開花する。そのためヤナーチェクのように大器晩成の音楽家は珍しいといった主旨のことをミラン・クンデラとトマーシュ・セドラーチェクが語り合っている。(*5 誰にでも一見するとわかりやすい言葉で日常を普遍的言葉にし、そこに横たわる土地の歴史を結晶化し独自の詩学を結実したかのようなサバ。彼はそうした点において、少しヤナーチェクみたいだな、と思った。

僕にとって、ヤナーチェクを聴いていると、ヤナーチェクの音楽性はモラヴィア民謡の持つメランコリックな側面が根底にあるのを感じる。

一方で、サバの作品を読むと彼の詩学の持つ音楽性がメランコリックとは一定以上の距離があるように感じる。
両者の《音楽性》の決定的に異なる点のようにも思える。

自身にとって最初の価値ある小説となる『ボヴァリー夫人』を脱稿しつつある頃のフローベールは、すでに三六になっています。ヘルマン・ブロッホが最初の大河小説を書くのは、四十を過ぎてからのことです。これよりも若い年代で傑作を書くことなど、小説家の場合だと起こり得ません。と言うのも、小説家が書くのは自分自身についてではなく、世界や人物についてだからです。こうしたことを行うのに必要となってくるのは、外界との接触です。そして、これを行うには、ある一定の年月が必要となってきます。  ですが、アルテュール・ランボーが詩を書いているのは、二十歳になるにはまだほど遠い頃のことですし、のちには詩を書くのをやめてしまいます。この意味においては、作曲家は小説家よりもむしろ抒情詩人に似ています。モーツァルトが天才的な音楽を書くのは、まだ子供の頃のことです。大作曲家が自力で自身のことや自身の個性などを見出すのは、比較的早い時期のことです。この点からすると、ヤナーチェクの成長ぶりは例外的なものですし、セドラーチェクさんの言葉を借りるとすれば、にわかに信じ難いまでにゆっくりとしたものです。

『にわかに信じ難い運命』
ミラン・クンデラ+トマーシュ・セドラーチェク
『アステイオン 86 【特集】権力としての民意』公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会著

クンデラとセドラーチェクの対談は「ヤナーチェクの作品受容を通して、政治的・経済的・文化的な観点から「周縁」と位置付けられた地域を出自とする芸術家とその作品が直面する問題が語られている」(*8
サバの詩学が持つ音楽性において、スラヴとユダヤという、ふたつの民族性を持つことからもどこか深いサバの無意識(宗教や家族)の中でも、このことが当てはまることではないだろうか?

おわりに

須賀敦子さんのダンテ理解の深さも伝わる現代詩論───イタリア現代詩人たちの代表的な詩人たち、ウンガレッティ、サバ、モンターレ。僕には数ページがとても難しい。 須賀さんは詩人たちの時代背景と彼らの中心をグッと掴み、それを端的に優しい言葉で書いてくださっている。それが読み手に伝わり、応えないと、と思わされる。
須賀さんの歩いたイタリアを旅したいなぁと思った。

彼らの詩を読んでいて、僕は個人的にサンボリズム(象徴主義)が好きなことを再認識させられた。
それでも、とりとめのない日常が普遍性を保ち力強くその尊さを謳った《ふたつの世界の書店主》ウンベルト・サバも好きだ。

詩学の奥深さは長い歴史とそこにたゆたうひとびとの日常の物語が虚構化され、そしてそれらが言葉の結晶として再現前化され、存在するところにあるのかもしれない。

最後に、フェリーニの『道』の音楽を聴きながら、僕の好きなサバの詩を紹介してこの投稿を締めくくりたい。

丘まで、あるいは、海岸通りに、
うつくしい夕方、ふたりで
散歩にでかけると、みなの目には、ぼくらの
絆は、ごくむつまじくうつるのだ。
多くの血であがない、多くの
変則な歓びも訪れる、ふたりの暮しだが、
連中の気に障るなにもない。
ふたりは、みなに優しいし、おだやかな
市民だし、目ざすのはいいぶどう酒一杯。
ただ胸中には金切り声がひびき、
旗が風にはげしくはためく。

祭日には、ぼくが人気ない街はずれを選ぶのが、
少々、奇妙なくらいで、あとは
レストランの庭で夕食をとる、
まったくふつうのふたりにすぎない。
もう自由をなつかしんでる夫と、
焼きもちをやいている妻と。
他の人たちとはっきり違う点など、
友よ、ほとんどないのさ。

芸術と愛という
逆なふたつの運命をこころに
秘めたぼくたちだが。

『ある散歩のあとで』ウンベルト・サバ
訳 須賀敦子
『ウンベルト・サバ詩集』みすず書房 p63

註釈

1 『須賀敦子全集第六巻』 p186
2 『須賀敦子全集第六巻』 p141
3 『須賀敦子全集第六巻』p220
4 『須賀敦子全集第六巻』p235
5 『須賀敦子全集第六巻』p266
6 『アステイオン 86 【特集】権力としての民意』公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会著
7 『存在と無』ジャン=ポール・サルトル 河出書房 p143からの対他存在の考察を参照
8 『アステイオン 86 【特集】権力としての民意』公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会著



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