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君が好き

サルトル先生とシモーヌシリーズ
君が好き編
この物語はフィクションでありノンフィクション。

これは3月のちょうど今頃の話。

「しょうちゃんがさ、」
 唐突に真夜中に鳴り響くLINEの相手はシモーヌ仮称だった。2ヶ月以上ぶりの電話。
シモーヌと僕は遠距離恋愛の真っ只中で冷却期間中だった。僕は25、シモーヌは22になっていた。
 僕はシモーヌの底抜けの裏表のない純真さと残酷なほど自身の感情に素直で、時にはそれ故に生きにくくしていたが、感情表現豊かな彼女を心の底から愛している。僕も感情表現は豊かだが、15で社会に出て、純真さなんて、なりを潜めたし、感情を押し殺して現実的な考えに従うようになっていた。僕とは真逆に、自分を犠牲にした優しさを優先して、他人の根底には善しかない、そんな世間知らずな考え方しか彼女は持ち合わせていなかった。そんな彼女に僕はいつも「優しくしていい相手かどうか見極められへんのやったら、ほっとけや、メリットなんも無いどころかデメリットしかない」とかシモーヌの底抜けの純粋さを無視して上から目線で言うことが多かった。

「どしたん?」
その前に、お前、言う事あるやろがい。久々すぎるし、大体、しょうちゃんって誰?
こいつなんで泣いてんの。
また都合良く俺のこと頼ってんの?
色んな葛藤が脳裏に浮かぶけれど、全て押し殺して、僕は彼女の話を聞くことにした。

「ごめんね、サルトル、寝てたよね。」
寝てた。確かに。午前2時だ。
僕は大工で肉体的にもかなりハードだし頭もそれなりに使う。
だから、かなりの疲労で、寝てた。

「気にせんでええよ。何で泣いとるん?なんかあったん?」
「しょうちゃんが冷たくてさ、しょうちゃんってのは、ただの知り合いなんだけどさ。」
「なら、放っておいたらええやんけ。何でそんな泣いとるん?放っておけんの?」
「うん。」
「そいつのこと、好きなんちゃうん?」
 しばらく、沈黙が続いた。正直言って、僕は苦しかった。他の知らない男を好きかもしれないシモーヌ。その真意を聞きたくなんかなかった。僕のことだけを考えていて欲しかったし、昔のように、僕のことだけを見ていて欲しかった。だから、好きなのかどうかって言葉を口に出しながらとても苦しかった。カナのときのことを不意に思い出した。夏場で連絡するのもしんどくてカナを放ったらかしにしていて久しぶりに会ったら既に新しい彼氏とくっついていた。そのことがどうってわけではなくて、シモーヌが僕以外の誰か知らない奴のことで泣いてる、その事実が僕は腹立たしくて、僕が何をしてきたかなんてこれっぽっちも考える余裕は無くなっていた。

「そうかもしれない。消えたい。ごめんなさい。消えたい、サルトル。」

 僕は彼女に一年近く前にプロポーズしていたし、婚約指輪も受け取ってくれた。だからという訳では断じてないけれども、僕は、彼女が僕以外の男の名前を出すなんて信じられなかったし、受け入れがたかった。僕とシモーヌは幼なじみで彼女と2年ほど前に地元で再会し、付き会い始めた。どうでも良いことだが、カナのことだとか出会いと再会はインスタのサルトル先生とシモーヌ本編を辛抱強く読んでくれたら理解できるかもしれない。

「ほならさ、俺、今日、仕事終わったら、すぐ鎌倉行くけん。話も聞くから、まっとって。待てる?」
「むり」
「朝まであと数時間やから、目瞑って、俺のこと、待っとってよ。しょうちゃんやなくて。俺、絶対、今日、お前の家の前来るから、仕事終わったら車で。寝れそう?寝れん?」
そんなやりとりをしているうちに、彼女は泣き止み、電話越しに寝息が聞こえていた。
僕はシモーヌが本当に消えてしまうのではないかと思い、通話を切らずそのままにして、再び寝た。

 翌朝、LINEの通話は切られており、『心配しないで、』とメッセージが残っていた。
僕は棟梁の叔父にかなり手短に結婚したい幼なじみの彼女がいること、彼女はまだ大学に通っていて実家鎌倉にいること、少し情緒不安定になっており、2、3日休みを貰って鎌倉へ戻りたいことを話した。叔父は仕事に関してはかなり厳しく、そんなプライベートの事で休みをくれるような人間ではないことなど10年も彼の下で見習いさせてもらっていたら分かりきっていた。それでも僕は正直に話した。
「まあ、振られんなや?とりあえず、今日4時に上がって鎌倉いきーや」
僕の予想を裏切って叔父はそう言うと、5万円の入った茶封筒を僕に渡した。
「なんか旨いもんでも、食わしたりーな?」

 そうして、よく晴れた春の霞がかった夕焼け色の神戸を出る。僕は先輩から安く譲って貰った古臭いスープラのエンジンを夕方5時前にかけて、鎌倉へと走らせた。車の中でずっと僕はATSUSHIのあなたを守るためにとか、クリスハートのアイラブユーとか、MISIAの逢いたくていまとか、心之助の507とか、いかにもなラブソングたちをかけ続けた。そうでもしないと、他の男の名前を出したシモーヌを怒りに任せて傷つけてしまいたくなりそうだったからだ。大体、しょうちゃんって誰やねん。

 東名高速の御殿場ICあたりでシモーヌにあと1時間くらいで着くからとか、メッセージを送った。

 シモーヌには去年の春、婚約指輪を渡してあった。とても無邪気で屈託のない笑顔を振り撒き、僕に心からありがとうと言いながら、受け取ってくれた。けれども、去年の夏あたりから、僕とあからさまに距離を置きたがった。僕は、別れたいのか?と何度か尋ねた。その度に、違うと言われた。僕のメッセージに既読がつくのは1週間後ならまだマシなレベルにまでなっていた。一級建築士に一発で受かったときも、一番にシモーヌにLINEした。繋がらないのは知っていた。けれども僕は嬉しい気持ちを彼女に一番先に伝えたかった。彼女は西麻布で遊んでるからあとでかけ直すとか言って、そのまんま年末まで連絡はなかった。年末、実家へ戻った時、いつ婚姻届を出すかとか切り出した。適当にはぐらかされた。正月明けに神戸へ戻ってから、シモーヌからは一度も連絡してこなかった。僕は、ひたすら我慢した。

 鎌倉へ近づいてくるほどに、僕のシモーヌに対する僕を都合の良いように扱ってきたことへの怒りが、コントロール不能になる程に膨れ上がっていく。

シモーヌの家の前に着いたのは真夜中だったと思う。
庭の前でLINEをかけた。
「着いたで、出て来れる?」

 僕は、まだ怒りを収められないでいた。どうやってその鬱憤を晴らしてやろうかとか、問いただしたいだとか、とにかく、コントロール不能だった。外の空気を吸いたくて、車のエンジンを切り、シモーヌの庭のベンチに腰掛けた。10分くらい、空を見上げながら待っていたと思う。ぼんやり見上げていた空には星々が散りばめられていて、みんなそれぞれに素敵に囁きあっているように見えた。

 唐突にその視界が真っ黒くて暖かい何かに変わった。シモーヌが頭を擦り付けて来ていた。
「本当に来てくれるなんて思わなかった。」

怒りと憤りにまみれていたはずの僕は、簡単に消え去ってしまった。僕はシモーヌが大好きだから彼女の前では単細胞丸出しでしか居られなかった。

「俺、鎌倉戻るわ。来週には絶対戻る。」

 彼女の丸いおでこを撫でて化粧っ気のない顔を両手で挟んでまっすぐ僕に向けさせた。子どもの頃、泣いていたシモーヌと何一つ変わらない。僕はシモーヌをひとりぼっちになんかしちゃいけなかったんだ。しょうちゃんなんてどうでもいい。見ず知らずのやつだ。聞けばシモーヌは一度も会ったことすらない奴だった。

 そんな奴に僕は簡単に嫉妬して、彼女に対してコントロール不能なまでの怒りの感情を膨らませていたんだと知り、全てどうでも良くなった。

「何処にも行かないで」

 そう言うとシモーヌはずっと泣きじゃくっていた。僕もずっと泣いた。カーゴパンツのポケットに突っ込んであった叔父に貰った5万円を思い出した。
「シモーヌちゃん、俺と豪遊しよや」
そう言って僕はシモーヌと辻堂手前の江ノ島の見えるラブホに車を走らせて、車の中でもずっと浮かれて、はしゃいだ。助手席に僕の愛するシモーヌがいる。数ヶ月ぶりの大好きな女の子と一緒にシャワーを浴びて身体を洗ってあげた。ジャグジーで二人でふざけ合った。シモーヌがボディソープを全部浴槽に入れて泡が溢れかえっていた。そのまま泡の中でやって、上がってからベッドでまたやって僕は死ぬほどシモーヌを一日中抱いた。シモーヌは僕のすべてだ。翌日の夕方アマルフィだかアマルフィフィとかの名前の実家近所にある小洒落たカフェレストランにいた。しょうちゃんのことは、聞かなかった。
 2日後、神戸へ戻る日がやってきた。神戸へ帰る前に鎌倉市役所へ寄った。婚姻届を貰って僕らはそこに書き込んだ。
「シモーヌちゃんに預けとく。俺が帰ってきて、色んな心の整理できたらそれ出そうや。」
シモーヌが僕の左側のピアスに安全ピンをつけてくれた。

 それから数日して、僕は神戸から鎌倉へ戻ってきていた。僕は思い切って聞いた。
「しょうちゃんって誰よ?」
「これ。」
彼女はそう言いながらiPhoneを取り出して僕の耳にイヤホンを突っ込んだ。

ハイトーンでハスキーな歌声が広がってくる。
「君が好き」
清水翔太

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