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リンゴ・スターが語るビートルズの不和とマッカートニーのワーカーホリック


今回の記事は以下youtube動画[Ringo Talks About How The Beatles Didn't Get Along]と記事を参考にして制作させて頂きました。

はじめに

20世紀を代表するロックバンド、ビートルズ。1960年代に音楽シーンを席巻し、今なお世界中で愛され続けています。彼らの音楽は時代や世代を超えて多くの人々の心を揺さぶり続けていますが、その活動期間中にはメンバー間の不和もあったと言われています。一体、その実態とは?そしてバンドを支えたポール・マッカートニーの"ワーカーホリック"的な一面とは?今回は、ドラマー、リンゴ・スターのインタビューを通じて、ビートルズの知られざる一面に迫ってみます。

ビートルズ時代:不和と絆のはざまで

リンゴ・スターは、ビートルズ内の人間関係と時折の意見の相違について赤裸々に語ってくれました。「僕たち4人の間では口論もあったよ。でも、それが音楽の邪魔になることは決してなかった。どんなにひどい口論でも、レコーディングが始まれば、みんな最善を尽くしていたんだ」と、彼は当時を振り返ります。

しかし、彼らの不和は、後期になるにつれて顕著になっていったようです。リンゴは、「突然、僕たちには私生活ができ、子供もできた。一生懸命にやっていたことが、少しずつ後回しになっていったんだ」と、メンバーの優先事項の変化を指摘しています。それでも、お互いに足元を見失わないようにするためにバンド仲間の存在が重要だったと、リンゴは強調します。

ポール・マッカートニー:バンドを牽引した原動力

そんな中、ポール・マッカートニーの存在は特筆に値します。リンゴは、ポールについて次のように語っています。「僕たちは今でもポールには感謝しているよ。彼はバンドの中でも特にワーカーホリックだった。ポールのおかげで、ジョンと俺が作ったであろうよりもずっと多くの曲を作ることができたんだ

「ポールが『さあ、みんな』と呼びかけると、僕たちはスタジオに入っていったんだ」と、リンゴは当時を鮮明に思い出します。ここで言う"ワーカーホリック"とは、仕事中毒者のことを指します。つまり、ポールは音楽制作に対して並々ならぬ情熱を持ち、バンドを牽引する存在だったのです。彼の貢献なくして、ビートルズの偉業は語れないでしょう。

リンゴ・スターの音楽人生:ビートルズからオールスターバンドへ

若い頃、リンゴはロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズを離れ、ビートルズに加入することを決意しました。「一人で練習するよりも、他のミュージシャンと一緒に学び、演奏することを好んでいたんだ」と、彼はその理由を説明します。

リンゴは、初期の音楽的影響について語り、ドラムだけでなく曲全体を総合的に聴いていたと述べました。彼はバンドの一員であることに愛着を持ち、そのアプローチはオールスターバンドでもメンバーを際立たせることに生かされています。

1989年、リンゴは初のオールスターバンドを結成。このバンドを通じて、彼は他のミュージシャンとコラボレーションし続ける情熱を示しています。10代の頃、最初にバンドを始めようとして失敗した笑い話を振り返りながら、リンゴは音楽の旅で得た教訓の大切さを語りました。

結び:ビートルズの遺産と私たちへのメッセージ

ビートルズは、4人のメンバーがそれぞれ個性的であったからこそ、時に衝突することもありました。しかし、音楽への情熱は共通していたのです。特にポール・マッカートニーの"ワーカーホリック"ぶりは、バンドの原動力となりました。

リンゴ・スターのインタビューは、彼の音楽人生、哲学、そして他のアーティストとコラボレーションし続ける情熱を如実に示しています。ビートルズ時代の貴重な洞察から、オールスターバンド結成に至るまでの彼の旅は、伝説のドラマー、リンゴ・スターの真髄を伝えてくれます。

彼らの音楽は、メンバー間の不和を乗り越えて生み出されたものです。だからこそ、今なお多くの人々の心を揺さぶり続けているのかもしれません。ビートルズの音楽から、私たちは情熱と、困難に立ち向かう強さを学ぶことができるでしょう。彼らの遺産は、単なる音楽にとどまらず、私たち一人一人の人生にも深く関わっているのです。

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