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明朗に輝くシャドウ

おはようございます!!! 書評行きます!!!

「ジム・モリスン詩集―『神』『新しい創造物』」
新宿書房、2005年出版 ジム・モリスン著 210P

(以下は読書メーターのアカウント https://bookmeter.com/users/49241 に書いたレビューです)

「神」の方がまだ散文的で理解が及ぶ。映画、視線、イメージに関する考察。「新しい創造物」はまるで骨組みだけの小説。秋の蚊に刺されたような痒みの続かぬ言葉が並ぶ。キーワードはソフトパレード。ハードボイルドでソフト。ハードなのはジム独りで他はゆるやかなつながり? 酔っていたのだろう。アルコールが彼を詩人に導いた側面と詩人から遠ざけたパーセンテージを比較したい。最近ドアーズの「ライダーズ・オン・ザ・ストーム」がよく頭に浮かぶ。あれも詞だけ読むとさわりだけの映画。何かが始まる予感で終わり永遠に生きる。惜しくて完璧。

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10年近く前に新宿の紀伊國屋書店で見つけて購入した一冊。棚下のストックに潜んでいました(勝手に開けていじると注意される可能性が高いです。並べる順番に意味を持たせている書店員もいるので。個人的には問題ないと思っていますが)。英語の原文もついている優れものです。

この本を読む限りでは、ジムの詩は「ドアーズ」の楽曲の詞とは些か趣が異なります。右脳と左脳の違いというか、特に「神」の方はより思索的で学者が研究ノートの隅に書き殴った思いつきのメモみたいです(実際「視覚についてのノート」という副題がついています)。「新しい創造物」はアルバムの最後を飾る「ジ・エンド」や「ソフト・パレード」などの世界観に近いような。

でも読み終えてみれば「ジムだな」と頷けます。明朗に輝くロックスターとして成功を収めたのが不思議なほどに物静かで陰鬱。だからこそジムなのです。むしろ表に出ているドアーズのヴォーカルとしての彼の方が心理学的な意味での「シャドウ」で、詩人としての彼から「おまえは俺じゃない!」とつねに糾弾されていた気がします。

ところで詩はやはり原文で読む方が味わい深いです。エッセンスと意味、意図は訳でも伝わるけど、音や押韻の美しさまではなかなか(そう考えると、シェイクスピア「マクベス」の「きれいは汚い、汚いはきれい」ってかなり奇跡的ですね)。訳をあらかじめ頭に入れてから原文に行くと内容理解に煩わされず、作品世界へスムーズに溶け込めます。

学生時代、ヘミングウェイ「老人と海」のペーパーバック版を読みました。いま思えばインテリぶった若気の至りでしたが、結果的に「名作文学を原文で読む」というミッションの入門編として最適でした。同じハードボイルドでもたとえばレイモンド・チャンドラーの長編はリーダビリティの高い春樹訳ですら緻密で込み入っていて、私には難しいです。あれを学生時代に原書で読み通した春樹氏の熱は尋常ではありません。その「好き」が高じて小説家及び翻訳者としての成功につながったのですから素晴らしい。

ところで春樹氏の場合、小説家と翻訳者、どちらの彼がより「シャドウ」に近いのでしょうか。普通に考えれば前者ですが「ロング・グッドバイ」や「グレート・ギャツビー」など特に思い入れの強そうな訳に触れると必ずしもそうではない気がします。どちらも私の好きな村上春樹ですけどね。




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