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ハードボイルド書店員日記⑪

吾輩は年賀状素材集である。完売したことはまだない。
そんな戯言を口にしたくなるほど毎年かなりの数が入荷する。欲しくもない書籍に限って大量に送られてくる謎の慣習は未だ健在だ。売れている本を頼んでもなかなか来ない。ようやく入荷しても十中八九減数されている。大型書店の注文が優先されるからだ。

私が先週頼んだブコウスキーの「町でいちばんの美女」と「パルプ」が入って来た。満数だった。涙が込み上げたぜベイビー。

年賀状は中学を卒業してから一度も出していない。中三の冬、右前の奴と好きなミュージシャンが一緒だとわかった。何となく年賀状を出した。返事は来なかった。三学期の初日に「あのさ」とそいつが気まずそうに近づいてきた。「いいよ。気にしてない」「じゃなくて、うちオヤジが死んだばかりだから」

私は来年の干支を知らない。ヘミングウェイの没後六十年。今年の干支も忘れた。三島の没後五十年。命日は今月二十五日だ。フェアの準備が始まる。問題がひとつ。私は文庫担当ではない。ブコウスキーの単発ならスルーされても、フェアの選書はさすがに。

だが黙っていると「午後の曳航」や「禁色」を外して「夏子の冒険」や「命売ります」を積みかねない。担当はそういう男だ。奴が「サガンの本どこ?」と年配のご婦人に訊かれて「鳥栖ですか?」と返したことは生涯忘れまい。あのとき覚えた見知らぬ感情に憐れみという重々しい、立派な名前をつけようか私は迷う。

「金閣寺」や「仮面の告白」はよもや外すまい。外したら本物の馬鹿だ。当確ラインの位置を頭の中で探り、端末から取次の注文サイトへ飛んだ。「宴のあと」のISBNをコピペした。選挙の話だからタイミング的にも悪くない。

「いま三島の文庫注文した? 勝手なことすんなよ。俺のフェアなんだから」奴が後ろで見ていた。「『宴のあと』ならタイミング的にいいかなって」「はあ? 売れない売れないそんなマイナー本」法学部生なら誰でも知っている裁判にまでなった作品をマイナーとは。「じゃあ何を積む?」奴はジェイ・ギャツビーと対峙するトム・ブキャナンの表情を浮かべ、ふんっと鼻マスクから息を出した。「『夏子の冒険』だよ。あれは読み易かった。夏子かわいいし」

私は嘘つきだ。自白できる程度に正直者。ゆえに問わずにいられない。「三島由紀夫はお好き?」

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