横須賀、忘れられた天空の城
学生の頃、「土地と素直につながる建築」という主題を掲げていた。
生まれは愛知の田園地帯、見渡す限りの田んぼとカエルの鳴き声、巨大な高速道路の街灯はどこかノスタルジーを感じさせる橙色だった。
アルゼンチンエビの話で出てきた友人と自転車であぜ道を走り回り、車のない道路を見つけては、アスファルトの上にねころがる。
まわりに何もなく、空が綺麗に見える場所を「ソラスポット」という名を付けては巡っていたのは、今考えると少し恥ずかしい気もする。
しかし、そんな青臭い思い出が研究テーマの根幹へと繋がっているのだ。
宿命の地・横須賀 田浦月見台住宅
そんな事を考えていると、学生時代になんども自分の非力さを思い知らされた、因縁の地が思い出される。
どれほどの因縁かというと、マサラタウンのサトシに対するシゲル、桜木花道に対する流川、デクと爆轟くらいの感じである。
その場所は、神奈川県横須賀市。
高台の上にある、田浦月見台住宅という場所だ。
横須賀海軍基地の特需によって、50年以上に強引に建てられた公営住宅。
当初、長浦湾を見下ろす砲台付き兵舎として整備され、戦後には人口爆発によって公営住宅として再利用、現在は高齢の居住者が数人、老朽化による廃止が決まっている。
土地の人はその場所を「城の台(しろんだ)」と呼ぶ。
江戸から下田まで伸びる浦賀道が目と鼻の先、台地の麓には宿場街があり、以前は鎌倉幕府の家臣の屋敷が建てられた場所だった。
芥川龍之介の「蜜柑」
芥川龍之介作・「蜜柑」という作品をご存じだろうか。
東京へと向かう汽車の中で、機嫌の悪い作者が蜜柑を持った少女と相席になるひとときを描写した短い話だ。
その中で描写された、印象的なワンシーン。
少女が車窓を開け放ち、車外へと蜜柑を投げる。
舞台は、月見台住宅の最寄り「京急田浦駅」と言われている。
少女はみすぼらしい格好で東京へと出稼ぎに向かう。
汽車の排煙も意に介さず、故郷に残された兄弟たちへ、車窓を開け、蜜柑を放る。
蜜柑が中に舞うその光景はまたたく間に後ろへと流されていく。
しかしその一瞬に、土地と少女との背景を見てとった筆者は、自分が機嫌を損ねていたことを忘れてしまうのだった。
わたしはこの作品がとても好きで、この地に訪れるたびに思い出し、目に見えない時代の質感を感じていました。
値はつかない、でも共有したい
廃墟マニアの内では知られているそうだが、建築屋としてこの場所に執着している人間はほとんど居ないだろう。
ただでさえ横須賀市は日本有数の人口減少地域、役所に問い合わせても、月見台住宅跡地利用の計画は何年も未定のままだ。
都心から最寄り駅までも時間がかかるし、駅を出た後も、坂を登り入り組んだ階段を抜けてやっと到達できる。
たどり着くだけでやっとな場所で、よく高齢者の方も生きているなと感心してしまう。
そんなところだれも見向きもしないだろう、ましてや不動産価値なんてつくわけがないのは明らかだ。
だけど間違いなくそこにしかないものがあると感じざるを得ない。
夕日に照らされる谷肌の緑が、知るはずのない穏やかな日本の里山の面影を垣間見せてくれる。
眼前には横須賀湾が立ち上がり、行き交う船が空に浮かんでいるようだ。
月見台の名の通り、星との距離は限りなく近く、じっと覗き込んでいると身も心も夜空に吸い込まれていく。
こうした魅力には、だれが値をつけられるのか。
だれが価値を見いだし、共有できるカタチを与えられるだろう。
モノの世界とイメージの世界
子供の頃からの夢だった建築家になれば、それができると思っていた。
京都の舟屋で暮らしていたときに聞いた、入り江と漁村の共生の歴史*
香川の巨大構造物の中で迷子になり遭遇した、持続可能な理想郷の伝説*
横浜で巨大な擁壁に対峙して感じた、都市の中で息づく原始的なくらし*
注意さえしていれば、日々の生活の中に目には見えない大きなものがたくさん潜んでいることがわかる。
そいつらは、形のあるモノの世界と形のないイメージの世界の間に、たしかに存在しているように思えてならない。
一方、自分自身はモノの世界からは出られない。
イメージの世界の方ばかり向いていると、呼んでもないのに、いろいろな苦しみがやってくる。
ものを食わねば生きていけないし、服を着るにも、家に住むにも、だれかと心地よく一緒にいることすらお金がいる。
仏教ではこの世に生きるすべてのものが苦を背負うと言われているそうだが、この世に存在するためには何かを捧げる必要があるということだろうかなんて考えが頭の中に渦向く。
お腹でも空いてるのだろう、記事を書いたらおやつでも作ろうと思う。
話がだいぶずれてしまったが、昨年耳にした少し嬉しいニュースを紹介して終わろう。
月見台住宅の最寄り、田浦駅前で大規模なニュータウン計画が再び始動したらしい。テレワーク時代の到来のおかげだろうか。
不動産会社の倒産によって十年以上も止まっていたプロジェクトが息を吹き返し、多くの住戸のほか、保育園や公園なども併設されるという。
嬉しい反面、置いてきぼりにされているような気もする。
インディーズの頃から応援してきたファンのような気分か、しかし、まだ月見台住宅は触れられそうにない。
どうすればよいかはわからないが、なにくそ、もう少しあがいて見よう。
この長い文章をここまで呼んでくれたあなた。きっとわたしと同じようなことを思っていると思うので、お互い支え合ってモノとイメージの間の世界を生きていこう。
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