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トラクターとおちょこ

視察の思い出:いわき市四家酒蔵と「ヨクガタリ」

大妖怪?ヨクガタリ

「ヨクガタリ」という言葉を知っているでしょうか。

音だけ聞くと、妖怪や、討伐系ゲームのボス名のように聞こえますね。

今回は、この「ヨクガタリ」との出会いについて書いてみようと思います。

酒蔵視察/いわき

手前味噌ですが、わたしはライフワークで「Firsthand」という組織を運営しております。

「Firsthand」では、旅を通じてメディアを作る、アウトプット型のツアーを企画しています。(詳細はまた別の記事で書こうと思っています。)

今回はその視察ということで、福島県いわき市にある四家酒蔵さんにお邪魔させていただきました。

四家(シケ)酒蔵

1845年に始まり、現在7代目の蔵主がいらっしゃる四家(シケ)酒蔵。(https://masmas-fukushima.com/archives/1771)

いわき市には四家酒蔵という名の蔵が2つあるのだそうです。

今回訪れた蔵の呼び名は”シケ”酒蔵ですが、もう一つの方は海寄りに位置しており、”シケ”だと縁起が悪いということで”シカ”酒蔵と呼ぶのだそうです。

蔵主の方は、とても腰の低い謙虚な方で、わたしの大量な質問の一つ一つにも丁寧に答えてくれました。

人間アウェイ、酒蔵は託児所?

都市化がこんなにも進む以前のお話。

農家さんたちは、農作業を終えた冬の間それぞれが副業を持っていました。

酒を仕込む杜氏さんたちもその一つ、様々な地域に酒造りの技を磨いた集団がいたそうです。

岩手県石鳥谷町を拠点とする南部杜氏と呼ばれる方々が有名ですね。

見せていただいた酒蔵には、彼らが寝泊まりしたり、休憩したりする部屋が各所に設けられています。

しかし、蔵の中で最も堅牢に設えられていつのは、麹の寝床、蒸した米が安置されている部屋でした。

それと比べれば、人が使う部屋は至って簡素、麹ファーストの世界。

米の様子がすぐ見れるよう杜氏の待機室が隣接していて、もはや、金庫番ならぬ、菌庫番ですね。

作業は朝食前の朝6時に始まり、夜の8時まで続くそう。人間の都合というのは立たず、菌の調子によって常に変わるそうです。

その話を伺っている途中、わたしは、幼い頃、妹の世話で四苦八苦していた両親を思いだしていました。とても大変そうです。

人目線だと、寒くてくらい酒蔵も、菌にとっては賑やかな託児所みたいなものかもしれません。

調理器具の母と農具の父

そのあと蔵主さんが持ってきたのは、何十年も昔に間伐材を利用して作られた2~3mほどの長い棒。

これが「ヨクガタリ」の正体です。           

今は製材技術が進んだり、新しい器具が開発されたりして、酒造りの場からこうした木製器具が姿を消し始めているという話です。

そう言いながらも、背丈の倍ほどもあるヨクガタリを軽々と扱う蔵主さんの姿に、シビレました。

その振る舞いに、これまで粛々と酒と向き合ってきた長い年月が、説得力のある存在感としてにじみ出ていました。

ヨクガタリは、一見畑をならすための農具のような大ぶりなものですが、なめらかな表面からは、長い間使い続け、手に馴染んだ調理器具のようにも思えます。

酒蔵では、人は道具や建物と一体になって酒を生み出す器官となっている、そんな印象を受けました。

また母屋では、四季折々に沢山の人が集まる宴を饗していたそうです。

障子が開け放たれ、外も中もすべてが繋がった縁側で、自慢の酒を振る舞う。

こうして長い間、酒を生み出す人たち自身も、器官の一部として手入れされ続けてきたのでしょう。

コロナ禍で、こんなところにも失われている風景があることを知りました。

トラクターとお猪口

お酒の原料となる米は、田んぼから。四家酒蔵ではいわき市内のお米を使っているそうです。

そこでは、農家の方々が大きなトラクターに乗り、日々作業を行っていました。

週に2、3度、わたしは家に帰ると、お気に入りのお猪口を使ってお酒を少し頂きます。

翡翠色の、くすみがかった小さなお猪口で、以前栃木に行った際に、自分で作ったものです。

それぞれの場所に、道具があって、人がいる。持ち帰ったお酒をいただきながら、そんなことをしみじみと感じました。






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