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感情が迷子

今日は一日家にいた.なんならベッドにいた.
昨日干したお布団が離してくれなかったせいである.
実家だったら,そんなことを言おうものなら母から特大の雷が落ちてきたことだろう.どうも見張る目がなかったら人は段々ぐーたらになるらしい.

疲れた体を休めることができる,という点ではベッドにいるのも悪くはない.しかし私の場合,過去にあった失敗や恥ずかしい出来事を急に思い出して反省会が始まるのだ.これは最近のことはもちろん,20年ぐらい遡ることもある.

過去は変えられないのは理解しているが,ゲームのように別の選択肢で,現在と異なるエンディングを夢見てしまうのだ.最終的に脳内と現実の差に心を痛め,疲れるだけなのだけれど.

こんなことを20年やっていると,流石に自分に疲れてくるのである.またやってるよと.いい加減飽きてきたわと.なんでこうなってしまったんだろうと原因を考えると,感情を出し切ってこなかったからではないか,という結論に達した.

私は良くも悪くも感情が高ぶったとき,周りを気にしてなのか,表現することや理解してもらうことを面倒に感じたり,感情を出すことに恥ずかしさを感じたりしていた.とりあえず平静を装うことで中途半端にしか感情を出さなかった結果,出せず仕舞いの感情を腐らせてしまった.

小さいときはコントロールできているようにも感じたけれど,
今ではそれもただの感情迷子である.

とりあえず感情を出せば感覚は戻るのではないかと試みるが,どう出していいか分からない.何かかが錆びついて,とりあえず泣くとか怒るとかができないのだ.

また,どこかで人に見られたらという考えが頭を過ぎり抑えているところもある.一人暮らしの家だし,目的は感情を出し切るところだから,と自分に発破をかけたところでその考えは変わらない.

行動が他人軸になっているし,もはや感情を出さないことが一種の防御反応なのかもしれないという気さえしてきた.小説や映画など色んな作品を用いたりもしたが,きっとそうゆう問題でもないんだな.
この戦いはまだまだ続きそうである.

しかし,28年自分をやってきているが,本当に面倒だ.
仲良くなれる気はしない.もうちょっと努力はしてみるけれどもね.


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