【本が読めなくなった】 11月の読書記録と記憶。
本が読めなくなった。悲しいとき、苦しいとき、本が読めなくなる。だから今は、そっと積んでおくことにする。
自分の日記が精一杯で、誰かに宛てた文章も書けなくなった。心が萎える日々。崩れ落ちそうな自分の精神状態を正しく保つことで精一杯だった。毎日『自分がどう在るか』が常に問われ続けていたように思う。身体と心に与えるもの、目に見えるもの・目に見えないものも含めて、ひとつひとつに意識を向け与え続けた。眠れない日もあり、一睡もできずに翌朝を迎える日もあった。それでも朝が来ると、太陽の光を浴びて、深呼吸をした。あぁ、と深い感嘆の、言葉にならない空気のような声が漏れる。今日も一日がはじまる。新しい朝が、希望で、一筋の小さな光だった。毎朝、鏡の前で自分に掛けた言葉は、すべて明るいものに、プラスものだけにした。都会を離れ、緑あふれる自然のなかに身を置くとほっとした。ある日の夕陽が、あまりにも美しくて感動して泣きそうになった。
本は静かにその時を待ってくれている。ある夜は、ひとり、本棚の前に静坐して、ぽたぽたと涙を流し続けた。本が読めなくて泣いているのではない。与えられたこの運命に向き合い歩んでいる、この自分になんだかとても泣けてきた。本の背表紙を眺めて、本の内容を思い出していた。それを読んでいた日の自分や、これを書いた著者のことを思った。
11月の上旬に2冊を読んでいた。そのとき読んで、印象に残っていた言葉は、半ば以降のわたしを支えてくれていたのかもしれない。2冊とも一言でこんな本ですと語りきれないほど、深く沁み入る本だった。
死なないでいる理由 鷲田清一
<本の内容>
生きること、老いることの意味。現代はそういう問いを抱え込んでいる。<わたし>が他者の宛先でなくなったとき、ひとは<わたし>を喪う。存在しなくなる。そんな現代の<いのち>のあり方を滋味深く綴る哲学エッセイ。
『水中の哲学者たち』(永井玲衣)から、『聴くことの力』(鷲田清一)を読んで、そして「死なないでいる理由」を読んだ。本から本へバトンが渡されてゆく読書体験。確かな答えはないのだけれど、結局は大事なのは、自分で問うてゆくこと。考えてゆくこと。それ自体がきっと大事なんだろうと思った。そしてそれを、はっきりと分からなくてもいいから、自分の言葉で語ることが出来たら嬉しいなと思う。
藍色の福音 若松英輔
<本の内容>
作家と出会い、言葉と出会う 生きることの傍には、常に「言葉」があった
言葉が語らない「あわい」にこそ たしかなる人生の道標がある
「あの日、この本を机の上に置いたとき、のちに自分がこれとほとんど同じ経験をすることになるとは 思いもしなかった」 (本文より)
生涯の伴侶となる女性に『深い河』を渡した日から、妻を喪い、死者に託された「何か」を生きる今に至るまで。河合隼雄、須賀敦子、小林秀雄、柳宗悦、堀辰雄――自らの軌跡と重ねて綴る、特別な一冊。
第一章から第十五章〜終章へ続く、著者若松さんの物語。一言では語れないほど、すべての章が、広くて深い。そして温かい。奥様の話のところは泣けて泣けて、涙が止まらなかった。読了後、言葉にならない、簡単に語れるものではない何かを抱きしめていた。心の中で静かに抱きしめることだと思った。この本は、冬の読書には良いのかもしれないと思う。部屋に篭り、自己内省する時を。そして誰かを想う時を。
今ペラペラと読み返して『自分の生を生きるとは、誰の真似もできない現実に、足を踏み出すことに等しい。』という言葉に目が止まった。そう、私にしか見つけられない(生きられない)この道を歩んでいる、と思う。
そしていつか私にも訪れるであろう、悲しみ、哀しみ、愛しみ、の種子を、読みながらずっと温めていたように思う。
▼『聴いてもらうこと』の大切さ
私の言葉を真に受け止めてもらえる。じっと聴いてもらえる。つぎの言葉を待ってもらえる。そこに、アドバイスも、出来事の良いも悪いの評価も、あなた視点の意見も、何もいらない。ただただ、私が話している言葉を心から受け止めてくれる。その宛先として、あなたに『聴いてもらえる』『聴いてくれる人がいる』そのことが、ほんとうにほんとうに、ありがたくて、嬉しくて、心が軽くなった。救われていた。
あなたとその時を共有する、その場をまた空気を共有する。DMでメッセージで共有する。『いつも大切なお便りをありがとうございます。』『そんな大切な話をしてくれてありがとうございます。』・・・と、受け止めてもらえる、この安心感は、その人の心に、身体に、静かにそっと力を与えてくれる。わたしの一番の救いとなった。
いつもありがとうございます!
お身体を大切に、今日もお元気でいてくださいね。