【本とわたし】 9月の読書記録
10月に入りました。やっと朝晩涼しさを感じるようになり、過ごしやすい季節がやってきました。9月末はちょっとバタバタしていたので、10月のはじまりは疲労感を抱えていました。そういう自分自身の小さな『身体』とささいな『心の変化』にはわりと敏感になり大事にしていて。ふとした時に、疲労が蓄積されていて、なんかしんどい(涙)・・・なんてことにならないように。自分自身の変化に敏感になっています。
1日の夕方は、銭湯とサウナへ行ってリフレッシュしました。10分のサウナ瞑想×3回。汗たっぷりかいてすっきり。嬉しかったことは、サウナ室に流れていた音楽。いつも演歌なのに・・・たまたまボサノバが流れていて、なんとも心地よい瞑想タイムとなり、10月よいスタートが切れました。
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さて9月の読書は積んでる本をちょこちょこ読み進めているものの読了には至らず。読み切った本は4冊です。私にしてはわりと少なかった感じですが、その分「深かった〜!」と言いますか、自己内省がさらに深まった1ヶ月でもありました。
▼海からの贈物 アン・モロウ・リンドバーグ
この一冊でnote記事にしてしまったくらい、深い学びと気づきを得ました。自分の日記にもたくさん書きました。一番の気づきは、『女はこぼしていること』『与えていること』そして、その与えるためには満たされる必要がある。その源泉をどこから得るのか。
女としての自分の自覚が高まり、また女という人生を生き抜くための秘訣を教えてもらった気持ちです。人間と人間の関係を深めゆくこと。そう、私もそれを望んでいる。すべての人とではなく、大切な人たちと。
この本は、本当に素晴らしい学びをくれた。歳を重ねてからまた読み返します。
▼遠い朝の本たち 須賀敦子
須賀さんが若い頃(10代のころ)に出会った本たちを通じて感じていた、見ていたこと・その風景・そのころの考え・出会った人々・・・をそっと覗かせてもらっています。須賀さんの描く世界感や文章というのは、どうしてこんなにも読み手に心地よさを感じさせるのでしょうか。電車の中で読んでいても、すーっとその世界に浸れる。読書の秋にもぴったりな本です。
▼詩集 幸福論 若松英輔
本の中身やタイトルに惹かれてというよりも、『よむべきタイミング』もあると私は信じていて。そっと静かに集まってくることを大事にしています。手に取って改めて思ったのは、この装丁の美しさ。何度も手ですりすりと触ってしまうほど素敵だし、デザインもすごく好み。
詩集は余白が多く、言葉も少ない。だからこそ選ばれた言葉が書かれている。だからこそ、人の心に打つ、響くものがあるのだと思います。また読むタイミングによっても、言葉の入り方も変わってくるわけです。
私も自分の思いをこんなふうに真っ直ぐに書いたり、人に伝えることができたらいいのにな、とよく思います。
▼おあげさん 平松洋子
好きすぎて、もう何が何だか。って帯にある言葉。
笑ってしまうけど、本当にそういう本です。平松さんのエッセイって読みやすいし、懐にすんなり入ってきてくれるし。息抜きに良い本です。
しかも、おあげだけの本!ちょっとお腹すいてしまうけど、本読み続けてちょっと疲れているとき、気分転換にこういう本を良きです。
ぐいっと引き込まれたのは、じつは最初の「はじめに」の文章。おあげさんとは関係のない『豆電球のヘッドライト』の話。じつはちょうど夫が毎晩、自転車のメンテナンス(発明家みたいに!)あれこれ手を加えてオリジナルの自転車を作っているのですが(すごいなぁ〜と感心しています)彼の頭にもそれが付いているんです!平松さんの文章を読んで、あーー!と思って。 『灯りを確保できる!』『両手があく!』『見たい方向に光がちゃんとくる!』この解放感がが素晴らしいと夫も絶賛しておりました。
油揚げが主役にはならないけれど、やっぱり欠かせない。私も一度油揚げなしで作った、炊き込みご飯、豚汁、食べたことあるけれど・・・やっぱり油揚げがないと物足りない!味気ないんですよね。
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さてさて、やっと日記を書く余裕も生まれてきたし、本を読む元気も湧いてきたところです。私の日々の営みはこうでなきゃ!と思っています。
本のある暮らしと生活スタイルを軸に、他のこともうまく回っている。
最近はそんなふうに思います。
積んでる本を色々あるけれどその本たちも眺めつつ、
今読みたい本を読んでいく。
今年も『読書の秋』あと、『食欲の秋』ともに楽しみましょう!
いつもありがとうございます!