なぜ無償でも保護司をするのか?|映画「前科者」を観て感じたこと

何故、人は自分より弱い者を平気で傷つけるのか

観終わった後、一番最初に思い浮かんだ。
ネタバレになるから内容は控えるが、弱い立場の人が理不尽に傷つけられる描写が多かったからだと思う。

家族だから?
部下だから?
自分より社会的地位が低いから?

どれも人を傷つけていい理由になんてならない。
自分の弱さを誰かを傷つける事で紛らわすなよ。

ただ、こんな息巻いても

「お前自身何ができる?」
「社会的弱者と呼ばれているような人達を助けられんのか?」
「助けらんねぇーだろ。」
「なんもできねぇーんだから黙ってろ。」

と自問自答して頭の中がごちゃごちゃになった。

自分が無力なことは認める。
ただ、ほんの少しでいい。
弱い人達が少しでも生きやすくなるような社会になってほしい。

強い人達は弱い人達をイジメたり搾取しようとするのでなく手を差し伸べてあげてほしい。

そんな社会的に立場が弱い人達の手助けをしているのが、本作の主人公加代が務めている保護司である。

保護司とは?


犯罪や非行に陥った人達が更生できるようサポートする役割。しかし、そこに報酬は発生しない。

つまりボランティア

保護司自身が対象者から危害を加えられる可能性もある為、生半可な気持ちでは到底できない。

では、何故無償でリスクが高い保護司をするのか?
個人的には下記の2つと感じた。

1.利他の精神が普通の人より強い
2.自身が保護司のおかげで更生できた

2については自身が経験された事で強い気持ちがあるという点で理解できるが、殆どの保護司の方は前科などなく普通に生活している。

1について生まれ育った環境や境遇から「誰かの為に少しでも役にたちたい」という気持ちが備わっているのであろう。

これって物凄いことだと思う。
だって、口では何とも言えるが実際に体現できる人なんて殆どいない。

皆さんも感じていると思いますが、自分1人の生活していくだけでも大変じゃないですか。

ましてや報酬が発生しない為、自身の暮らしが豊かになるわけでもない。中には「偽善者!」と罵ってくる”アホンダラ”もいる。

これを踏まえてあなたは保護司できますか?

いや、できない。
保護司をやっている人は手放しに尊敬できる。

「他人の人生にずかずか入る。それも必要です」

出典:無給の国家公務員”5万人 ―――更生担う「保護司」の役割と思い - Yahoo!ニュース

保護司を30年以上続けられている方の言葉。
人間関係が希薄になっている今、この言葉を受け入れられない人も沢山いるだろう。

正直、私もあまり他人に関与されたくないタイプである。

ただ、視点をずらすと見方は変わる。
例えば、身寄りがない高齢者や元受刑者の方は、自らコミュニケーションを図る行為のハードルが高いのではなかろうか。

正直、衣食住があれば生きていく事はできる。
しかし、人との繋がりが全くない状態では心が死んでしまう。

だからこそ、ずかずか人の人生に踏み込み人も一定数は必要なのではないか。

最後に

普通に生活しているだけでも、心がざわつく事ってありますよね?
ただ時間が経つと、いつの間にか忘れてしまう。

感情を動かされた事って自身が生きやすくなる為
のヒントが隠されている気がするんですよね。

だから、感情の変化を形に残さないのはもったいないと思い、気持ちの赴くままに書いてみました。

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