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鉛の骨



■前書き

今日は人間ドックに行って参りました。
小雪が降る中、検査着は寒く、すっかり冷えてしまいました。
サムネイル画像は生成AIで「人間ドック」で作った結果です。
みなさんは人間ドックや健康診断、受診されてますか?
検査は時間がかかるし、胃カメラだと苦しいしで、いいことないように思えますが、病気の早期発見などに繋がりますので、未受診の方はご自身のためにも受診をお勧めします。

私も今日胃カメラで、良性のポリープが増殖し、軒並み三倍ほどの大きさに肥大していることが分かり、原因が今服薬している胃の薬にあることが判明しました。検査を受けずに飲み続けていたら……と思うと、良性のものとはいえ、いい気分はしません。

ポリープというと悪いイメージがありますが、ポリープがあるということはピロリ菌がいないということであり、そのため発がん率は低くなっている(ゼロではない)そうなのです。

胃薬で胃もたれやむかつきの軽減のため、胃酸の発生を抑えようとすると、ポリープの発生と肥大化を招くそうで。それも私の飲んでいた胃薬はここ10年で開発されたもので、かなり強力なものらしいので、それをずっと飲み続けるとどうなるかという症例はないから、お勧めはしない、とのことでした。

それから生活習慣の改善も必要ということで、運動する習慣などをつけなければなあと思いました。

本日はそんな人間ドックにちなんだ小説を。胃カメラでゲロゲロしている間に思い浮かんだものです。

■本編

 ああ、こりゃあだめだねえ、と横顔がアフリカ大陸の形にそっくりな中年の医者がぼそっと言った。
 私に聞かせるつもりなのか、ただの独り言なのか判じかねて、私は腹の肉を摘まみながら阿呆のようにぽかんとしていた。
 医者はくるりと椅子を回すと、モニターに映った私の四肢の写真と、胸部のX線写真をペンで示しながら、何やら難しい医学用語を使って説明していた。勿論、私はちんぷんかんぷんで、この後の昼飯が楽しみだ、と胃カメラのために空かせていた腹を撫でまわした。
「ということで川勝さん。パーツ交換に同意してくれるね?」
 医者がなにげなく、そう、レストランで店員が注文を繰り返すぐらいさりげなく言うので、私は危うく聞き逃すところだった。
「パーツ?」
「そう。初めてじゃないでしょ。カルテじゃ三年前にも交換したことになってるし」
 私は狼狽して、手を激しく振りながら、「そんなバカな!」と叫びながらも、三年前もこの病院で人間ドックを受けて、「だめだな」と切れ長の目をした若い医者に言われて、それから記憶が……翌日にとんでいた。そうだ。当時も不思議に思ったが、健忘症かなと不安になったくらいで済ませてしまった。
「ああ~、担当医師が角倉になってるな。あいつ説明とか面倒くさがるからなあ。今どきの若い奴ってのはなってないよ、本当にさ。ねえ、そう思うでしょ、川勝さん」
 私はもう若い部類には入らないのだな、とショックを受けている自分が滑稽で、笑いだしそうになった。今はそんなことを考えている場合じゃないのに。
「パーツ交換って、どういうことです」
「言葉そのままの意味ですよ。人間の体ってのは脆いでしょ。すぐだめになっちゃうから、人工的に作られた部品と換えるんですよ。腕だろうと、目だろうと、肺だろうと心臓だろうと、脳だろうとね」
「の、脳を換えたら別人じゃないか!」
 医者はけたけたと笑って、「古いですね、川勝さん」と嘲りの色を目にありありと浮かべながら、自分の広くなった額をペンで叩きながら、「記憶はバックアップをとって戻せばいいんですよ」とひよこがにわとりになるくらい自明なことだと言わんばかりだった。
「川勝さんだって、子どもの頃から何度か交換してますよ。本当は教えちゃいけないんですがね。腕と足、それから肝臓を交換してます。前々回は両目を換えてますね」
 私は絶句して水面で餌をねだる鯉のように口を開け閉めした。
 腕を代わる代わるに摘まんだり動かしてみる。痛みも感覚も自分のものだ。これが人工的なものとは思えない。何より腕には手術痕などなかった。それに目。目の移植なんてことが本当に可能だったとしたら、この世から視覚障害者は消えるではないか。でも、現実はそうではない。医者の言ってることはおかしいぞ、と私は疑念を腹の中で風船のように膨らませ、椅子を蹴って立ち上がった。
「あんたの言っていることはでたらめだ。検査はもう結構だ。私は帰る」
 医者の眼に冷たい光が宿った。苛立ちや怒りでもない、冷徹な輝き。そう、実験動物を見る観察者のそれだ。
「川勝さん。残念ながらあなたは帰れないんだ。たとえ大人しくパーツ交換を受け入れたとしてもね」
「ど、どういうことだ」
 これ以上話を聞くのは危険だ、私の中の本能が警鐘を鳴らしたと同時に、二人の看護師が入ってきて、私を両脇で押さえた。とても女性とは思えない強靭な力で、プロレスラーか相撲取りにでも押さえつけられているように感じた。
「無駄ですよ。その二人は腕を特注品に換えてあるんです。並みの人間の力じゃ外せません」
 医者は立ち上がると、抽斗から巨大な牛刀を引っ張り出して、私の腕に刃を当てた。
 やめてくれ、と私は上擦った声で叫んだ。
「見た方が早いですよ」と医者は笑って、私の手首の辺りを親指で強く押すと、「痛覚、血液遮断」と静かに言って、私の腕めがけて牛刀を振り下ろした。
 牛刀は淀みなく私の腕を骨すら両断する。斬り落とされた腕は床に転がって滑っていったが、腕の断面からはわずかな血しか流れ落ちておらず、そして、痛みがまるでなかった。
 恐る恐る断面を見ると、肉の赤さも筋肉の繊維も本物とそっくりだったが、骨だけが白でなく、金属的な、鉛色をしていた。
「これで分かったでしょ、川勝さん。あなたの腕は人工物だったわけ。それから一つ訊きたいんですけど、自分の姿形に違和感をもったことは?」
 質問の意味が分からなかった。まだ腕がそこにある感覚が消えなかった。
「ふうん、情報医の奴ら、うまくやったみたいだね。角倉のせいじゃないや。川勝さん、あなたは三年前脳を取り換えてるんですよ。今のその肉体っていう器にね」
「う、嘘だ」
「嘘じゃないです。今思い出させてあげます」、そう言って医者は私の額を親指で強く押して、「情報制限解除」と呟く。すると私の頭の中に見知らぬ男の顔が浮かんで、その男の顔が赤子へと徐々に退行していき、それにともなって遡った思い出が頭の中に流れ込んでくる。その映像と、私の記憶の中にある映像はほとんど一致するのだが、「私」が登場する場面になると、齟齬を生じる。二人の男の顔が重なり、明滅する。
「今思い出したのが、元のあなたですよ。そのあなたの体が末期がんでだめになったので、脳を今の体に移植したんです。ああ、今の体は完全人工物ですよ。手術歴は前の体のものです。
 今のあなたはアンドロイドみたいなものです。前からそうなった患者さんに訊いてみたかったんですけど、夢を見るんですか?」
 脳は人間なんだから、夢を見るだろう、と思ったが、ここ数年夢を見た記憶がない。寝つきも寝起きもすこぶるいいものだと信じ切っていた。
「その様子だと見ないようですね。やっぱり、肉体的な疲労がないのが原因なのか、肉体を超越したことで精神が夢を不要な機能として切り捨てているのか、ううん、興味深いですね」
 医者は牛刀を提げたまま恍惚と微笑みながら明後日の方向を見上げていた。
「なんでもいい。放してくれ。私をどうするつもりなんだ」
 私が悲鳴混じりにそう叫ぶと、医者はきょとんとした目で、まるでそこに私がいたことを忘れていたかのように見つめると、やがて頬を弛ませて興ざめな表情になり、ため息を吐いた。
「川勝さん。なんで私がここまであなたに開けっ広げに情報を話したと思います?」
 牛刀を手に医者は近づいてくる。「いやだ、やめてくれ」と私が喘ぐように言いながら首を振ると、「大丈夫です。まだ痛覚は遮断されてますから」とにこやかに、朗らかに言った。
「それにこれは以前のあなたのご希望なんですよ。自分とそっくりの肉体が制作出来たら、それに脳を移し直してほしいって。私財を投げうってまでしたことなんですから、最後までやりましょうよ」
「知らない。私は知らない!」
 医者は「おかしいなあ」と首を傾げ、納得したように頷き、「そうか。記憶にプロテクトがかけられているのか。なら、解除するのは面倒だ。このままやりましょう」と牛刀を両手で握り、顔の脇に上げて構えた。
「大丈夫ですよお、この記憶も情報医が綺麗さっぱり封印してくれますから。あなたはまた新しい体で、明日の朝を迎えるんです」
 医者は歴戦の剣豪が発するような裂帛の気合の声を放って、牛刀を私の頭に向けて振りぬいた。
 牛刀は私の額の皮膚を容易に破り、骨に達するとそれを断ち割り、割れた頭蓋が飛んでいくのを感じた。脳が外気に晒された瞬間、私は氷河の中に押し込められたような悪寒と、溶岩の中に落とされたような焼けつく熱を感じた。そして目ではなく、脳が光を感じたことで私の視界は真っ白になり、嗅覚は部屋の隅に置かれたガーベラの香りを嗅ぎとっていた。医者からも、看護師たちからも、汗の臭いはしなかった。聴覚は、医師が最後に言った言葉を鮮明に聞きとどめていた。
「次は夢が見られるといいですねえ」
 私は自分の機能が脳に集約しきって、体のなにもかもが不自由になる前に、震える唇で言葉を紡いだ。
「アンドロイドは夢を見たという記憶を疑え」
 医者は怪訝そうに小首を傾げていたが、やがてはっとした顔になり、みるみる顔が青ざめた。そして奇声を上げると、自分の腕を斬り落とした。医者の腕の骨も、鉛色の骨だった。
「お互い、いい夢を」
 そう言って、私の記憶は途切れた。

〈了〉

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